「悔しさ」は大事だが「怒り」にはそのまま向き合うべきではない
導入
本稿は格闘ゲームをやる際に自分が感じていた「怒り」とそれに類する感情、そしてそこから起きるパフォーマンスや動機の低下に対して、いかに対処してきたか、どういった向き合い方をしているかをできるだけ詳細にわかるよう列記したものである。
医学的、論文的な根拠のあるものでは一切ないし、効果を保証するものでもない。一個人の単なる自己分析であるため、とても汎用性のある情報と言えるものではないだろう。自身の状態と照らし合わせてうまく利用できるかどうかを判断してほしい。もしうまく利用できたなら、それは完全にあなたの心の柔軟な強さによるもので、本稿が利益となって可能になったものではない。
今感じているそれは悔しさ? 怒り?
まずここから始める必要がある。分析というよりは簡単な自己判断といっていいものだが、侮ってはいけない。苛立っていると簡単な判断さえ予想外に難しいものだ。
悔しさと怒りはよく似ている。自分の外部のなんらかの事象によって起こされ、自分の中で認識されたあと、それが受け入れられるレベルのものであるかどうかが判定される。受け入れがたいものだった場合に行動に影響する。両者は似ているが、自分は格闘ゲームにおける怒りに関しては、非生産的でとても嫌だったので、これを避ける努力をしようとした。
(怒りが全般的に非生産的だ、というわけではない。一般にいう怒りが行動の起点となって事をなす場合もあるだろう。便宜上、ここでは格闘ゲームのパフォーマンスを低下させうる感情のことを単に怒り、そうでないものは悔しさ、と定義する)
自分の中でシンプルな判定を用意した。苛立った際に以下を自問する。
今の相手を上手くなって圧倒して勝ちたいと思える場合、これは悔しさだ。
今の相手を、別の手段に訴えてでも報復したい、屈服させたい。もしくは、関係なくモノに当たりたい場合、これは怒りだ。
悔しさというものはネガティブな印象もあるが、基本的には非常に有用なものだ。自分の場合、高いモチベーション維持の起点となるほとんどが悔しさによるものであり、似たような起点を持つ人は自分以外にも意外に多い印象がある。ロクに物も食べずに6時間ぶっ続けで連続技の練習をできるのは悔しさがあるからであり、負け続けてランクタワーを一気に3階層落とされてもまだ対戦できるのは悔しいからに他ならない。
一方で怒りには真正面から向き合うべきではない。そもそもが冷静な思考を失わせ、正確な操作を失わせるものであるし、ひどい場合は物にあたる、ゲーム自体にあたる、人にあたる、といった攻撃的な行動になってしまう。格闘ゲームの場合は少ないかもしれないが、チームでの行動だった場合はチーム全体のパフォーマンス低下にもつながるだろう。
単に発散したり、そのまま向き合ってしまうことを避けてうまく受け流すことができれば、少なくとも自分をごまかして悔しさに転換し、有用な方向に力を向かわせることができるかもしれない。
(こういった処理は「アンガーマネジメント(Anger Management)」と呼ばれており、体系化されているそうなので、本当に必要だと感じる場合は本稿だけで判断せず、専門的な視点を調査してほしい)
こういった受け流しは怒りが発生してからでは対処が難しい。あらかじめ回避したりいなしたり、消化したり転換したりするための手法を自分の中に持っておくのがいいだろう。
案1 最適化について
人間は無意識に最適化を行っている。「A→(間にいろいろ)→B」といった複雑な事象を、正確ではないことをわかっていながらも「A→B」と簡略化して認識してしまうことで、間の部分を思考するために必要な労力を可能な限り節約し、最適化をしようとしている。これは人間の脳の基本機能といってよく、何も対策せずにいると回避するのが相当難しい。最適化を行っている、ということは最善手をとっているはずだ、と脳は認識してしまうのだろう。なのにゲームでは実際には負ける。このギャップが人を苛立たせ、怒りに陥れるのだと推測する。
思考力の節約を意図的に避けなければならない。最適化とは極論パターン化であり、格闘ゲームでは完全に読まれるだけの、負の要素だ。脳は無意識に「だいたいこうしていれば勝てる」という手段を探すための最適化をしてるが、「だいたいこうしていれば」の時点でもうパターン化の陥穽に落ちている。常に相手の動きを観察し、対応した工夫をする。自分の中に対応時に利用可能な引き出しを多数用意する。こういった事前の対策で苛立ちはかなり抑制されるのではないだろうか。
余談になるが「だいたいこうしていれば、で勝っているよ」と公言する上級者もいたのだが、実際のそういった人のプレイを見ると、非常に多彩な行動を相手や状況にあわせて使い分けていた。自身の高度さをそうと意識せず使えている地の力が強いプレイヤーの言葉であり、初心者向けの行動や本稿のようなシンプルな分析には向かない。
案2 自動思考、不条理な信条への対処
怒りやその前段階の苛立ちといったものは、自動思考や不合理な信条から生じることが多いと言われる。順番に見ていこう。
自動思考というのは例えば、
目の前の相手は、自分が対処に苦労している単一の(あるいは2,3種の)行動で自分を倒しに来ている -> 相手は自分を侮っている、バカにしている、あるいは全力を出さずに簡単な勝利をしようとしている -> 怒り
といった思考経路のことだ。実際には上記の接続している -> 部分は推測にしか過ぎず、理論的な整合性はほとんどない。特にネット対戦では実際の対戦相手が見えないので、実際にそうだと言い切れることはほとんどない。もし本当にそうだったとしても怒りで得をすることは全くない。 -> 部分の理論的接続は否定してしまっていいだろう。相手の行動に自分で勝手に相手の意図を見出すことをやめなければならない。これは意外に難しいことだ。
不条理な信条、というのは格闘ゲームでは例えば、
普通はこの状況だとAをするだろうにBしてきた -> もしAだったら相手は負けていたはずなので、そうでない相手がおかしい -> 怒り
などだ。これはゲーム自体やネット回線状況に対して起きることもある。
今ちゃんと対策できる技を出したはず -> 対策できていない -> ゲーム自体やネット回線への怒り
といった状況だ。自分はこれにはあまり悩まされたことがなかったので、効果的な対処といえるかどうかはわからないが、シンプルに自分の中に不条理な信条を持たないという事前準備が必要になるだろう。この場合の不条理な信条とは「普通はこの状況ではこうだ」や「こうしたはずなのにそうならなかった」といった頑なな思考であり、こういった思考を意図的に捨てる必要がある。これも想像以上に難しいことだ。
不条理な信条「普通はこの状況ではこう」に対抗するための信念のひとつは「できることはやっていいこと」だ。もちろん、ゲームルールの範疇での話だし、対戦マナーについては特に留意したい。しかし、やっていいことをやった相手を責める事はできないはずだ。相手もゲームをしているし、こと格闘ゲームではそれは勝負であり、勝つために努力している。
(しゃがみ煽りなどのマナー違反についてはまた別の問題であり、本稿では「同様のことをして同種の人間にならないよう冷静になろう」と言うに留める)
もうひとつの不条理な信条「こうしたはずなのに」に対抗するためには「ゲーム自体という人ではないものがルールを裁定している」ということを常に念頭においておくことで多少は緩和されると思われる。プレイしている個人の意図がすぐに対戦ルールに影響することはないのだ。ぴったりに飛び込んだはずなのに迎撃されたのは、ぴったりに飛び込めていなかっただけであり、ルール通り判定されている。
加えて、ゲームに関する知識を蓄えていけば、そもそも不条理な信条を持つこと自体が難しくなる。「ここはフレーム不利なのでたしかにルールでそうなる」などの印象を受けるのみとなり、結果的に怒りを抑制する(というか発生原因を取り除く)ことにつながるだろう。
案3 タスクへの落とし込み
これはシンプルだ。
コンボをミスして負ける -> コンボをミスっていなければ相手を倒しきれていたのに -> 怒り
これは完全にタスクに落としてしまえるので、どちらかというと本稿での怒りではなく悔しさに近いものだろう。物や人にあたる前に、伸びしろとして自分の中にコンボ練習の課題を課してしまおう。しかも自分から望んで延々と練習し続けられる。うまく利用したい。
案4 メモをつける
ここまでの案はどれも少しだけ具体的な心構えのようなものだが、それらを自分の中で具体的にどう処理したかをメモすることはとても有用なはずだ。これはゲーム攻略やコンボのメモとは別で、どうしても怒りを感じてしまった際に、それが上記で言うどれに当てはまるのか、それともどれにも当てはまらない怒りなのか。であれば原因は何か。こういったことをメモするのだ。「小足>コマ投げを連発されて負けた。ムカつく」くらいの解像度でいい。
メモをすることで「メモしたのでこれについては一度忘れてもいい」という印象を自分につけることができる。これは想像以上に効果があり、原因を含めて怒りそのものを忘れてしまうきっかけを作ることができる。極論、負けたときの怒りなど忘れてしまったほうがいいのだ。一度忘れたあと、例えば数週間後などにこのメモを見返したときに、怒りに関係なく「あれ、小足のあとの対策あるっぽいって話どこかで聞いたな。あの動画でいってたやつか」といった風に対策に利用することができれば理想的だ。逆に「しゃがみ煽りされた。ムカつく」のメモは生産性が一切ない。怒りも忘れているので迷わずメモアプリの削除ボタンを押せるだろう。
怒りだけではなくヘコんでしまった際にもこういったアプローチはある程度有効だと思われる。自分の場合、愚痴のような一言をメモアプリなどに書き付けて、その日はフテ寝してしまう。改めてそれを見直してみて、下らないものだと感じた場合は削除、案のなかのどれかに当てはまっていると感じた場合は対策を取る、と言った感じに利用している。
そして、これらのメモは消してしまうこと前提だが、記憶には残り経験になる。格闘ゲームをやっていればいつか必ず似たような状況に遭遇するはずだ。その際に怒りにとらわれず冷静にコマンドを入力するための助けになる。なにせ以前感じた怒りなのだから、事前準備はできている。
最後に
真偽は定かではないが、ある中国拳法を習うとなった際、師匠には「ダラダラ練習しろ」と言われるのだという。本格的な習得までのスパンがウン十年と長過ぎるので、気合を入れすぎて習得しようと練習に打ち込むと、恵まれた天才以外は体を壊してしまうからだというのがその理由だそうだ。自分はこれを格闘ゲームにも当てはめていいと思っている。明確に誰かを倒したい、大会に出たい、いついつまでに何階にいきたい、などがない限り、ダラダラ練習するくらいでいい。
これはゲームなのだ。
今回は以上です。
付記:自分はだいぶ以前にAutomatonにて以下の記事を書いており、本稿はその怒り部分のみに焦点を絞って拡張したものです。元記事はストVの記事ではありますが、ある程度汎用的なものになっています。