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出張回想録Vol.3

いつ来てもヨルダン
初めて足を下ろした中近東の国“ヨルダン”首都アンマン近郊の(現)クィーンアリア国際空港へは、お昼過ぎに2時間遅れで到着しました。「朝着いても昼着いても夜ダン」

日本では「ヨルダン」って言いますが、英語発音だと「ジョーダン」とか「ジョルダン」とか言ってました。とにかく、初イスラム圏の国でとても緊張したことを覚えています。入国審査やら荷物検査が日本の様に厳格ではなく、しかしスンナリとスタンプを押してくれないのが、中東の国の難しいところ。何だかんだネチネチと上から目線で質問をされ、顔をジロジロ見られてとても嫌な思いをしました。ようやく荷物検査も終えて外に出ると、中東っぽい生暖かい空気がブワッと私を歓迎してくれました。
空港出口ゲートには、ヨルダンでのビジネスパートナーの大手商社ローカルスタッフが、私の名前のボードを持ちニカニカと笑顔で出迎えてくれました。そして空港から商社の社用車でホテルに直行しチェックイン。

ホテルは中東にも結構展開しているマリオット系のホテルでした。キツネ目の上司より、中近東やアフリカの都市部での宿泊は値段が高くてもセキュリティーの面から、大手ホテルに泊まるよう指導がありましたので、こればかりは素直に従い旅行社経由にてお高めのホテルを予約しました。国内では余り泊まったことがないハイクラスホテルに宿泊することが出来きること、辛い途上国への巡業旅で唯一の楽しみです。

ベットの寝ごごちを確認し生温いシャワーを浴びてホテルでちょい休みした後、ヨルダン取引先社長よりご招待いただきましたホームパーティに向かいました。首都アンマン近郊に有る取引先は、社長(父親)・息子二人と10名程の社員のいる中規模な会社です。社長は無口な職人気質のべドゥンの血を引く誇り高き砂漠の戦士っぽい大男で英語は喋れないですが、とてもフレンドリーで今回の訪問を大歓迎してくれました。息子二人は以前日本の当社でのテクニカル研修の際に2週間ほど公私を共にしましたので、とても仲良しで気心の知れた仲間です。先ずは、成田空港で買込んだ社長が大好きな木箱に二本入ったとらやの羊羹や会社のノベルティをワンサカ手渡し、和気あいあいとした晩餐会が始まりました。

イスラム教徒の食事やマナーにつきましては、最近では日本も海外からの旅行者も増え「ハラールフード」= 豚肉・酒類NGとか当たり前になってきましたが、この当時はまだ余りメジャーではなく、会社の先輩・現地商社の方からのアドバイスやJETRO・アジア研究所にて見聞きして、行く国々のモラルとかマナーとかNGな振る舞いとかを徹底的に調べてから渡航していました。「最低訪れる国のマナーや文化を知らずして、仕事はできないのだよ!」がキツネ目の上司の教訓でした。

ホームパーティのメインディッシュは、“マンサフ”というヨルダン名物料理で、砂漠の民ヘドウィンのごちそうでした。地元の人々は手づかみて食べてますので、私も見様見真似で右手でグワッシと手に取り口いっぱいに詰め込みました。羊肉をヨーグルトで煮込んで、ご飯とナッツをまぜた羊肉が入ったとても美味しい、裏も表もない、おもてなし料理でした。全般的にどれもコレもヘルシーで美味しかったのですが、特に“ホブス”と言うピタパンがとても美味しく野菜やヨーグルトや豆類を包み込んで食べるとコレが絶品です。飲物はミントティー、ラバン(ヨーグルト飲料)と爽やかテイスト系が食にピッタンコでした。そんなこんなでアルコール無しの楽しいホームパーティーは3時間ほどで終わり、ヨルダン初日は長時間の移動と気疲れもありホテルに帰るなり即寝しました。

後に振れますが、このヨルダン取引先長男のチョコッとした仕事外のリクエストに応えた事がキッカケで彼は後々、大々富豪へとなっていきます。
“チョットすごい中東の成り上がり物語”です。「インシャラー!」乞うご期待っす!

つづく、、、

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