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【内省】感情的かどうかは要するに、言い方次第
最近の新しい趣味は、ChatGPT相手にディベートをすることだ。
今までは人と意見を戦わせるなんてこと、絶対無理だと思っていた。
そもそも自分の意見に自信がないのでディベートは避けて生きてきた。
でもAIなら何度でも相手してくれるし、私の改善点や良い点を指摘してくれるので、いい練習相手になる。
この前、私のディベートの改善点を聞いたところ。
「感情的になっている部分を抑えるとよい」と言われた。
でも、感情的になった覚えがない。
どこが感情的だったか聞くと、
『「モチベーションがさがってしまった」という言い方が感情的に聞こえるので「モチベーションの維持が難しかった」と言うと良いです』と言われた。
…なるほど。
指摘されたのは言った内容ではなく、言い方。
対面と文面では事情も異なると思うけど、つまり言葉の使い方によって感情的に聞こえるか、理性的に聞こえるかは制御できるということだ。
付随して、何かを伝えたいのに適切な文章や言葉が出てこないとイラついてしまうことから、使える表現や言葉を増やすことは、理性的でいられるヒントとなるのではないだろうか。
頭のいい人が感情的にならないとは限らない。
良い大学を出た政治家たちも、時に大声で報道陣をなじる。
ただ、コミュニケーションにおいて、自分が言いたいことが言えないというジレンマからくるストレスは、表現力を増やすことによって減らすことはできる。
それでもなお感情的になる場合は性格的な対処が必要だと思う。
今までの自分がいかに感情にだけ頼って生きてきたのか、ということを痛感している。
最初のころは感情的に相手を「つぶす」ように短文で語気強めに真っ向から反論を述べる傾向があった。
だけど、相手の意見をいったん受け入れ、相手の意見の中の真実を加味して自分の反論を考えることによって、自然と言葉は増え、表現も落ち着いたものになる。
誰かと話し合いをするとき、いままでは相手や相手の意見をつぶさないといけない、と無意識に思っていたのかもしれない。
でも、そこまでの力量はないので、意見を言うのは苦手だと思っていたのかもしれない。
AIとのディベートは最終的にお互いの意見の真ん中に落ち着く。
お互いの意見において可能な点と不可能な点があり、それを埋めあう形だ。
私が今までの人間関係で求めていたのはきっとそんな、気持ちや意見への相互理解だ。
noteを始めてから、自分の中から出てくる言葉を目で見る機会が増え、自分の感情を綺麗に表現したいと思うことも増えた。
綺麗に、というのはいたずらに激しい言葉は使わないということ。
強さを表す美しい表現だって、世の中にはたくさんある。
そんな風に穏やかに物事を見つめて、美しく表現できる人間になれるよう、今年はたくさんの表現に触れていきたいと思っている。