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行政の統計 -その内容-
とあるノートへの感想です。
(コメントは500字までなのでこちらに)
ノートへの感想というより、批判されてる元ノートなのですが。
何かを決定付けられるような因子を探す場合、
1) 仮説を立てる
2) 関係する因子を絞り込む
3) 測定対象を因子ごとのグループに分類する
4) 効果が明確になるよう測定する
5) 分析する。この時統計手法を使ってもよい※
6) 仮説の検証
7) 仮説の証明または1)~5)の検証
8) 精度を上げて繰り返しさらに確定要素を絞り込む
ですので、※だけで仮説を決定付けるのはムリです。
1)~4) をスッ飛ばし、5)の手法の一つだけを使ったから 6)の検証も行わず7)の証明は不可能ですので、感じられている「飛躍」が生じます。
「統計があるから自分の考えが正しい」わけではなくて集計前から分析は始まっています。統計であれば何でもいいというのはむしろ間違い。
自身で因子を絞り込んでいないので、統計で出て来た値を扱う根拠が希薄です。関連が薄いのに言いたい事に誘導する流れになります。不自然となります。
自分で、しかも他人であっても目的をもった検証ではなく漫然と転がっていた記録を集計しただけのものに「統計的権威」を持たせているのでそもそも論として不成立の反論が幾らでもどんなレベルからでも出て来てしまいます。
ここではジェンダーが因子化されている根拠は何なのか?という事が一つだけと思いますが、これも単純な話で、もともと放り投げるように置いてあった無作為無目的の記録が集計元なので、一般的な分類しかその中にはないわけです。
集計した記録の欄にとりあえず性別の記入欄があったからその切り口で集計されてしまいました。
言いたいことも書く前からそこに限定されてしまっているので、四苦八苦して肉付けを行い、根拠を創出するわけですがそもそも関連のない所に橋を架けようとしているのです。
このように行政が扱う集計は統計の中でも有用度が低く、無目的な分類で一般事項を集めたものになってしまうため、そこから何かを決定づけようなどと考えると、誰でも分かる分類で陳腐な結論に至ってしまうことになります。言い換えると先入観や固定観念の延長で話を展開し、それを強化しようとするだけとなります。
因子が最大公約数の限定されたものしかなく、他に事象に深い関係を持つ因子があっても設定できないからです。