伊月一空の心霊奇話 ーそのいわく付きの品、浄化しますー 第2話
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第1章 約束の簪
1 呪われた簪
静森紗紀は机に頰づえをつき、ぼんやりと教室から見える外の景色を眺めていた。
「……ねえ紗紀、聞いてる?」
「え?」
間近で聞こえたその声に、紗紀は我に返る。
辺りを見渡すと、講義を終えた生徒たちがいっせいに、教室の出入り口へ向かって歩いて行くのが目に映った。
いつの間にか講義が終わっていた。
目の前で友人の深水暎子が腰をかがめ、こちらを覗き込むように見つめていた。
「え? じゃないわよ。あたし、今日バイト休みだからお茶して帰らない? って言ったんだけど」
「あ、うん。そうだね」
心ここにあらずという紗紀の様子に、暎子は首を傾げる。
「どうしたの? 講義中もぼんやりしていたみたいだし、何かあった? 悩み事?」
「うん、まあね」
紗紀は言いづらそうに言葉を濁す。
「何よ。ほんと、どうしたの」
「話しても信じてもらえないと思うから」
すると、暎子は興味津々とばかりに目を輝かせ、身を乗り出してきた。
「何よ、その思わせぶりな言い方。ますます気になるじゃない。信じるかどうかは話を聞いてみないと何とも言えないけれど、とりあえず話してみなさいよ」
さあ、聞かせなさいと催促してくる暎子に、紗紀は苦笑いを浮かべた。
これは、話すまで解放してくれなさそうな雰囲気だ。
紗紀は一つ息をつき、暎子を見上げた。
「幽霊の存在って、信じる?」
暎子はぽかんと口を開け、目をぱちくりさせる。
ほらね。
やはり、呆れた顔をされた。
突拍子もなく、そして、唐突すぎたのかもしれない。当たり前だ。いきなりこんなことを言われたら、誰だって引いてしまう。
「なーんてね。ごめん、今のは忘れて。お茶して帰ろう。駅前のカフェにする?」
やはり、言わなければよかったと後悔しながらノートや筆記具やらを手早く片付け、バッグを手に立ち上がった紗紀の腕を、暎子はむずりと掴んできた。
「な、何?」
「信じるわ」
予想外の暎子の反応に、今度は紗紀のほうが目を瞬かせる。
「霊の存在を信じるかって? もちろん信じるに決まっているじゃない。あたし、そういう話、大好物なんだから。で、続き、話の続きを聞かせなさい!」
「ええ!」
「へえ、そうだったんだ。それで、それで?」
駅前のカフェに場所を移し、本日のケーキセットを食べながら、紗紀は昨夜起きた出来事を暎子に話して聞かせた。
ばかばかしいと一笑されるかと思いきや、暎子は話にどんどん食いついてくるうえに、嬉しそうだ。
幽霊を信じると言ったのも、嘘ではないらしい。
紗紀も今日初めて知ったのだが、暎子は大の心霊好きでオカルトマニアだったのだ。それで、紗紀の話に飛びついてきたというわけである。
「まさか、紗紀とこんな話ができるとは夢にも思わなかったよ。っていうか、紗紀に霊感があったなんて知らなかった」
と、声を弾ませている。
「初めて他人に話したからね」
「何で隠していたのよ」
隠していたわけではなく、言う必要がなかったから。そもそも霊感があります、なんて普通は言わない。いや、言えない。
そう、紗紀は子どもの頃から普通の人には見えないものが視えるという、霊感体質であった。
もちろん視えるだけで、昨夜のように霊が何かを訴えてきても、何もしてあげることはできない。
本当にただ視えるだけ。
「もしかしてその簪、呪われているんじゃない? いわくつきってやつ?」
「呪われてる!」
思わず大きな声が出てしまい、慌てて紗紀は口元を手で押さえ辺りを見渡した。
幸い周りの人には聞かれていなかったようで、ほっと息をつく。
「まさか」
「だって、簪を手にした途端、家族の身に次々と不幸が起きて、毎晩知らない女の霊が現れては、恨み辛みを吐いて襲ってくるんでしょう? これって呪われているとしか思えないじゃない」
恨み辛みを吐いて襲ってくることは今のところないが、確かに簪を手に入れてから、次々と家族に不幸が起きるようになったのは事実だ。
父は会社の健康診断で疑わしいところが見つかり、再検査で胃に悪い腫瘍があるかもしれないと言われ、さらに精密検査で末期の胃がんと診断された。
父がそういう状況で経済的にもこれから大変になるかもしれないという時に、母の勤め先が不当たりで突然倒産。
さらに、姉は三年付き合った彼氏と婚約までしたのに、二股をかけられていたことが発覚した。
婚約者に裏切られ、傷心の姉の傷口にまるで塩を塗るかのように、相手の女性が妊娠していたことも分かった。
当然、婚約は破棄になり、姉は自暴自棄。
婚約者と同じ会社に勤めていた姉は、会社にいられなくなり、結局、退職に追い込まれた。
それだけではない。
不幸は止まらず、退職したその日、横断歩道を渡っていた女子中学生めがけて信号無視をした乗用車が突っ込んできて、咄嗟にその中学生をかばった姉は車に撥ねられた。
幸い足の骨折だけで済み、現在入院中だ。
それだけで済んだのは奇跡的だと医者は言うが、あまりにも立て続けに不幸が続きすぎて、これはもはや偶然とは思えない。
それもこれも、簪を手にしてから直後に起こったことばかり。
「ってことは、最後は紗紀に不幸が起きる番か」
「やめてよ。もうじゅうぶん不幸よ。もしかしたら大学だって辞めなければいけないかもしれないのに」
紗紀は暎子を睨みつける。
両親はお金の心配はするなと言ってくれたが、父の治療費のことを考えると、のんきに大学に通っているのも難しい。
「それは困ったわね。で、その呪いの簪とやらを、いつどこで手に入れたのよ」
フルーツがたっぷり乗ったタルトのいちごをフォークで突き刺し、暎子は口に運ぶ。
周りでは女性たちが笑い声を発しながら楽しそうに会話をしているのに、霊だの呪いだのと、お洒落なカフェで話すにはまったくそぐわない内容だ。
「それが分からないの。いつの間にかあったというか」
「そんなばかな」
「本当よ。茨城の実家から東京に一人暮らしをするときに荷物の中にまぎれ込んだのかなって」
紗紀の答えも曖昧であった。
「じゃあ、元々その簪は実家にあったってわけでしょう。だとしたら、いきなり家族に不幸が起きるっていうのも変だと思わない? 以前から実家にあったんだから」
「それが……簪のことを両親に聞いてみたんだけど、そんなものは知らない、見たこともないって言うの」
フルーツタルトを食べ終え、紅茶を飲んでいた暎子の目が、何か気づいたというように閃きを放つ。
「分かった。その簪、紗紀が住むアパートの前の住人の物よ!」
「それは絶対にない。だって、私の住んでいるアパートは新築で、あの部屋に入居したのは私が最初だもの」
だから、前の住人が置き忘れていったということはあり得ないのだ。
「ふうん、ますます、いわくつきっぽい感じがするわねえ」
「うん……」
食べる気をなくした紗紀はフォークを皿に戻した。
そんな紗紀を暎子は上目遣いで見る。
「その簪って、どんな感じなの?」
「年代物っていうのかな、古い感じ。作りは繊細な感じで、何て言うのかな、価値がありそうな」
「手放しちゃえば?」
「捨ててしまうってこと? なんかそれも気が引けるというか」
「捨ててもいいけど、価値がありそうな気がするなら売ってみたらって意味?」
「売れるかな。そういう物の価値って、私にはまったく分からないし」
「そういう店に持っていって査定してもらえばいいのよ。売れてお金が入ればラッキー、値がつかなくても引き取ってもらえないか交渉してみれば手放せる。それなら、捨てるよりはましでしょう。フリマサイトを利用するとか、売る方法は他にもいくらでもあるしね」
「うん、そうしてみようかな」
そこで紗紀ははたと気づく。
「なんならこの簪、暎子にあげようか? もちろんただで」
心霊大好きっていうくらいなら、むしろ暎子の方が喜んで貰ってくれるかと思ったのだ。もしかしたら、もれなく幽霊もついてくる。しかし、暎子の反応は紗紀が思っていたものとは反対であった。
暎子は嫌そうに顔をしかめる。
「やめてよ」
「どうして? 心霊ものが好きなんでしょう。霊体験ができるかもよ」
「あのねー、確かにあたしは心霊大好きだけれど、自分の身に怖いことが起きるのはイヤなの。幽霊を見るとか勘弁してよ」
興味があると言いながらも、そういうものなのだろうか。
「とにかく、何か進展があったらまた聞かせて。興味はあるからさ」
ということで、簪を手放すという方向で、とりあえず話は落ち着いた。
ー 第3話に続く ー