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選挙に行くべきだ とする誤り
この主張をする人、全員がそうとは思いませんが、かなりの人たち。
そして、それに同調する若い世代にもかなりの人たち。
空気にのっかってる人は現実を見ていないのではないか。なんとなく根拠なく便乗するのは止めた方がいいと思う。はっきり言えば結果として体制に流されてるだけになっていないだろうか。そう感じる。
こういった事があるので若い人に選挙に行くようにという風潮には同調しない。
そのかなりの数の彼らはいろいろ考えてもどこかで追及は切り上げてしまう。
結果、なんとなく与党に入れるだけ。
政治も世の中も知らない。
間違った一票しか持ってないわけだから行かれると迷惑とさえ言える。
自分で考え、調べ、確認し、自分で判断して一票を投じることで自分の権利を行使したと言えます。
よく分からない所は大手だから、大勢だからという安心感、広告力を信じて投じた一票は自分の権利を行使したとは言えません。他人の権利を代行しているに過ぎません。
何も考えずに選挙に行ってとりあえずみんなが支持する政党に票を入れれば責任を果たしたと胸を張る、こういった軽薄な行為を勧めても本人のためにも国のためにもなりません。投票に行ったという既成事実を作っておけば胸が張れると、そのために自分の権利を捨てているわけです。
また、選挙権も含め国民の権利は公共の福祉に反しない限り与えられるもので、選挙結果が世の中を悪くするものであれば、それは正当な権利行使ではなく違法な行使になります。
これを受け入れられるかどうかは権利と対で必要な人間的要素、「謙虚さ」にあると思います。謙虚さは選挙権の「重み」を理解しているかどうか、自分がその責に見合う努力を伴って権利を行使しているかどうか考える力とも言えます。
選挙に行くべきだ、という一言には選挙権の重みを理解しておらず、謙虚さの欠片も感じません。
自分の一票が他の人の運命や人生、健康や幸福に与える影響が頭の片隅にもない人が発する言葉だと思います。
これは思想的なはったりではなく、今の日本の現実を見れば結果から明白だと思います。現実がすべて、個人的には議論の余地はないと感じます。
軽薄さを積み上げたからこうなっています。
自分たち、あるいは世間の選挙に対する考え方に足りないものがあるからこうなった、という反省がありません。
過去の判断が間違っていた、という反省もない。
こういう人たちは先々成長がないし社会を成長させることもできない。
反省力の源である「謙虚さ」がないからです。
そもそもの話として、主張が正しいかどうかは言葉の正否ではなく、それを奮う人の言動にあるわけだから、考えの浅さを指摘された時点で誤りは認められないといけない。
誤ったまま無理矢理主張を続けるのは、過去の敗戦の愚を繰り返す事と同じで破滅しかないと思われます。