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出張回想録Vol.10

アフリカの洗礼
ケニアの玄関口、ジョモ・ケニアッタ国際空港(初代大統領名より命名)に到着したのは、お昼頃。アラブとは異なる何とも言えない危険な空気を吸いながら、関所のイミグレ・荷物検査へ突入。

キツネ目の上司より聞いていました通りに、1米ドル札を挟んだパスポートとイエローカード(黄熱病他予防接種国際証明書)諸々を差出し、先ずはイミグレを無事に通過。続いて荷物検査でも同じく1米ドル札とスーツケースを開けると真っ先に目に飛び込んでくる会社のノベルティを予定通り幾つか没収されて通過しました。その後、100米ドルを強制的に現地通貨ケニア・シリングに両替。
なぜ強制的にExchange
1980年代にケニアへ入国する外国人に対し、一定額の外貨(例えば100米ドル)をケニア・シリングに強制的に両替させる制度が存在しました。これは外貨準備の保護や観光収入の国内流入を促すための政策で、多くのアフリカ諸国でも同様の外貨両替制度が導入されていたことがあります。
ただし、こうした制度は観光客やビジネスマンにとって大変不評だったので、その後、多くの国で緩和されていきました。ケニアも1990年代には規制を緩和し、強制的な外貨両替は廃止されました。

税関職員がお金や物品をねだる?
現在ではこんなことは多分皆無だと思いますが、この当時、この様なことが多くのアフリカ諸国入国の際、無駄に時間を費さないためのひとつの手段として、実施されてました。空港職員もレストラン同等、チップを取ってアタリマエぐらいの感覚でした。
難癖をつければお金を出す!お金を出さないと入国スタンプをなかなか押さない!この様な悪い癖をつけたのは、間違いなく先進国のバカ連中です。
私も今日から仲間入り!
途上国では、民間以上に公的機関の皆様は「袖の下」当たり前ザ・ワールドでした。
Whisper(囁き)
余談ですが1980年代、発展途上国には日本人の税金がODA(政府開発援助)に形を変えて援助国の全く身とならない、人・物・金のバラマキ援助が数多く繰り返されてきました。ODAには、「二国間援助」と「多国間援助」がありますが、「二国間援助」の内の途上国に直接援助をする「無償資金協力」がこのバラマキ援助の代表格でした。正しく「商業による利益の追求」が日本のODAの目的となっていました。

他の先進国に勝る援助を行う為、軍事的目的の為、将来に向けた資源確保の為、無知な議員が途上国に外遊の際のお約束などなど、理由は様々ですがODAの目的である「開発途上国の経済や社会の発展、国民の福祉向上や民生の安定に協力するために行われる政府または政府の実施機関が提供する資金や技術協力」、私的解釈は「途上国が自らの力で自国を継続的に発展する為のサポート」からは大きくかけ離れた、魑魅魍魎のたぐいがうごめく営利目的での援助ばかりでした。

とても残念なことですが、約10年間アフリカ諸国とコマーシャルベースでの商いとODA関連の業務に携わってきましたが、アフリカ諸国を訪れる度に援助国の身とならない日本の無意味で無駄な自己満援助の痕跡や残骸を山のように目撃してきました。
援助銀座にしたのは我々の責任
先進国からの援助が当たり前的なアフリカ諸国は俗に言う「援助銀座」となる国も多く、先進国から商社や企業が群がり賄賂が当たり前となっていました。商社は企業と組み、途上国が求める以上の不要なプラントや設備や物品等を援助先の政府にリクエストするように仕向け、その見返りに賄賂を渡すという構図です。

援助には、物資およびサービスの調達先が国際競争入札により決まるアンタイド援助とこれらの調達先が、援助供与国に限定されるなどの条件が付くタイド援助(ひもつき援助)があります。
日本政府より途上国へは、2カ国間タイド援助の為、誰もが入札可能な国際入札とは異なり、入札できる国・コンサル-商社-企業が日本のみと限られていましたので、競争相手も絞られ且つ、事前の仕込み作業スペックイン(自社製品が優位となる仕様・図面とか条件等)を役人と綿密にすれば、仕込んだ通り入札仕様に反映され落札する可能性が高くなる仕組みです。勿論、落札条件として価格が重視されますが、事前に仕込まれた仕様は他社が100点を満たさないようになっていますので、いくら他社が安くても落札出来る可能性は極めて薄いのです。
外務省、JICA、下請けコンサルも案件が多く余り細かい事には拘らず、途上国からの要望通りの条件で入札が数多く実行されていました。
この様に援助をする国も受ける国も、本来の目的からは程遠い茶番が、長きに渡り続けられてきました。
そしてこの茶番に自問自答しながらも、商社やコンサルと仲良く手と手を取り合いコレもお仕事と自らを説き伏せ、私も糞に群がる一人となっていったのです。

注)現在はひもつき援助も少なくなり、秩序ある真の目的に沿ったODAが展開されていると思います。
たぶん⁈
長い余談で失礼しました。



空港出口ゲートを出るとケニアでタッグを組んでいるT商社のH所長が出迎えてくれました。この当時、ケニアではトラック関連で幅広く商売を展開していましたT商社が、もっとも当社と手を組む相手としてベストマッチョな存在でした。キツネ目の上司より、H所長は41歳でナイロビ駐在歴8年、とても穏やかな性格ですが、他商社駐在の方々より群を抜いてケニアには詳しく、政府筋とも強いパイプがあり信頼できる方と聞いていました。今回、H所長とは初体面となります。H所長よりは「大変お疲れ様でした。短時間で入国が出来て良かったですね」との労いのお言葉を頂きました。

T商社ナイロビ事務所はジョモケニ空港より車で約30分程。ケニアはイギリスの植民地の影響で日本と同じ左側通行、欧州車をはじめ日本車の中古車パラダイス!とにかく交通マナーが悪く、クラクションが鳴り響いていました。H所長の車はケニアでは人気車種のランクル、穏やかな性格とは真逆のケニア人に負けないゴーイング・マイウェイな素敵な運転でした。「ハンドル握ると人が変わる」ってひと、本当にいた〜!
車中でH所長より、キツネ目の上司の逸話を聞き、改めてビックリ、凄すぎ!

T商社のナイロビ事務所に到着後、手土産を渡してケニアでの行程と業務内容の確認。今日はナイロビ泊まり、明日はナイロビ市内にある取引先に行き打合せ、そして午後にナイロビ・エアポートよりセスナ機で約1時間+車で、ケニア3大国立公園・保護区マサイマラに移動しマサイの聖地に1泊、翌朝マサイマラにある取引先のブランチを訪問し、午後ナイロビに戻り日本大使館とジェトロに顔出し翌日ケニアを経つ、3泊4日のとても楽しい行程です。

つづく、、、、、、、、、、


インターコンチネンタルホテル・ナイロビ

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