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【内省】目の前のことを疑え
視野を広げるための手っ取り早い方法は、疑うことではないだろうか。
「何か質問はありますか?」という問いがすごく苦手だ。
例えば何かを説明していただいたとき、私はそのとき見て聞いたものをただ受け入れるだけで、疑問に思うことがない。
「目に見えているものだけが真実」グセだ。
だから私はいつも質問ができない。
私には物事を一発で理解できる賢さがあるわけではない。
説明をしてもらったあと、実際にやってみるとわからないことだらけだ。
目の前に起きている事象をただただありのままに受け入れてしまう。
先日、仕事でのこと。
いつも使っているデータが所定の場所になかった。
私は「あ、今月は無いんだな」と思ってしまったのだけど、実際はなんらかの原因でちょっとずれた場所にちゃんとデータは存在していた。
冷静に考えてみると無いはずはないものだったんだけど、私は「いつもの場所にない」=「今月はない」と、他の可能性を一切経由しない、一直線の考え方で、結論付けてしまった。
こういうとき、私なりに精いっぱいやってはいるのだが、何も疑わなすぎて、すぐ隣にある答えにすら気が付かなかったりする。
私が自分の意見を言うのが苦手なのは、こういう性格にも起因しているのだろう。
疑わないことで、私は自分で考えることを放棄し続けてきた。
いつしかそれは癖になってしまって、自分で考えることを辞めて、いつも誰かの言うことだけに従うようになってしまった。
だから、私の人生はいつも感情に頼ってばかりで、楽しくなくて、他人軸だった。
頭の中に「?」が浮かんだとき、私はそれをいつも無意識に無視していた。
考えるのがめんどくさいし、私に正しい答えが導き出せるわけがないと思っていた。
でも、最終的には自分が困るし、疑問に思えない自分をコンプレックスに思ってもいる。
頭の中の「?」や「!?」を無視しないことで、私は自分が見えている以外の可能性に近づくことができる。選択肢を増やすこともできる。
目の前のことを疑うことで、気が付きたくない真実が見えてしまうとしても、そうやって視野広く生きた方が、実りの多い生き方になるのではないかと思う。