モノに心は宿るのか?
子ども科学電話相談を聞く。
毎週日曜朝10時からNHKラジオR1で放送されており、子どもたちが疑問を専門の先生にぶつけることができる番組だ。
9月8日放送のコンピューター・ロボットの質問にこういうものがあった。
『コンピューターやロボットに心はあるのか?』
先生の回答は、コンピューターに心はないが、心っぽいものは作れる。(心があるように振る舞うものは作れる)という回答であった。
これはこれで好きな話なのだが、私が本当に話したいのは、この続きだ。
『生きているものを使えば、心があるものができるのではないか?』
生きている素材は、材料になってからも心はある。植物などを使えば、心があるものが作れるのでないか?
さらに質問者は鉄にも心があると主張し、鉄を素材に作られているコンピューターは心を持っているのではないかと言う。
ここからは私は、ラジオを聞いていない。
質問者の主張を私の頭の中で再現していく。
様々なパーツの寄せ集めで作られるPC。
複数の素材で作られているため、それぞれ独立した心を持つ。
新たにコンピューターという1つのモノになった今、それぞれのパーツは心を失ってしまうのだろうか。
この物語が私の心に広がった後、ある嫌悪感にリンクしていく。
これは、ファンタジーでよくある魔道の術と同じだ。
人の死体などを材料にするフレッシュゴーレム、あるいはフランケンシュタインの怪物。
複数の人間を素材にして、一つの知性あるクリーチャーを作る。
そのとき、元の人間の意識はいったいどうなってしまうのか。
「また来週」
いろいろなことを考えていると、放送が終わり、私はお昼の炒飯を食べる。
様々な素材からなる炒飯は、心を持つのだろうか?
炒飯を食べた私は、ある意味、米や卵で構成されていると言える。
私の心には、米や卵の意識が含まれているのだろうか。
私は感じることのできない意識を刈り取りながら、昼食をとる。
ヒトが炒飯を食べるという行為は、ある次元から見れば、グロテスクに映るのかもしれない。
実際の放送では、質問が少し寄り道をしていたので、私の方で再構成している。
本放送が気になる方は、下記のリンク、9月8日11時台の開始10分くらいのところからご確認してほしい。
確認される方は、次の質問者にも注目してほしい。
非常に尊い声の持ち主で、当時のTwitterのタイムラインでは何人もの魂が持っていかれた。決して聞いて無駄になる声ではない。
聞き逃し配信は期間限定であり、24年11月3日以降は聞けなくなることを、ここに付記しておく。