【親子関係がうまくいかない人へ・・・】届いてほしいある僧侶の言葉
ある僧侶の言葉
君の存在の開始にまず責任を負うのは親だ。
というよりも、ある存在の開始に一方的に責任があることを承認し、
自覚する人間をその存在に対して親というのである。
君は苦しんでいる・・・。
その苦しみのもとには、両親との関係があるのだろう。
それが今の君の人間関係に深刻に影響していることも本当だろう。
ただ、それがわかったとしても、それがそうだとしても、
過去は変えられず、君に残るダメージは消えることはない。
だから私はあえて君に勧める。
君の存在に対する親の責任を免除したまえ。
君が君として生まれ、存在していることの責任を肩代わりして、
自ら一方的に担いたまえ。
苦しくて・・・切なくて・・・痛いだろう・・・。
でも、そうしたまえ。
それでも自己であることが、君という存在の誇りなのだ。
自己である理由がないのに、
それでも自己であろうとすること。
私はそれを尊厳と呼ぶ。
すなわち、尊厳ある人間が自立した人間なのである。
諦念・・・そして自立へ
上記は仏教の曹洞宗・南 直哉(みなみ じきさい)という僧侶の言葉です。
苦しい時、悲しい時、私は何度もこの言葉に勇気をもらい、
今日まで生きてきました。
私を生かしてくれた言葉です。
上記の言葉の通り、今一度生きなおすには諦念が必要なのだと感じます。
諦め、受け入れ、そして立ち上がる。
言葉にすれば簡単ですが、これがいかに難しいことか・・・
しかしそう決意した日こそ、あなたの新し誕生の日だと思います。
応援します。
今回は以上です。
武田 もとやす
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