菊志ん

落語家。 1971年生まれ。 古今亭円菊の弟子。

菊志ん

落語家。 1971年生まれ。 古今亭円菊の弟子。

最近の記事

粗忽の小噺パロディ

熊・夫婦喧嘩するなよ! 八・しないよ。できないんだ、おれひとりもんだから。 熊・ああ、そっか。でも、「かかあ、出てけ!」って怒鳴ってたろ? 八・違うよ、そそっかしいなあ。赤旗しんぶんの勧誘が来たから、「赤、でてけ!」と言ったんだ。 熊・そうかー。で、どうした? 八・おっぱらったよ。 熊・おしいなあ。俺がいりゃあ池田大作さんに会わせてもらいたかったのに。 八・池田大作?馬鹿やろう、統一教会と間違えんな!

    • いじって。つっこんで。

      私が口上や対談などでいじれる落語家さんは楽屋でもいじらせてくれる方。それは前座を一緒にやった仲間。先輩後輩あわせても数十人ぐらいかな。我々は、一緒に前座期間を過ごしたかどうかで、打ち解け方はかなり違うものだと思う。仲間意識とも言えるか。 前座を一緒にはやってなくても、二つ目を一緒にやって、深夜寄席とかも何度も一緒に出ればそれなりに打ち解けてくる。馬遊、円菊、丈二、金八などの兄さんがたはいじらせてくれる。 もっと上の方では正雀師匠とか世之介師匠とか燕路師匠とか。懐に飛び込ん

      • 「マナーって難しいよね。」「まーな。」

        寄席や落語会に初めて来たっぽいお客様が増えているようだ。とてもありがたい!が、それはイコール落語や寄席に似つかわしくない行為やリアクションが見られるってことにもつながる。そこに関連してか、一年以上前の目安箱についてのポストが拡散され、私はまたいろいろ考えたのだ。 お金を払って貴重な時間を費やしている落語ファンの方は少しでも良い環境で楽しみたいのですから、マナーの悪い人には寄席に来ないでほしいって気持ちは当然だと思います。そういうご常連のお気持ちはおかしいと思わないです。

        • ガーシーさんの発言をきっかけに落語家とは何かを考える

          落語家とはどこからどこまでを言うのか、プロの落語家とは何か。 1.プロの師匠に入門しなきゃプロではないのか →落語家第一号には師匠はいない 2.協会などの団体に属していないとプロではないのか →所属してたって給料もらうわけでもないし、資格をもらえるわけでもない 3.稽古してもらった落語をやってお金をもらったらプロか →CDで覚えて独演会をやってる俳優さんもいる 4.落語以外の仕事を他にしてなかったらプロか → 5.修行の必要があるか →修行といっても様々で、住み込み

          落語協会(2)not芸能プロダクション

          落語協会ー。私も会員になって25年ぐらいになりますが、どういう団体なのか自分の中で整理する意味もあり、私の目線で知ってることなどを書いてみます。落語家以外の芸人さんも多数所属していますが、少しややこしくなりそうなので割愛させてもらいます。倉本くん、ごめんね(絶対読んでないけど)。 成り立ちなどはちゃんとしたところで読んでねとお願いたてまつって、今年で誕生して100年経ったのが我が落語協会です。寄席に出ているもう一つの団体落語芸術協会が公益社団法人で、我々が一般社団法人。なぜ

          落語協会(2)not芸能プロダクション

          落語協会(1)同調圧力はあるのかいないのかいどっちなんだい

          前回の投稿に「(落語協会の芸人がパワハラや裁判などについてSNSにほとんど何も書かないのは)同調圧力があるからでは?」とのコメントをいただいた。貴重なご意見です。あざす。 結論から言うとそういうのはないと思います。 「師匠が白と言ったら白」。たしかにそういう世界ですが、事柄や関係性にもよりますから「あいつがそう言うならそうなんだな」って場合だってありますよ。けど、具体的にあげれば、修行中の者が「うちの師匠のところはこんな修行の方針でして、」などとペラペラしゃべるものではな

          落語協会(1)同調圧力はあるのかいないのかいどっちなんだい

          2024.1.31にXにポストしたものです

          ※落語協会以外についてはよく知りません。私が知る範囲の印象と思っていただけたら幸いです 落語家にはそれぞれ落語家道・芸人道がきっとある。「落語家たるもの~~」という基準。もちろんその人の師匠にもあるが、全く一緒とはかぎらない。師弟でさえ違うんだから、実に千差万別である。実際「師匠のああいうところは真似したくない」って思うことは私にもある。けど普通は師匠の落語家道には逆らえないからお弟子は師匠に合わせるわけだ。だけど、法律を前にするとひれ伏すしかないのが落語家道。ざっとそんな

          2024.1.31にXにポストしたものです

          落語の師弟。私見

          私が思ってるより世間の方は落語の師弟についてご存知ないようなので、わかってもらうため(誤解を解くため?)の文章を書いてみる。「落語の師弟」と言ったって、いつも言っているが私と師匠の関係が基本線で(私はお弟子をとったことがない)、普段付き合いのある落語協会の師弟のことしか私は知らない。他の団体や大阪の皆さんや江戸時代や明治時代のことについては、当てはまらない部分もあると思う。それが前提。あと、今までは触れてこなかったけど、今回は「実の親子の師弟も当てはまらないかもですよ」と前置

          落語の師弟。私見

          なぜ皆さんは書かないのか。なぜ私は書くのか。

          落語協会の皆さんが一番恥ずかしがる言葉が真心とか誠実とか愛とか、そういった言葉だと思います。チャラチャラといい加減に、ってのが噺家稼業って考え。だから、ほとんどの仲間がパワハラ裁判や落語協会へのご批判などについて発信しない。笑い話じゃないですからね。「落語家ですから真面目な話はできません」ってところでしょう。うむ、それが普通です。 仲間の皆さんは、ダレるから、私の一連の投稿も軽やかにスワイプしたり又は見てみないふり(?)をしている方がほとんどでしょうね。この投稿も読んでる方は

          なぜ皆さんは書かないのか。なぜ私は書くのか。

          立場・パワハラ・状況

          小満ん師匠の本の中に「洒落を言うにも立場がある」との一節があり、私が「最近は一言多い若手が目立つ」みたいな感想を投稿したら、「落語協会のパワハラ体質だ」と引用投稿をされた(どう返事しようか考えてたら削除されたみたい)。ちょっとビックリしたと同時に考えるきっかけになった。  一般のお勤めの方で「いくつか受けた会社の中で受かったところにいる」「仕事が嫌い。早く帰りたい」って方は会社の同僚との付き合いは苦痛にもなろうし、仕事が増えるのは耐えられないのかもしれない。「パワハラです!

          立場・パワハラ・状況