けんたろうのけんはかしこいのけんです
浮かんでは消える雑多な思考の文字起こし
ピストバイクは、固定ギアの自転車です。上り坂も下り坂も苦手、走っている最中に休めない不自由さがあるからこそ、操る楽しみが理解できる乗り物です。
インターネット配信を始めるにあたって必要な基本知識や機器の検証結果などを紹介します。
このマガジンでは、NDI(ネットワークデバイスインターフェイス)関連の情報を発信していきます。 NDIは、米国NewTek社によって開発されたIP利用における新しいライブビデオ制作ワークフロー支援プロトコルです。このNDIテクノロジーを活用することで、一般的なギガビットイーサネット環境においても、映像、音声、メタデータを、NewTek社TriCasterやIPシリーズなどのシステム間だけでなく、NDI互換のさまざまなシステム、デバイス、PCなどとのリアルタイムによる相互伝送を可能とします。
年が明けて最初の三連休の二日目、今朝は目玉焼きを焼いた。 熱したフライパンにバターをひとかけ、卵を四つ割り入れて、黄身が半熟を保ちつつ白身の縁が茶色く色付く程度まで弱めの中火で火を通す。フライパンの余熱の程度が良かったのか、焼き上がった目玉焼きは、運良くスルリと皿に移った。 味付けは飽くまでもシンプルに塩胡椒。口に運び、咀嚼し味わい、嚥下する。 次の一口を運ぶ前に珈琲を口に含む。 「卵の味が拓いた」 卵の風味を珈琲が強烈に押し上げている。 ふと思う。前に目玉焼きを
ちょうど10年ぶりに降り立ったブリュッセル国際空港は、晩秋の霧雨に覆われていた。あの時とは違うんだなと私は思う。10年前は、私は入社2年目の25歳の若者で、生まれて初めての海外出張で不安もあったけれど、それ以上に自分に対する会社からの期待も感じていて、順風満帆な将来の予感に心を躍らせていた。あのときは、凛と乾いた秋晴れで、出迎えてくれた現地に駐在している先輩にご馳走してもらった本場のベルギービールの美味しさに、長旅の疲れが癒された。 だが今は、あのとき務めていた会社は、もう
20XX年、人類は初めて地球外生命体と遭遇した。その地球外生命体が母星に向けて送信した報告には「地球には知的生命体は存在しない」とあったという。
自転車好きが高じてホイール (車輪) を何本か自分で作っている。 ホイールは、中心のハブ、外周のタイヤを取り付けるリム、ハブとリムの間を接続するスポーク、スポークをリムに固定するニップルから成り立っている。 自転車は軽さこそ正義であり、また空気抵抗は低ければ低いほど良いという風潮がある。ホイールにあってもこの風潮は当てはまり、スポークの数はできる限り減らしたいし、長さもできる限り短くしたい。ただし、スポークの数を減らしすぎると剛性が低下してしまうし、細かな調整ができなくな
ふわとろ卵を模した「代替卵」なる食品の販売が始まったそうだ。「国内の卵の安定供給が難しくなる中、卵の新たな選択肢の提供」を目指すという。卵は栄養価が高く完全食とも言われる食品で、特に良質なタンパク源として有名だ。代替卵に対する期待は否が応でも高まる。メーカーページを探し出して、栄養成分を調べてみた。 既に様子がおかしいが、文部科学省が提供している食品成分データベースに掲載されている本物の卵と成分を比較してみよう。全項目は参照元で確認できるが、代替卵のページに掲載されている情
散歩がてら写真を撮ってきた。
東京では今年の桜は今週いっぱいといった所だろう。ちゃんとしたカメラを持っているけれど、今春も活躍せずに終わりそうだ。五年か六年前には友達とお花見までしていたけれど、その後、ちゃんと桜を愛でれた記憶がほとんどない。 それにしても桜は咲いてから散るまでが早すぎる。 現在のバイオテクノロジーの水準ならば、より長い期間、咲かせておくことも可能なのではないだろうか。雨や風にも強くして。ソメイヨシノは江戸時代に品種改良の結果、誕生したのだから、似たような試みだと思うのだけど。
東京の桜の見頃は、今週限りになりそうです。また来年のお楽しみ。
溜まりに溜まっていたダンボールをやっと資源ごみとして部屋の外に運び出した。記憶が定かでないけれど、おそらく二ヶ月ぶりくらいだろう。生来の面倒くさがり屋なので、週に一度の資源ごみの日に重い腰が上がらないのだ。生鮮食品以外は、ほとんど通販で買っているので、気を抜くと部屋がすぐにダンボール箱で溢れかえってしまう。 ダンボールをたたみながら買ったものを思い出す。空気清浄機、コーヒーグラインダー、コーヒードリッパー、鉢植えは記憶にあるが、ダンボールの量を鑑みるに、これだけのはずはない
ChatGPTを始めとする自己回帰型大規模言語モデルは仕組み上、嘘を言わないようにできないという指摘があるとの投稿があった。 しかし考えてみれば、嘘や間違いは人間だって冒すし、DNAの変異が起こるから生物の進化も起こっているわけで、エラーが起こるのはモデルに問題があるというよりも、情報そのものが持つ性質なのではないかとも思う。情報は伝達される中で変化する。 ところでソースを辿ったら、そもそもこのAIモデルが間違いを起こすのは、学習した教材に嘘の情報が紛れ込んでいて、AIは
「まだあります! まだ出せます!」と言うのなら、もっと前にあったはずの最適なタイミングで出してほしいと思う実例は枚挙に暇がない。 例えば、長期休暇明けに宿題を提出しない小学生、企画のアイデアを考える作家、そして、ぼくの大腸。
冬から春にかけての気温の変化は三寒四温というけれど、こうも律儀になぞるかね。昨日の夜辺りから寒の戻りの状況で、今日は昼間になっても気温はさして上がらないままだ。 そういえば、桜の開花した後に雪が降る年があったっけ。あれは確か三年前だったか。
今日は雨音を聞きながら仕事をしていた。せっかく満開になった桜もこの雨で散ってしまうかも知れないと思うと少し寂しい。雨音にウグイスの鳴き声が交じる。若い鳥なのだろう「ホーケ」「ケキョキョ」「ホーケケケキョキョ」まだ上手く歌えていない。 通学路 鳴く小鶯 雨に濡れ
写真は光と影で構成される。東京の夜は明るい、と言っても限界はある。ノイズが少なくシャープな一般的に綺麗とされる写真を撮るなら、夜中よりも昼間の方が好ましい。わざわざ夜に撮る場合、長時間露光に依る効果、照明に照らされたビビッドな被写体と暗く落ち込んだ背景とのコントラストによる表現など何らかの理由があって、その状況が選択されている。 夜桜を撮ってきた。 夜桜の理由は、昼間は花粉症が辛くて外に出られなかったから。理由はいただけないけれど、撮れた写真はiPhoneの割には上出来だ
歪なブロックを積み上げて格言めいた結論を導き出す思考実験が多分好き。以下実例。 満足と納得は似ているけれど違う。辞書的な意味合いはさておき自分の感覚では、前者は動物的あるいは本能的な欲望を満たすものであるのに対し、後者は合理的・論理的な帰結として獲得できるものと捉えている。 満足はいっとき満たせた気分になっても根拠の有無とは関係がなく、また欲望には際限がないので真に満たされることはない。到達したと思ったゴールがどんどん遠退いていくのである。 一方、納得するためには根拠が
暖かくなってきたので髪を切った。ドライヤーで十秒で乾くのが良い。