立場・パワハラ・状況
小満ん師匠の本の中に「洒落を言うにも立場がある」との一節があり、私が「最近は一言多い若手が目立つ」みたいな感想を投稿したら、「落語協会のパワハラ体質だ」と引用投稿をされた(どう返事しようか考えてたら削除されたみたい)。ちょっとビックリしたと同時に考えるきっかけになった。
一般のお勤めの方で「いくつか受けた会社の中で受かったところにいる」「仕事が嫌い。早く帰りたい」って方は会社の同僚との付き合いは苦痛にもなろうし、仕事が増えるのは耐えられないのかもしれない。「パワハラです!」と声をあげたくなる気持ちはわからなくはない。その点、我々落語家の大半は好きな落語で生きていくと決め、向上心があり、楽屋でも「こういう先輩のようになりたい」という憧れを持って過ごしている。30年やってる私自身も、先輩師匠とご一緒するときは、緊張というと大袈裟だけど、それなりの気持ちにはなる。好きだし尊敬しているからこその気持ちだ。落語協会の若手の中にはマクラや懇親会の席で「緊張するから楽屋が嫌い」「一般企業ならブラックだ」など言う人はいるだろう。本心で言ってる人がいるのかな。憧れの場所で憧れの人に会えば、緊張というか、家に一人でいるのとは違う気持ちになるもの。それぞれにそれなりの苦労があって、「楽屋で気が抜けない」「持ち時間が10分しかない」と愚痴をいっても、憧れや向上心の方が大きく大きく勝ってるから、耐えたり慣れたりして、そして少しずつ一人前に近づいていくのだ。憧れがあれば心底嫌ではないはずである。
憧れが原因で真似したくなるのは人情で、「師匠連の会話に混ざりたい」と思うのかもしれない。が、「あの方が帰ろうとしている今は自分のこのセリフは不要だな」「あの方がワッと笑いをとって一段落ついたから、これ以上ダラダラさせない方がいいな」と状況を見極めるセンスがあればお客様などに可愛いがられる。芸人としていろんな景色が見られると思うのだ。
もちろん私が先輩たちに憧れていたほど、私個人は憧れられてない可能性もとってもとってもとってもあるわけで、その場合は一般の方のように「あなたにそんなこと言われたくない」などと思われるだろう。だから私は聞かれない限りは自分の主義みたいなものは後輩に話すことも押し付けることもしない。自分の裁量の場所に記すだけのことである。これはパワハラにはあたらないと認識しているが、どうだろう。また後輩が一言つけ加えてしまった時も、それこそその場の空気が変にならないように合わせて笑ったりしている。世界はこれを愛想笑いというが、私も若い頃はヘタな洒落で師匠がたに気を使わせてしまっていたこともあるのだろうから今思えば恥ずかしい限りだ。今は以前より状況が判断できるようになり、一言多い若手が目につくようになってきたわけだから、繰り返されてることなんだろうとは思うけどね。
最後にごく私的なエピソードを一つ。ある師匠にすごく嫌われていて、近年楽屋で2度ほど話かけたところ明らかに話したくないというリアクションだった。「会話に入ろうとして相槌うったりしないでくれ」と言われたこともある。だから今はご一緒するときは話かけず相槌もうたず気配を消してる。挨拶をすると返事をしてくださる、その間柄だ。先輩の気分を害さないよう後輩である私は気を使う、それを私自身はパワハラを受けているとは毛穴ほども思っていない。