要約『仏教の歴史』講談社選書メチエ

著者 Jean-Noel Robert
訳者 今枝由郎
仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか
講談社選書メチエ


『フランスの著者から仏教を学ぶなんて』と思ってしまいましたが、自分も知っている日本の歴史の記載内容に違和感がないだけでなく、さらに新たな見方にまで出会え、「対照的な一神教を基盤に持つ著者だからこそ、一神教と対比させながら、わかりやすく仏教を教授いただけるのか」と、自分の浅はかさを大いに反省し、出会えてよかったと思った著書です。


はじめに

ヨーロッパ人の目には、仏教は「アラカルト宗教」すなわち1人1人が各自メニューから嫌いなアイテムは避けて、好きなものだけを選ぶことができる宗教の理想的モデルのように映る。

p17

第1章 諸宗教の中での仏教

「宗教」という言葉

「科学的」手順の対象としての宗教という概念は、確実にキリスト教から生まれたものではなく、むしろキリスト教に対抗するために造られた
「宗教」とは、西欧人が慣れ親しんでいるものとは本質的に異なった、非西欧の諸々の現象を無理やり一つのカテゴリーに収容するために作られた

p20, 21

「我」「私」「絶対神」

仏教によればわれわれにとってもっとも根源的で根深い幻想は、「我」という概念である。人間が「私」というものを何か実在するものーしかも永遠のものーであると信じて、「私」という一人称で語ることは、人間が陥っている無知の印である
唯一神を中心とした「一神教」の宗教伝統の中だけでずっと生活してきた者にとって、仏教は常軌を外れた奇怪なもの、さらには馬鹿げたものにさえ映る
「神」は「私」という一人称で語られる、すなわち人格を持った君主

p19, 20

聖典

仏教には、各々の伝統ごとに基本とされる大蔵経があるが、その内容はどれ一つとして共通していない
聖典といえばユダヤ教ではトーラー、キリスト教では聖書、イスラム教ではコーランと明確である。 全体的に見てかなり短いテクストであり、ポケットに入れて世界中どこにでも持ち歩くことができ、かなり以前に決定版が編纂され、改編されることがない

p24, 25

言語

言語と宗教は密接につながっている。
コーランはその言語であるアラビア語でしか学習されないし、
ヘブライ語のモーセ五書だけが今日でも書写される。
仏教は開祖がその教えをある特定の言語に限定してはならないと規定した最初であり、ブッダは各々の民族の言葉で教えを伝承することを推奨した

p25

第二章 ブッダ(仏) ー  第一の宝

仏教徒になることほどたやすいことはない
「三宝」への「帰依」を表明するだけでよい
1目覚めた人(ブッダ「仏」)に帰依します
2教え(ダルマ「法」)に帰依します
3仏教教団(サンガ「僧」)に帰依します

p28

最初の「宝」はブッダである。
この言葉は固有名詞ではなく、「目覚めた人」「理解した者」を意味する尊敬語である。この世界の生きとし生けるものを解放へと導く宇宙の理を本当に理解した無限に続く人たちすべてに当てはまる

p29

開祖ブッダの生涯を歴史的に正確にたどることはほとんど不可能
「目覚め」への八大事績をたどって、その生涯を語る

p30

1 最初の事績

ブッダの地上における生涯は天界から始まる p30
他の人間と異なるのは、彼はこの一連の生死の繰り返しの中で、絶えず道徳的進歩を遂げた
こうして少しずつ清らかな志を持つようになり、「目覚め」が約束された生きもの、すなわちボーディサットヴァ(菩薩)となった
こうして長い生死のサイクルが終わりを迎え、次には完全に解放される生を待つばかりとなった 

p30, 31

2 家族の選択

その神通力でもって、誕生地と自分の両親とを選ぶことができた。こうして最後の生における第二の事績として母親となる女性の胎内に入った
この女性の名はマーヤーといい、北インドの一小王国の王の最初の妃

p31

3 誕生

シャーキャ族ゴータマ氏の末裔
シュッドーダナ王の王子として生まれた
王子の名前はシッダールダ、すなわち「目的を成就した者」

p32

4  大いなる出発

王子は王宮の外で四つの決定的な光景を目にした
まずは老人、ついで病人、それから死人、そして出家僧
従者から、人間は、老い、病み、死ぬ運命であると同時に、中には救いを求めて世俗生活を捨てるものがいることを告げられた
王子は自らも出家の道に入ることを決心した

p33

5 悪魔の調伏

数年の間遊行し、当時有名であった偉大な精神的修行者のもとで修業したが、結局は彼らのもとを去った
ガンジス川の支流であるナイランジャナー川のほとりの一本の木の下に座り、決定的な瞑想に耽った。この場所はのちのブッダガヤーと知られるようになった
輪廻世界に君臨する死王マーラは、自らの支配が危険に晒されるのを恐れて、瞑想者をあらゆる手段で誘惑したが、その甲斐はなかった

p34, 35

6 目覚め

仏教以前の宗教は啓示に対する信仰に基づくが、仏教の基盤は発見である
彼は宇宙のあらゆる理を理解する知性を会得し、自らの過去性を知り、域といし生けるものの過去、未来の生を知り尽くした

P36

7 説法

菩薩はこの時からその名前「目的を成就した者」に値する存在になった
ヴァーラーナシー郊外のムリガダーヴァ(鹿野苑(ろくやおん)、現在のサールナート)に赴き、かつての修行仲間五人に初めて自らの経験を語った(初転法輪)
こうして開示された「法輪」は仏教の基本的教え、ダルマの真髄であり、以後無限に回され続けることになる、それは常に生けるものを解放に導くためである
ブッダにとって「目覚め」は必要条件であるが、十分条件ではない
「目覚め」の後、ブッダは自らが生まれた世界にできるだけ長く教えが伝えられ、いつか無知の力が尽きるまで説法し続けねばならない

P36, 37

8 静寂への入滅(涅槃)

この先の五十年の間、彼はシャーキャムニ「シャーキャ族出身の聖者(釈迦牟尼」おして知られることになるが、教えを説き、彼の没後それを継承する教団を設立するためにインド各地を回った
半世紀ののち、もはや彼にはこの最後の存在を続ける何らの理由もなくなり、黄昏が訪れた。ブッダは八十歳で完全に消滅した
ニルヴァーナ(寂静への入滅)であり、これが普通の死と異なっているのは、もはや輪廻しない点である

p37, 38

東南アジアでは誕生、目覚め、涅槃の三大事績は、ウェーサーカ祭と呼ばれる五月の満月の日に祝われる
暦の上では同じ月日に起こったと信じられている
中国、ベトナム、韓国、日本では、誕生は4月8日、目覚めは12月8日、そして涅槃は2月15日である

p38

第三章 ダルマ(法) ー 第二の宝

中国人は古くからこの言葉に「法」という漢字を当てており、漢字文化圏ではこれが受け継がれているが、日本人は独自に「宣(天皇の)命令」と訳している
ダルマは世界を司る原理であり、この原理に関する説明であり、我々の意識の対象である現象事実であり、超越すべき事柄であり、この超越に到るための方法であり、この方法に伴う道徳であり、これらすべてに関する教えでもある

p39, 40

ブッダがこの世界に出現したのは、ダルマを実現するため、すなわちダルマを理解し、達成し、教えるためである
第二の宝は第一の宝以上に重要であるとさえ言うことができる

P40

かつての修行仲間に最初に何を説いたのだろうか
この最初の教えは「四聖諦(ししょうたい)」と呼ばれる
四聖諦は、この世界における人間の実際の有様を理解するために知らなければならないことを要約し、そうした存在から解放される必要性を説いている

P41

1 苦しみの真実(苦諦(くたい))

「苦」という言葉は少し強すぎるので、すべての存在に内在する「悲哀」あるいは「不快さ」と言ったほうがいいだろう
我々のすべての悲哀は、嫌なものを所有し、欲するものを所有しないことに由来する

p41, 42

2 悲哀の起源の真実(集諦(じったい))

行いは徐々に一人一人にのしかかり、その重さに相応して次の生が決定される
行いの結果としての重荷が、カルマ(業)
我々は自らの行いに対して責任があり、行いは我々の将来を決定付けていく
カルマは、個人の生涯の中で自分が作るものであると同時に自分を作るもの

p42, 43

3 悲哀の消失、あるいは消滅の真実(滅諦(めったい))

自分が置かれた悲哀的状況と、その原因を意識したならば、そこから逃れる方法があることを知らねばならない
その鍵はカルマ、行いという重荷を作ることを止めること
たえず壊され、作り直される一貫性のない寄せ集めである人格の消滅
これが、ブッダが自らこの地上における生涯で身をもって示した涅槃である

P43

4 道の真実(道諦(どうたい))

この道は、よい行い、瞑想、知恵という三つの分野から構成される
人間の行いのすべての分野にわたって八つに分けられている
この八正道は仏教のもっとも古くからの象徴で、二匹の鹿に挟まれた八輻輪の形でインド美術で彫刻されている

p44

仏法の真髄は、…次の四句に凝縮される
物事(ダルマ)は原因があって生じる
ブッダはそれをお説きになった
その消滅をも同じく
これが偉大な聖者の教えである
これが、文献学上遡りうるもっとも古い「目覚めた人の法」の基本中の基本である

p45

第四章 サンガ(僧) ー 第三の宝

ブッダ亡き後、この教えがどうしたら正確に伝えられ、実践されるだろうか。それを保証するのが、サンガ(教団)の役割である
その中核はヴァーラーナシー郊外の鹿野苑でブッダの最初の説法を聞いた仲間五人であった

p46

サンガ生活の目的

仏教徒の究極の目的はブッダになることではない
仏教徒が目指すのは、修行によって「目覚め」すなわち涅槃の平安に到ることである
人間として到達できるブッダに次ぐ最高位であるアルハン、すなわち「応供」となることができる
それは輪廻から完全に解放され、カルマが消滅し、ブッダに準じる次元である

p52, 53

第五章 三つの叢書 三蔵

アショーカ王の役割

仏教史上よく知られたこの王は、それ以降仏教を保護する篤信な統治者の模範とされた
権力を掌握するために自らが犯した殺りくに慄き、当地の初期に仏教に改宗した
この時初めて、ブッダに帰される教えの全体が組織され、それがサンガによって権威ある仏教テクストの集成、「叢書」と認定された。早い時期に、テクストは大きく三類に分類されるようになり、トリピタカすなわち「三つの籠」という名称が生まれた

p55, 56, 58

経蔵

「三蔵」の最初は、スートラ・ピタカすなわち「経の籠(経蔵)」で、もっとも知られている
ブッダの言葉を収録したものと見なされており、弟子の誰かが実際にブッダから聞いたということで、原則としてすべて「私はこのように聞きました」という表現で始まり、それがテクストの正当さを保証している

p58, 59

律蔵

第二の蔵はヴィナヤ・ピタカ(律蔵)であり、僧侶の共同体すなわちサンガの行動規範集である
東南アジア仏教には一つの律蔵しかないが、中国仏教には五種類の律蔵があり、極東、ことに日本では律の概念そのものも大きく変化した

p60

論蔵

第三の蔵すなわちアビダルマ・ピタカ
経蔵の中に散在しているブッダの教えが体系的に再編成され、質疑応答の論議が加えられている
たしかに三蔵の一つではあるが、本当のブッダの言葉ではなく、仏教思想の継続的発展を可能にしたものである
この第三の蔵は時代と共に重要性を増し、例えばチベット仏教では中世になると大蔵経はカンギュルとテンギュルの二部構成となり、前者には発達した後期の三蔵のうちの経蔵と律蔵が、後者にはインド人僧が著述した注釈が納められるようになった。前者には108巻、後者には225巻あり、後者はアビダルマの発展したものということができる

p60, 61

三蔵を越えて大蔵へ

極東の中国と日本で栄えたいくつかの宗派では、三蔵の価値は驚くなかれ低められ、大乗仏典が収録されている大蔵が高く評価されるようになった
もちろん東南アジア諸国では同じ現象は起きなかった
仏教サンガ内部には、シャーキャムニ在世時からすでに対立があったことは証言から知られている
こうした対立はアショーカ王の時代にも表面化したが、それがますます鋭くなり、仏教の大分裂となり、今日われわれが知っている小乗、大乗という二つの流れになっている

p62, 63

第六章 大乗と真言乗

教団内での部派

仏教サンガには非常に古くから、大衆派と少数派という区分があった
大衆派はさらに数多くの部派に分化していったが、少数派は今日まで東南アジアに広まっている
異なった潮流、部派は、人間が到達できる最高の地位であるアルハンを理想の目標として、ひたすら教義を極め瞑想を実践する声聞から構成される伝統的なサンガの倫理的制約の枠を破った
それ以降、新たな理想となったのはボーディサットヴァ(菩薩)である

p65

大乗と小乗

この新しい潮流は、それを推進するテクストのなかではマハーヤーナ(大きな乗りもの)すなわち大乗と呼ばれた
この言葉は、伝統的な教えに依然としてとらわれている者たちに対して、侮辱的な意味を込めて用いられたヒーナヤーナ(小さな乗りもの)すなわち小乗と対をなす論争用語であることに留意する必要がある
当然のこととして、後者はこの呼称を拒絶している
大乗側は、小乗を根絶するというよりは、凌駕するという点に重きを置いている
小乗は全面的に誤りではないが不十分であり、せいぜい本質にたどり着けない者たち向けの救いへのいい入門でしかない

p65, 66

発菩提心

大乗の出現に伴い、三宝の位置関係が変わった
アラハンの理想はブッダの教えを完璧に実践する、すなわちニルヴァーナに到達することであったが、大乗になると第一の宝が強調されるようになった
修行者の究極目的はもはやニルヴァーナに入ることではなく、自らブッダの状態に到達することである
すなわち修行者は、声聞ではなく、ボーディサットヴァ(菩薩)「目覚めが約束された者」足らんことを目指す
その第一歩は、いつの日か完璧な目覚めに到達しようという決心であり、それが「目覚めへの思いを抱くこと(発菩提心)」である
この決心をした者は、果てしなく長い道を歩むことになり、その到達点を見るのは何百万世紀という想像もできない先でしかない
菩薩がこの間に積み上げる功徳は、確かに自らの救済に繋がる
しかし菩薩はその慈悲心から、自らの功徳を、自分の解放以前に、無知ゆえに苦しみに沈んでいるこの世の生き物たちに向ける

p66, 67

叡智(般若)

利他的慈悲が仏教修行のキーワードとなる
それには「知恵」とか「叡智」と訳される、菩薩に特有な特別の種類の知性であるプラジュニャーが必要とされる
菩薩の実践は、六つの「卓越した徳性(パーラミター)」を特徴とするが、そのなかで間違いなくもっとも重要なのは「知恵の卓越(プラジュニャー・パーラミーター(般若波羅蜜)」である
プラジュニャー・パーラミーターは、時として「仏の母」と称される

p67, 68

カルマと廻向

大乗では、カルマの信仰の重要性がかなり低くなった
廻向の慈悲的働きはまさにカルマの重圧を軽減した
大乗仏教の主要経典の一つで、二世紀中頃に成立した「法華経」の中で、観音菩薩(中国、日本では女性の形で表現される)は、苦悩し、危険に直面し、困窮している人が、彼の名前を唱えるだけで助けに来ると約束している

p68

大乗仏教の中心概念である「空」は、「金剛経」の最後にある次の四句に凝縮されている
 すべての現象は
 夢、幻、泡、影
 露、雷のようなものである
 物事はそのように見なすべきである

p72

密教・真言乗

大乗仏教の後で、インド仏教の変遷過程の中で最後の段階となる「ダイヤモンドの乗り物(金剛乗)」あるいはタントリズムが出現する
タントリズムは極東でしばしば密教あるいは秘義と呼ばれる
その実践の主要な法具の一つがマンダラ(曼荼羅)である
世間を超越した尊格にはマントラ(真言)と呼ばれる音が結びついている
師は弟子に、瞑想の支えとなるマントラを授ける
時として、小乗、大乗に続く第三乗と見なされる「金剛乗」は、仏教の初期の協議とは大きくかけ離れている
タントリズムは、まずはインドにおいて大きな影響を及ぼし、インドにおいて仏教が姿を消す前の最終形態となった
タントリズムは、チベットはもちろんのこと、日本でも、非常に独自な形で現在まで生き続けている

p73,74

第十章 朝鮮から日本への伝播

日本への仏教伝来

仏教は550年頃に公式に日本に伝えられた
百済王が欽明天皇に仏像と漢文仏典に添えて、中国では今やこの教えが支配的であると述べる親書を献上したことに始まる
十数年の間、日本の神々の伝統的な祭祀を重んじる氏族が猛烈に反対したが、新宗教は疫病治癒といった神異によって定着することになった

p109

飛鳥時代

仏教が本格的に発展するのは、朝鮮半島から渡来した師たちから仏教教育を受けた聖徳太子の働きによってである
聖徳太子に帰される十七条憲法は仏教を国教として宣明したものと見なされるが、実際にはこの中には仏教的要素以上に儒教的要素が含まれている
日本史においては、聖徳太子は仏教を保護した統治者として、日本のアショーカ王的存在として記憶されている

p110

奈良時代

この時代の第一の特徴は、それまでは文化交流が朝鮮半島との間に限られていたのだが、中国との間に重点が移り、その首都長安には日本朝廷からの外交・宗教施設が定期的に派遣されるようになった
朝廷の招きに応じて鑑真が中国から渡来し、759年には唐招提寺を建立し、ここに戒壇院で厳格な仏教の戒律が日本においてはじめて授けられた
(南都)六宗が創設された奈良は、国際的な仏教の中心地となった

p110, 111

平安時代

隆盛を誇る「南都」仏教に対抗するために、新しい知識と正当性を求めて日本人層が中国に渡った
そして平安時代を代表する天台宗と真言宗の二大宗派が誕生した
天台宗は中国の天台宗を継承したものである
開祖の最澄は1年足らずの間中国に滞在したが、日本に帰ってからは、「法華経」に説かれる修行をその中心に据え、全盛期に鑑真がもたらした具足戒に代わって「菩薩戒」という独自の受戒法を創設した

天台宗のライバルは、偉大な高僧空海を開祖とする「真言」すなわち「真実の言葉、マントラ」に基づく真言宗である
最澄と同時に中国に渡った空海は、インドからもたらされたばかりの最新の教えである密教を日本に伝えた
密教の教えは、京都の東寺に開示された二つの曼荼羅に代表される無人の美しさと荘厳さでもって、朝廷と貴族たちを深く魅了した

奈良時代と平安時代の宗派は第一義的には貴族向けのものであった
しかし八世紀以後は民衆に働きかける僧も現れた
行基は民衆を困窮から救済するために一生を捧げた
伝統的要素が多い役行者(えんのぎょうじゃ)は呪術に大いに優れていた
能や歌舞伎によく登場する山伏は、彼を師と仰ぎ、山に籠って仏教のもっとも秘教的修行に励む呪術僧である

p111, 112, 113

鎌倉時代

教えを簡略化し、修行を広めることを旨とした潮流が出現した
この流れは、将軍が朝廷の権威から断絶を試みた鎌倉時代に優勢となった
その中で最も根本的なのは末法思想に基づく浄土系宗派であった
末法思想とは、時代の経過とともに、釈迦牟尼が説いた教えを理解し、実践することができる者がもはやいなくなる時代が到来し、阿弥陀仏の慈悲にすがって救済される以外ないと主張するものである
この思想を最も徹底させたのは親鸞である
彼が創設者となった浄土真宗は現在でももっとも多くの信者を擁している

同時代に、同じく天台宗出身の日蓮は、救済に至る彼自身の独自な抜本的方法を提唱した
「法華経」に全面的に依拠し、単にその経題を唱えるだけで救済されると主張した

禅は中国起源であるが、鎌倉時代に興隆し、ともに天台宗出身である二人の層によって、二つの流派に分かれた
一つは栄西の臨済宗であり、もう一つは道元の曹洞宗である
臨済宗は、不可解・不合理な「謎」を実践し、理性を沈黙させることで悟りに至ることを推奨するものであり
曹洞宗は坐禅を唯一有効な修行であるとみなすものである

こうした潮流のすべてに共通しているのは、膨大な大蔵経に説かれている極めて複雑な協議、実践、儀式の抜本的単純化である
民衆、貴族、武士に自らが実際に、そして友好的に仏教を実践しているという気持ちを抱かせたことが、様々な階級に受け入れられ、普及した理由である

p114, 115

明治時代

日本が西洋に門戸を開くと、日本人のアイデンティティーについての考察が始まり、外来要素から浄化されたどこか人為的な神道が今度は公式に国教となった
一方仏教は、中国の文化大革命にも匹敵する徹底的な排斥の対象となった
この廃仏毀釈運動は、神仏習合を禁止し、それまで日本の宗教性の表現であった仏を廃棄することになった

p115, 116

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