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こぼれ落ちないように。
海を見に行きたくなるのは全然、夏だけじゃない。冬に海が見たいと思ったことってあんまりなかったように思う。そもそも心が諦めているからかも知れない、海までの雪道を走る気にならなかったり、行っても極寒の海風に吹かれるとか。
今年は雪が本当に降らなくて、少なくて、気温もプラスで、そんな感じの秋が延長してくれちゃったみたいな冬だし、あの日あの時、心がどうしようもなく息苦しくなっていたその時に丁度、北舟岡の海をインスタで見てしまったから、そしてそれをここで書いて、より一層想いを乗せてしまったから、なのかな。冬の海は思ってたより穏やかだったし、道内の中でも優しい海を選んだから頑固親父みたいな厳しさもなかったし。むしろ、夏よりも太陽が低くて柔らかかったし、草木もセピアで落ち着くし、虫の羽音が耳元で鳴ってびくりとすることもなくて、安心できた。
私は今、あのベンチに座っている。イメージ。あのベンチに座って足を伸ばして、ぼーっと思っている。つもり。勿論、妄想で、頭の中で。
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現実はリビングの暖房に背中をくっつけて書いている、ロストインタイムの16年前のアコースティックアルバムを聞きながら、セコマの京極の名水珈琲ゼリーを食べながら。あったかいチャイを飲みながら。
私がフォローしている方々が綴る、旅をしてきた、遠出、ドライブしてきた写真や文章。
どれもとても好きなのは、その場所、その時のときめきみたいな、なんか心の声みたいなものが見えるし、聞こえるし、感じるから。写真からも感動とか、わぁ、と不意に心を掴まれたみたいなキラッとしたものが、心が、写真を通して伝わってくる。そしてそこから次々に心の中に生まれることや思い出とか、そういうものも付け加えて書いてくださるから、より深い心の内部へ連れて行ってくれる、見せてくれる感じが嬉しかったりする。
少しだけ、苦しい日々の中を割いて、思い切って踏み出す旅。遠出。
なんか切ないものを背負って行くからこそ、見えるものがあって、出会う景色があって、書ける言葉がある。
好きだとか、愛してる的な言葉だけではなくて、感動したとか、圧倒されたとか、ハッとしたとか、息を呑んだとか、言葉が出なかったとか、そういう「心が動いた」瞬間を全てまとめて「愛」だというとしたら、皆さんの旅の、遠出のお写真たちは愛がこもっている。とても。私の勝手な感想と、思い込みと、なんでもオーバーに捉えがちな私の悪い癖かも知れないけれど、私にはそう感じる。だから、好きだとか、コメントで褒めまくりたい衝動に駆られるんだけれど、そればかりやってしまうと、気持ち悪がられたり、怖がられたり、嘘っぽくなったりして、めんどくさいやつだと、思われるのは悲しいから、過去にそう思われて距離を置かれたこともあるし、ハートひとつ、ポチッと押すだけでいいんだよと、自分を説得する。触れない優しさもあるのだし。説得完了した上で、どうしてもなんか忘れられなくて、頭の中で思い出して、もう一度読みたくなって読んだりして。
とんでもない光を持っているよって、どうしても伝えなくちゃ、そう思ってコメントしちゃったりもする結局。勿論もっとライトな気持ちで書き込ませて頂くこともある。
私がこの前撮ってきた、白黒写真は、初めてイルフォードXP2スーパー400というフィルムを実験的に撮ってみた。白黒フィルムだけど、現像はカラーと同じようにできるというもの。仕上がりも含めてどんな感じなのかなと確かめてみるために、選んだ撮影場所、行ってみたかった場所で、撮ってみて、そして出来上がったものを見た時。
さっき言った「愛」を何も感じないな、そう思うものも結構あった気がして、
ちょっと驚いてしまった。前に書いた、白黒フィルム脳を意識して撮っては見たものの、それを意識しすぎて、大事なものが失われたような。勿論、自分の下手さとかそういうものがたっぷりとあるせいなんだけれど。素晴らしい仕上がりと、フィルムの質感で、場所も素晴らしいのに。それは色がないから、白と黒しかないから
ではなくて、きっと、目の前のものへの愛情不足、そういうことなのかな。
いや、大きな楓さんの気のせい気のせい、ほらまた、大袈裟だからさと、そう思われたと思うんだけれど、気のせいじゃないなと思ったのは、白黒と同時に写ルンですで撮ったものも仕上がってきて、それとは驚くほど、温度みたいなものが違っていて、わかりやすくなっていたから。
写ルンですの方は、楓と2人で鉄道博に出かけてきた時の写真や、雪遊びをした時の23枚。数枚少なかったのはフラッシュつけずに撮ってしまって真っ黒だったからかな、仕上がってきたものも、ほぼ真っ黒なものが数枚あったけれど。ピンボケもいっぱい。インスタントカメラの撮り方、20年以上使ってないから忘れてた、接写と室内は注意しないといけなかったよなあって。笑えたけど、そのミスがあっても好きで愛おしい写真だなあと思うものが多かった。それはやっぱり、愛があったからで、好きな人を撮っているからで、楽しくてワクワクしてたから。どう撮るとか、こう撮るとか、そんなことは関係ないんだなって。感動とか、ハッとしたとか、圧倒されたとか、そういう心が動いた瞬間を撮っているから「いい」と思えるんだなってことが、白黒と写ルンですの写真たち、なんか真逆の2つを同時に撮って仕上げてもらって、わかった。
白黒であっても、カラーであっても、インスタントカメラでも、なんでも、
さっき書いたみたいな「愛」を写すことを、のっけることを、これからは忘れずに、頭で考えすぎて、「それ」でいっぱいになって、当たり前の、大事なことがこぼれ落ちないように気をつけなきゃなって、学んだ。
私が撮りたい写真や、好きな写真っていうのは、その「愛」が見えて聞こえるものなんだなってことも。
1人で勝手に感じて、考えて、こうして書いて、私って何してんのかなって、
自分でもよくわからないこといっぱい考えてるなあ、おかしなヤツだなと
思うんだけれど、そうやって突き詰めて考えて、書いて載せてしているこの日々も時間も面白いし、写真を撮るってことにここまで色んなことを感じさせてもらっている今が、楽しいし、この感性になったのは全て、楓が生まれた瞬間から与えられている、様々な試練のお陰なんだよなぁと思う。
少しだけ、苦しい日々の中を割いて、思い切って踏み出す旅。遠出。と、写真を撮ること。
なんか切ないものを背負って行くからこそ、見えるものがあって、出会う景色があって、撮りたいと思う「愛」を見つけることができて、書ける言葉がある。
なんかカッコつけた感じになっちゃったけど、全然カッコつけてるんじゃなくて、結構本心で、それをすらすらと、不思議と、書いている。
全て、私個人の意見と感想。
ただのひとりごとで、後日載せる予定の、噂の白黒写真と写ルンですの写真のながーい解説。
またそうやって写真を載せづらくする、自分の首を絞めている。帯広のフィルム写真の時にそれやっちゃって、しょぼくれた載せ方しなかったか?私。
皆さんがくれるお写真、いつも楽しみにしています。
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