チビで鈍足Jリーガーの生き残る術 1 プロローグ
167cm チーム最小×最遅の男が
J1の10番に! 山田直輝の挑戦
プロローグ
私の夫は、湘南ベルマーレ 背番号10 山田直輝だ。
サッカーに詳しくない人が彼を見ても、およそサッカー選手だとは思わないだろう。なぜなら、彼は身長167㎝、体重64㎏と、屈強な男達が集まる世界で生きる者とは思えないほど、小柄な体格なのだ。彼は、日本人男性の平均身長172㎝さえも下回っている。
加えて、プライベートではいつも目尻を下げて微笑み、私のママ友にも丁寧に挨拶をする。
そして、多くのパパが仕事をしているであろう時間に、ママチャリに乗り幼稚園へ子供を迎えに現れるのだから、
「きっと、あちらの旦那さんは土日出勤、平日休みなのよ!アパレル業かしらね?それとも美容師かしら?」
と、噂されたものだ。実際には、午前中のうちに練習(※仕事)を終えて、子供の迎えに出向いていたのだが。
私達夫婦は、同じ中学校で育った。
当時から彼は小さく、クラス内の背の順は前から3番目だった。
しかしサッカーが上手いのは周知の事実で、一部では「動けるチビ」と呼ばれていた。
中学卒業後もその身長はさほど伸びることなく、高校3年生で浦和レッドダイヤモンズ トップチームに2種登録選手として加入した際には、わずか164㎝しかなかった。
その上、童顔で洒落っ気なし、まだ運転免許もなく、ボサボサ頭で自転車にまたがり浦和レッズへ通っていた。
そんな当時の彼は、見るからに高そうな衣服を身にまとい、高級外車を乗りこなす、筋肉隆々の選手達の中で、明らかに浮いていた。
あれからもう17年もJリーグでプレーを続けているが、その間に、彼より小さなチームメイトは、わずか3人しかいなかったという。
そんな彼は、足も遅い。
中学のクラス内では、かろうじて速い部類にいたものの、20名程度の男子生徒の中でも決して1番ではなく……
正直なところ、2番手3番手ですらなかった。
プロに上がってからはチーム内での最遅争いに必ず名を連ね、その中でもしっかりビリを取り続けた。
彼は、2008年に若干高校生ながら浦和レッドダイヤモンズと2種登録契約を結び、2009年に華々しくプロ選手生活をスタートさせた。
しかし、その後の道は決して順風満帆なものではなかった。
18歳の若さで日本代表選手に選出されるも、今に至るまで、彼は幾多の大怪我に見舞われた。小さな怪我を含めれば、この17年、無傷で終えたシーズンは1年たりともない。
一番の大怪我であった前十字靭帯損傷の際には、本来サッカー選手として最も輝き、成長するはずの時期に、3年程まともにサッカーができなかった。
プロ加入前、彼はよく、目を輝かせながら
「このボールをゴールにいれるためだけに、世界中の人が夢中になるんだよ!凄いよね!」
と、無邪気に言っていた。
そんな彼からサッカーを奪われるのは、それはそれは辛く、悔しく、歯痒い日々だったが、大柄な選手達の中で167㎝の小柄な男が闘うということは、体に相当な無茶をかけていたのだろうと、今にして労いの想いが込み上げる。
しかしながら、Jリーガーの平均引退年齢をご存知だろうか。26歳である。
万年チーム1のチビ!そして鈍足!
そんな、言ってしまえばサッカー選手として致命的ともいえるハンデを抱えた彼が、34歳の現在もプロサッカー選手を続け、J1チームで10番を背負っているこの事実は、ひょっとして凄いことではないのか?
この事実の裏にある、彼の努力や工夫、心のあり方が、未来ある子ども達の希望や助けになるのではないのか?
彼は、生まれながらの弱点や大怪我を乗り越えてきた。
いや、乗り越えたというより、その都度自分のおかれた状況を受け入れ、対処することで、このサッカー界を生き抜いてきたように思う。もちろん、簡単には対処法が見出せず、長く苦しんだ時期もあった。
チャンスを掴み花を咲かせる人間は、確かに素晴らしく、英雄となる。ただ、人生の大一番でチャンスを逃さず掴みとれる人間は、どれほどいるのだろうか。残酷なことだが、どんなに準備をして待機していても、チャンスを逃すことは実際にある。
私は、彼が大きなチャンスを逃しても、立ち上がり、闘い続けるのを見てきた。彼の活躍の裏にある、その百倍の挫折を知っている。
英雄ではない人間が大半なのだから、多くの人々にとって大切なのは、「失敗を成功のもとへ変える力」である。
たとえ世間一般の英雄とはなれずとも、困難の中で夢をもち続け、高みを目指してきた、彼のその極意は、必ず誰かの役にたつはずだ。
それを次世代に伝えることこそが、私にできるサッカー界へのせめてもの恩返しだと、突如使命感にかられ、この度私は慌てて筆をとったのである。
本書では、素材として決して一級品とは言えない彼が、「チビ」や「鈍足」というサッカー選手としては致命的に思える弱点、さらには度重なる怪我をいかに受け入れ、乗り越えてきたか。そして、それらの弱点を感じさせない彼独自のプレースタイルを、どのようにして築き上げたのか、幼少期から取り組んできた体づくりやトレーニング、サッカー脳の育て方、挫折や葛藤との向き合い方を踏まえてお伝えしていきたい。
次章以降は、夫・山田直輝の視点で、彼のこれまでのサッカー人生を振り返りながら綴っていこうと思う。