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今のこと
大学2年後期
お久しぶりです。シーズンオフはなんだか日常から何色か失ったような感覚です。
今更の報告になりますが、休学することにしました。考え始めたのは8月の後半辺りからで、決めたのは9月の中旬くらいでした。落ち着くまで時間がかかったのと、報告するタイミングもなかったので今更になりました。平日大学に行っていなかったので土日以外も大学野球秋季リーグを観に行けてました。基本的には、学生団体2つの仕事とバイトをして過ごしております。相変わらず習字もぼちぼちしてます。休学をしている割には比較的予定が詰まってます。不思議です。
進学してから1年と半年経過しますが、正直にいうと大学の同じ学部の中には馴染めていませんでした。住む世界が違うんだろうなぁみたいな感覚はずっとありました。顔と名前が一致している人は両手で事足りるレベルです。講義とバイトや学生団体の仕事で忙しいからこそ現実逃避のように、その日まで頑張れば…と誤魔化すように野球の試合を観に行っていました。講義以外で同級生に会うこともなければ、土日に遊びに行くこともなくバイトか仕事、野球…というような生活をしていたからです。大学の同級生と遊ぶことよりバイトや仕事、野球観戦の方が優先順位が圧倒的に高かったのです。大学に入学する前からの大切な友人、先輩、上司との時間や関係の方が私が守りたいものだったのです。それどころじゃなかった、興味があまりなかったというような感じでしょうか……
でも、2024年の前半は沖縄への一人旅からはじまりいろんなところに行きました…。大好きな野球もたくさん観に行きました。貴重な経験もたくさんしました。今までで一番充実していて濃い時間でした。
理由
休学中と聞いて一番に思い浮かぶのは「なんで?」という疑問な気がします。いろんな人に訪かれました。理由は一つではありませんが、一番大きな部分は精神的に「余裕がなく、いっぱいいっぱいだった」ことかなぁと自分では思ってます。いろんなことが重なった結果です。
現実問題難しいことではあるとは思いますが看護学部という特性上、教科書や講義の中で出てくるものは綺麗事に過ぎず、幼少期から家族が入退院を繰り返しそれを側で見てきた私にとってはその差が大きすぎて負担が大きかったのだと思います。2年生になったことでより臨床に触れる時間が増え家族看護のことを学ぶことになりました。
1年の終わりがけくらいから嫌なことを不意に思い出すようになりました。最初はたまにしかなかったのですが、フラッシュバックすることが少しずつ増えていきました。
母がアパートに住んでいた時夜遅くに救急隊員が家入ってきて、母が救急搬送されていき翌朝朝起きると私と妹、祖母がいた時のこと。小学生の時、弟が入院していて学校帰りそのまま祖母か父のお迎えで病院に行き病室で夜ご飯を食べる。薄暗い病棟のエレベーターと階段の間で母と離れたくないと号泣していたこと。今までほとんど記憶はなかったはずのことが突然思い出してしまい、涙が溢れてしまう。患者中心の医療を提供する現場の事実を突きつけられた私は疎外感と、「あなたがしてきた我慢は知りません」と言われているみたいな、なかったことにされているような感覚に陥り絶望してしまう。でも、家族看護のことも並行して学ばさせられる。その矛盾にモヤモヤは余計に絡まり合い、私はこの世界で「透明人間」と感じ絶望する。それを幾度となく繰り返していました。私は犠牲者であるはずなのに、たくさん我慢をしているはずなのに、そのことに早く気づいて欲しいのに、社会は見て見ぬふり?気づかれていない存在である。そんな現実はまだ私には受け止めきれない事実だったのかもしません。逃げるようにほぼ家に居なかった中高生時代。崖の淵をつたうような日常で、精神的にいつ落ちてもおかしくないような日々を過ごしています。ずっと張り詰めていた糸が徐々に捻れ、擦れる。細い糸がぷちっと切れ、もう限界を迎えたのだと思います。1度距離を置きたかった。医療という言葉から逃げたかっただけかもしれない。
それと同時に学生団体の仕事で全国大会を担当することになったこと、それに伴う人事異動でプレッシャーもすごく感じていました。上司が抜け、新しい体制に慣れないまま時間だけが過ぎ、仕事はどんどん降ってくる。常に焦っていて、追われていて…。うまくいかず、通勤の帰り道はいつも独り反省会が行われる。頭の中でただひたすらにぐるぐると、「これができなかった」、「こうすればよかったのかな」、「あの人に申し訳ないことをしてしまったかな」、なんてことを思っていた。公欠で大学を休んだり、土日に泊まりで出張に行ったりとバタバタしていましたが、無事に全国大会とイベントを終えることができ、1つ仕事も区切りがつきました。やっと落ち着いたタイミングだったのもあり、思っていたよりあっさり休学の決断できました。
大きい部分を2つ挙げましたがいろいろ考えたりした結果、一旦休養するという決断になりました。無理をし過ぎました。4月から今の所は復学予定です。もちろん戻ることに対して恐怖心もありますが今の学年の同期に思い残したことも無ければ、こだわりみたいなものも無いので、1つ学年が下になることに自分でもびっくりするくらい抵抗がありません。ぼちぼちちょっとずつ単位を取得していければなぁと思っています。
ありがと
9月上旬、ある人に休学が決まったことを報告しに行った。(関係性を言語化するのは難しいので省かせていただく)
いづれ報告するつもりではいたが、驚かせてしまうし、何より異動する時「国試受かれよ、勉強頑張れよ」という大好きな人からの言葉。 何よりも重たい言葉で「休学することになった」こと、彼に対して後ろめたさを感じていた。
驚きつつ、精一杯頭を回転させ考えたのであろう。「なんで」の次の言葉は、たしか「体調悪い?」だったような気がする。彼に嘘をついた。当時、体調は正直いえば良くなかった。今は元気になったが、ほんとに体調が悪い日は食べ物どころか水分も取れないし、動けないみたいな日もあった。これからのこととかたくさん話した。曖昧に答えた部分もあったから私も悪い。いろんなことを聞かれた。もちろん男女の思考回路の違いなのか、わざわざ言わないで良いようなことも言ってくる。そんなことは誰にも言えない。トップシークレットである。私にとっては余計な言葉でも、彼なりの優しさなのであろうと信じている。
彼は私が復学することを信じていてくれている。待ってくれている。離れ離れだけど、気にかけてくれている。不器用ながらも伝えようとしてくれている。たまにしか話せないし、会えない。けど、練習を観に行くとすぐ気づいてくれる。前の部署に行く際には必ずと言っていいほど話題に私の名前が出て、様子を聞くらしい。
本人不在で名前を出したり、報告されるのを嫌がるくせに自分はいいらしい。その部分はなんだか不服である。
周りからどう思われて、どう見られているのかは計り知れないが、私にとっては現役じゃなくてもぼーっと彼が指導をしているのを見ている時間はすごく重要な時間だし、彼にとっても彼自身がプレイヤとして試合に出ていなくても、その試合を私が観にいくことも大事だったりするのであろう。
いつまで続くのかわからないが、彼がグラウンドでユニフォームを着ていて、猿がシンバルを叩くおもちゃのように、選手がホームインした時腕を直角にさせ手を叩き喜んでいる姿を見ることが大好きである。それがある限りは私も頑張ろうと思う。
最後に
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週に1つ投稿していく予定です。
次回は、「成人式を迎えてしまった今、思うこと」です。
こちらの方もぜひ楽しみにしていただけると嬉しいです。