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【内省備忘録】否定されたとき、どう心を保てばいいんだろう
人間は皆、「自分は正しい」と思っている。
だから否定されたときに、一切何も感じないというのは難しい。
不快感とか悲しさを覚えるのは普通だと思う。
でも本当は、そういう気持ちにならずに相手の意見を受け入れたい。
とある知り合いと話していたときのこと。
私は、スピリチュアルは信じていないが、不思議な偶然のような日常生活で起こる説明のつかないことの話はけっこう好きだ。
でもその知り合いはそういう類のものを一切信じておらず、私が「こういう偶然があって面白かった」と話すとだいたい「でも…」と続けられてしまう。
相手には相手の意見があり、私も100%信じているわけではないので相手の気持ちもわかるのだが、なんだかもやもやしてしまう。
「面白いね」って言ってくれてもいいやん、と思ってしまうのだ。
常日頃から書いているように、私は人に対して意見を言うのが少し苦手だ。
たぶん、苦手としている背景には、「否定されることへの恐れ」もあるのではないかと思う。
否定されると傷つくし、それ以上何も言えなくなって、結局私の意見はなかったことになるし、なんだか負けたような感じがする。
私はそういう不快感をすべて感じたくないから、何も言わない。
自分がとりあえず間違っていることにしている。
でも、そういう自分を続けていると自分で自分を「何の意見もない、空っぽの人間」という風に思い始めてしまう。
皆、考え方は違うのだ。
私はまず、それを自分に言い聞かせないといけない。
相手が私の考えを否定するとき、それはお互いの違いを認識しているに過ぎない。
考えが合わない部分があるからと言って、その人と分かり合えない、とは限らない。
否定されて何かしらの不快感を覚えたときは、その否定のどの部分が不快感を引き起こしたのか、冷静になって深く考えたい。
もしくは一旦別のことをして、忘れる。
自分の意見に説得力を持たせるような努力をすることも大事だ。
頭が悪いんじゃない。自信と知識の問題でもある。
そして、考え方の違いに、勝ち負けなどない。
その知り合いとは、そういう部分以外では意見が合うことも多い。
不思議な話を聞いてくれる人に聞いてもらえばいいだけの話で、その人とは別の楽しい話をすればいい。
そういう切り分けみたいなところもきっと必要だろう。
できないことをできるようになるには、日々の鍛錬が欠かせない。
「意見のない、空っぽな自分」にそろそろ実を詰めてあげたい。