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【私の内省備忘録】嫌われるよりも、相手の気持ちがわからない方が怖い

人に嫌われるのを恐れるな、とよく言うが、それでも「じゃあ今日から気にしない!」なんて思いきれる人はなかなかいないし、思ったとしても気にする癖がすぐ治るわけではない。

私も子供のころから、人に嫌われるのが怖かった。
「どうしよう、この人私のこと嫌いなのかも」とかいつも心配していた。
明らかに好意を示してくれる人は大丈夫だけど、そんな人あんまりいない。


学生の頃、クラスの女の子たちに嫌われてしまったことがあった。
最初はなんとなく違和感があるくらいだったけど、次第に話しかけても聞こえないふりをされるような感じになった。

嫌われた理由はいろいろあって、完全に私の非であることもあれば、ちょっと納得いかないこともあったが一旦それは横に置いておく。

そこでタイトル通りのことが起きた。
嫌われるのが怖かったけど、そこまで明らかに嫌われてしまうと、逆に「これで嫌われているかどうかを心配しなくていいんだ」という安心感を覚えた。

嫌われるのは悲しかったしもちろん反省もしたんだけど、安心感を抱くのは自分でも意外だった。


最近になって思うのは、嫌われている状態よりも「相手が私を嫌っているのかよくわからない状態」の方が自分はきつかったりする。

「私のこと嫌いなの?」なんて怖くて聞けないし、そんな質問は相手も困るだろう。

嫌うまではいかなくても、恋愛や友達関係において「私のことを敬遠したいのかどうかわからない」状態が一番きつい。

相手は別に何も考えてないのだろうが、こっちは勝手に疑心暗鬼になり、相手にとって自分は面倒くさい存在なんだと思いこむ。
さらに重い人間になっていく。


このサイクルをどうやったら回避できるだろうか。
そもそもこの考えに陥ってしまう理由はなんだろうか。


今まで書いたことがあるように、自己中心的になってしまっていたり、自分に満足していなかったり、そういうのは大前提だとしよう。

そのほかに、「自分と他人とは違う生き物」という線引きがうまくできていないのではないか。
要するに「自分は自分、人は人」という割り切りができていない。

私の場合親しくなればなるほどその線引きがあいまいになっていく。
どれだけ仲が良くても所詮は他人なのだ。
線引きがあいまいになると、相手=自分、というような感覚になり、でもわかるはずの相手の気持ちがわからない⇒ 不安 となっているような気がする。

どれだけ愛していようと他人は他人。
相手の頭の中は読めないし、自分の思う通りには動かせない。
そんなことをしようとするのはエゴだ。
そんなことを頑張ってしようとするくらいなら自分に時間をかけた方がいい。

「自分は自分、人は人」と自分に言い聞かせてみようと思う。
そうすればそのうち「相手の気持ちはわからなくて当たり前」と思えるのではないだろうか。

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