伊月一空の心霊奇話 ーそのいわく付きの品、浄化しますー 第5話
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第1章 約束の簪
4 買い取ってください!
「ご迷惑をおかけしてすみません。突然、貧血を起こしたみたい……」
カウンターの側に置かれたアンティーク調のテーブルセットに腰をかけた紗紀は、頭を下げ弱々しい声で呟く。
本当のことを言えば、貧血ではなく突然、おかしな声や映像が頭の中に流れ込んで混乱したといったほうが正しいのだが、そのことは口にはしなかった。話したところで信じてはもらえない。笑われるだけだ。
いきなりお店で倒れるなんて恥ずかしすぎる。
「無事ならそれでいい」
「本当にすみません……」
うつむいたまま、これで何度めかの謝罪を口にする。
目の前に、白磁にスミレの花の模様が描かれたティーカップが音もなく置かれた。
相手のしなやかな指先に目がいく。
男の人とは思えない、きれいな指であった。
「飲みなさい。落ち着く」
「ありがとうございます」
もう一度、頭を下げながら礼を言い、ようやく紗紀は顔を上げた。
そして、言葉を失う。
紗紀の目が、相手の容貌に釘づけになる。
とてつもない美貌の持ち主であった。
年は二十五歳前後。すらりとした身長に、細身だが均整のとれた身体つき。整いすぎた顔立ちは、女性も羨ましがる程白く肌がきめ細やかさ。切れ長の目にその目を縁取る長いまつげ。通った鼻筋に薄い唇。
服装は白のニットに黒いパンツというシンプルだけれど、スタイルをよくみせる格好であった。
一瞬にして相手の心を奪う存在感と色気の持ち主。
魔物のようだ。
男はふっと笑った。
「僕はこの店の主で伊月一空だ。もう大丈夫そうだな」
ぽかんと見とれて口を開けたままであったことに気づき、慌てて紗紀は口を閉じる。
間抜けな顔をしていたかも。
それにしてもすごいイケメン。
絶対、女性にモテる。モテるどころか女に困らないだろう。
「はい。だいぶ落ち着きました。あの……」
紗紀の言葉を遮り、一空と名乗った男はスマートな仕草で紅茶を勧めてくる。
「ありがとうございます。いただきます」
私、何やってんだろう。
勝手にお店で倒れて介抱されて、それどころか紅茶まで(それも高級そうな)ご馳走になるとは図々しい気がしたが、雰囲気的にここで遠慮する空気でもない気がしたので、勧められるままカップに手を伸ばす。
しかし、ただ紅茶を飲むだけなのに、今まで見たこともないきれいな顔立ちの男性に見られていると思うと、緊張して手が震えた。
震えのせいで、カップとソーサーが軽くぶつかり音をたてる。
店内が静かなだけに、磁器のぶつかり合う音がよけい耳についた。
口元にカップを近づけると、ふわりと茶葉の上品な香りが漂ってくる。
わあ、いい香り。
いつも自分の家でいれるティーバッグとは明らかに違う香りであった。よい茶葉を使うとこんなにも香りが違うのか。それとも、いれかたが違うのか。
本当にいい香り。落ち着く。
こくりと一口紅茶を飲む。
「おいしい」
素直に感想を言うと、一空は口元に笑みを浮かべ、テーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろした。
テーブルに置いた指輪に視線を移す。
この店に入って紗紀が手にした、赤い石が嵌められた指輪であった。
「素敵な指輪ですね。何の石ですか?」
「ああ、赤瑪瑙だ」
「赤瑪瑙……」
瑪瑙という言葉は聞いたことはある。
「この指輪はいわくつきの物で、影響を受けやすい体質の人には、少々厄介だったかもしれない」
紗紀はきょとんとした顔をする。
「い、いわく付き? いわく付きって、どういうことですか?」
しかし、紗紀の質問には答えず、一空は話を変えた。
「それで、何かお探しものでも?」
「あ、違うんです。素敵なお店を見つけたから、覗いてみたいなあと思って」
本当は簪を買い取ってくれるかどうか尋ねたかったのだが。
一空は身体を斜めに傾け、長い脚をスマートに組みながら、椅子の背もたれに肘を当て頬づえをつく。
「ふうん」
目を細めて薄く笑う相手の表情に、紗紀は戸惑いを覚える。まるで、こちらの嘘を見透かしているようで、何だか怖いとさえ思った。
親切に助けてもらってこんなことをいうのもアレだが、一空という人物はとてつもない美貌の持ち主ではあるが、その美しさは人を寄せ付けない、まるで鋭利な刃物のように思えた。
「あの……お聞きしたいことがあるのですが」
何だ? というように一空は無言で紗紀のその先の言葉を促す。
「こちらで、買い取りはしていますか?」
「もちろん」
それが何だ? という口調にいっそう紗紀は恐縮する。
「実は見ていただきたいものがあって……」
一空はわずかに片眉をあげた。
どうしようか、しばし迷ったが、紗紀はバッグからハンカチにくるんだ例の簪を取り出した。
「これを」
簪を包んでいたハンカチを解く。
一空はわずかにまぶたを伏せ、紗紀が差し出してきた簪に視線を落とす。
「その簪を買い取って欲しいと?」
「実家から引っ越してきたときに荷物にまぎれこんだみたいで……私は簪なんて使わないし、母もこういうのは使わないと言うので、それで、買い取ってもらえるお店を探していて、たまたま……帰宅途中にこちらのお店を見つけて、もしかしたらと思ったんです。価値があるものかどうか、私には分かりませんが……」
しどろもどろで説明をしながら視線を上げると、一空がこちらを見ているので、紗紀は膝の上に揃えた手を落ち着かなげにもぞもぞと動かす。
美貌の店主に見つめられている緊張感と、幽霊に悩まされる原因となった、ワケあり簪を誰かに押しつけてしまおうという後ろめたい気持ち。
この場に落ちる沈黙に、いっそう落ち着かなくなり、紗紀はおろおろとする。
「申し訳ないが」
と、一空の口からその言葉が出たと同時に、紗紀はがっかりしたように肩を落とす。 やはり、買い取ってもらう程の価値あるものではなかったのかと。しかし、一空の口から出た言葉は、紗紀の予想していたものとは違った。
「古物営業法で未成年者の買い取りはできない。買い取りを希望するなら保護者の方と一緒に来るといい」
「み、未成年! え? 違います。私、未成年ではありません」
一空は目を細めた。
なにその目!
疑っているの?
「本当です。嘘は言っていません。これ身分証明書です!」
紗紀はバッグから免許証を取り出し、相手によく見えるよう突き出した。
すると、紗紀が未成年ではないと分かったのか、一空は軽く息をつき、ようやく簪に手を伸ばす。
「見てやろう」
見てやろうって。
段々この人の態度が気になってきた。
なんか偉そうというか、接客態度が悪いというか、私が年下だからバカにしてんの?
倒れたところを助けてもらって、こういうことを言うのも失礼だけれど、何か嫌な感じだし、苦手なタイプかも。
こんな店、入らなければよかった。
そんなふうに思われているとは知らない一空は、手にした簪をただ眺めているだけで、紗紀が思っているようなルーペで詳しく調べたり、すかして見たりと、鑑定らしきことをするわけではなかった。
一空に対して込み上げてきた怒りもどこかに消え、いよいよ、たいした品物ではないから見るに値しない安物だと申し訳なくなり、恥ずかしさにうつむいてしまう。
「すみません。それ、価値ないですよね。古そうなものだから」
「本当にこれを売るつもりか?」
一空の瞳が、紗紀を凝視する。
「えっと……」
やはり、売る価値なんてないものだったのだ。
なのに、買い取ってもらおうなんて図々しかったかも。
それで怒っているんだわ。
「すみません、こんな価値ないものを持ってきて」
言い訳のように、価値のないものと、紗紀は何度も繰り返す。
「あの、買い取りは無理でも、引き取っていただけたらありがたいです」
ズルいかもしれないが、この簪を持っていると呪われる、と言ってしまうと、引き取りを拒否される。
そうなったら困るのだ。
だから、そのことは黙っていよう。
一空は難色を示すように眉根を寄せ、ため息をつく。
それにしても、しかめっ面をしても、やはりきれいな顔だ。
こぼれるため息まで、艶っぽい色がついているようで、やはり見とれてしまう。
いやいや、と紗紀は心の中で首を振る。
「買い取るのは」
「いえ、買い取りが無理なら引き取ってください。引き取って欲しいんです!」
突然、紗紀は椅子から立ち上がる。
おいしい紅茶(たぶん高級)がまだ飲みかけで心残りだが、のんきに飲み干している場合ではない。
簪を押しつけて店を出よう。
「君……」
「ごめんなさい。お願いします!」
早足で去って行こうとする紗紀の目の前で店の扉が開いた。
この店の雰囲気には似合わない、一人の若い男が店に入ってきた。
ー 第6話に続く ー