銀河鉄道を追いかけて #6
6th stop 居るべき場所へ
よだかが二人を降ろしてくれたのは、南十時駅の傍でした。北からそう遠くない場所に、白い渚と大きな十字架が見えました。
「あちらのほうへ行ってはいけませんよ。あすこへは、きみらはまだ、行く時ではないんですから」
よだかは厳しい表情で、少しだけ心配そうに言いました。
「次の汽車が来たら、すぐにお乗りなさい。それから、あまりこの銀河にも長居しない方がいい。きみたちは、ほんとうは、地上に居るべきなのだから」
正人はうなずいて、お礼を言いました。真吾もお礼を言って、飛び去ろうとするよだかを、とっさに呼び止めました。
「よだか!」
よだかは真吾の声に振り向き、またちょっと微笑みました。
「きみはどこか、ぼくの弟に似ています。大丈夫。ぼくのことを思い出すときは、夜の空のカシオピア座をご覧なさい。その隣に、ぼくはいつでも居ますから」
きしきしきしきしと、よだかは最後に高く鳴いて、青く白くうつくしく輝きながら、やはり流れ星のように翼で空を切って飛び去ってしまいました。
汽車は3分ほどで来ました。正人と真吾はよだかに言われた通り、急いでそれに乗り込みました。席に座ってから、動き出した景色を、二人はしばらく黙って見ていました。
「よだかは俺を助けてくれたんだ。天の川で溺れてたのを」
真吾が口を開きました。
「えっ!」
「大丈夫だよ! ちょっと濡れただけだし、普通の水じゃないし」
真吾は明るく言葉を継ぎました。
「よだか、あんなにきれいだったんだなあ」
「ああ、きれいだったな」
正人もうなずきました。それから窓の外へ目をやって、はっとして言いました。
「石炭袋だ」
さらさらとした光の粒の川の中に、闇色の孔が空いています。見ていると、底知れない怖さが込み上げてきて、正人も真吾も、自分たちも吸い込まれていくような錯覚に陥るのでした。正人は冗談めかして言いました。
「お前が居てくれなかったら、俺はあそこに放り込まれてたかもしれないんだな」
「笑い事じゃないぞ、まったく!」
真吾は怒ったような口調で言いました。
「でも、今まであそこに捨てられそうになった人たちは、よだかが助けてたんだって、よかったな」
正人も真吾も、こうしてまた二人で座って話していることに安心していました。自分たちが一緒なら、たとえあの暗黒星雲のなかでも、きっと一緒にいけるだろうと思いました。
「なあ、真吾。一緒に来てくれるんだな」
正人がそう言いながら真吾を見ると、さっきまで真吾が座っていたはずの座席には誰もいませんでした。正人は後ろから金づちで頭を殴られたような気がしました。立ち上がって車内を見まわし、外の景色を探しても、どこにも真吾の姿は見当たりません。ただ、もう遠くになった南十字の十字架だけがくっきりと見えていました。さっき真吾が天の川で溺れた話を思い出し、正人はますます青ざめました。正人は窓から身を乗り出したまま、もうそこらがいっぺんに真っ暗になった気がして、窓枠から手を放しました。
気がつくと正人は、足元の白い砂浜に自分の姿が青い影を落としているのを見ていました。ここがどこなのかは分かりませんでしたが、正人はすぐに我に返って、叫びました。
「おーい、真吾!」
そこは果てしなく、静かな場所でした。正人はあたりを見渡して、遠くにまっすぐ立つ十字架の様々な光の色の根元に、真吾が立っているのを見つけました。
「うそだろ」
まだそこへ行くには早い、そうよだかは言っていました。正人は走りました。走って、走って、そうして真吾のところに駆け寄りました。
「おい、真吾!」
正人が怒鳴るように声を掛けると、真吾はうたた寝から覚まされたような顔をして、正人を見ました。
「あれ、正人。どこ行ってたんだよ」
「ばか、どこかに行ってたのはお前だろ。勝手にいなくなりやがって。そっちに行くなって、よだかに言われたろ!」
思わず正人の言い方も乱暴になります。正人が真吾の腕を掴もうとした、そのときでした。
「ねえ、しんにい。その人、だれ?」
十字架の陰から、かわいらしい声がしました。女の子の声です。黒い長い髪、黒い瞳、透けるように白い肌、すそのひらひらした黒っぽい素朴なワンピース。女の子は、あどけない表情をして、真吾のことを見上げていました。
正人は、体中の血の気が引くのを感じました。目や髪の色や、着ているものや、身にまとった雰囲気はまったく異なりましたが、それは銀色の少女でした。正人は真吾に、その子から離れるように言おうとしました。けれども真吾は、女の子の目を見つめながら穏やかに言いました。
「蛍、この人は俺の友だちで、正人っていうんだ」
「まさと」
女の子は、真吾の言ったことを繰り返しました。正人は、それ以上は近づかずに、じっと女の子を観察します。よくよく見ると、この女の子は銀色の少女とほんとうにそっくりでしたが、まったく違うようでもありました。この女の子は、幼すぎます。それでもなぜか、あの少女とまるきり同じ人物であるような気がしました。
真吾が困ったような、とても悲しそうな顔をして、言いました。
「なあ、蛍。どうしてお前、まだここに居るんだ?」
蛍、それがこの女の子の名前でした。蛍は、十字架に寄りかかりながら、答えました。
「ほたる、失くしちゃった。だから、行けなくなっちゃった。ずーっと、ひとりで迷子なの。でも、ここ、いいとこだよ。きれいなものが、いっぱい」
蛍は淡々とした口調で言いました。真吾はその顔をのぞき込んで、言いました。
「失くしたなら、見つけなきゃ。蛍は、あそこへ行かないといけないんだろう」
蛍は首を横に振って、じっと真吾を見ました。それから、正人を見ました。
「やだ。しんにいは、ほたると一緒って言ってたのに。まさとは、とっちゃったの?」
真吾はまた悲しそうに言いました。
「しんにいは、ほたると一緒って言ったのに。言ったのに……」
「蛍と真兄はもう、一緒に居られないんだ。わかってるんだろ?」
正人は黙って真吾と蛍を見ていました。正人は真吾から、こんな女の子の話は聞いたことがありませんでした。
蛍は硬い表情でまた正人を見て言いました。
「わかった。しんにい、かえすよ。まさと。まさとは、ほたるくらい、しんにいのこと、だいすき?」
「ああ、もちろん。大切な友だちだよ」
正人がそう答えると、蛍は少しだけ笑ったようでした。正人は、今度は自分の方から、蛍に話しかけてみました。
「失くしたもの、一緒に探そうか。何を失くしたんだ?」
すると蛍は、自分の足元を指さしました。
「あのね、ほたるの、かげ」
正人と真吾は、思わずあっと声を上げました。正人と真吾の影は白い地面にくっきりと青く映っているというのに、蛍だけ影がありませんでした。
「天の川で、飛べなくなった白鳥さんがいたの。しんにいがくれた、絵本のお姫さまみたいなの。それでね、しんにいに、見せてあげたかったの。それでね、ずっと見てたら、影が逃げちゃったの。それでね、あの川のお水、とってもきれいで、おいしいんだよ。ほたる、大好き」
蛍は、天の川を見ながら言いました。真吾は蛍の頭をなでながら、話し始めました。
「白鳥のお姫さまは、夜の間だけ、人間の姿になれるのでした。お姫さまは、星の欠片を集めて髪を飾ることにしました。その金色に輝く髪は、くしですくたびに、まるでハープのようにうつくしい音色を奏でるのでした……」
蛍は物語を聴きながら、真吾にしがみついて、しくしくと泣きはじめました。零れた涙が真珠のように白く光って落ちて、砂のなかに、やわらかに、しみ込んでいきました。その光は、やがてひとつのかたまりになって、ゆっくりと光ったり暗くなったりを繰り返し、だんだんと平べったい形を成し、そして最後に、人の姿になりました。
「……お姫さまの瞳は、まるでサファイアのように青く、秋の夜空のような輝きをもっていたのでした」
蛍の足元に現れたのは、銀色の少女でした。蛍の影が白く光りながら、銀色の少女の姿をして、地面から静かに見つめていたのです。
「お前だったんだ」
真吾は銀色の少女を見て、切なそうに言いました。銀色の少女は、ただ真っすぐに、蛍の足元に居ました。
「私、たくさん集めたけれど、だめだったわ。わからなかったの。きれいなものって、うつくしいものって、何なのかしら」
蛍は、きらきらと光る自分の足元を嬉しそうに見つめながら、言いました。
「うん。ほたる、ちゃんと知ってるよ。ねえ、ほたる、これでもう迷子じゃないね」
正人はそっと蛍に言いました。
「大丈夫。君の今の居場所はあそこだよ。だから、君の今、必要なものはきっと、あそこにあるんだ」
蛍は正人の顔を見上げました。それから、にっこり笑って、うなずきました。
「うん! ありがと、まさと! ばいばい、しんにい!」
蛍がそう言った瞬間、大きな翼をもった白鳥が、蛍の足元から飛び出してきました。強い風が吹きます。白い砂塵が巻き上げられて、正人も真吾も目を開けていられませんでした。体が宙に浮いて、白く輝くまばゆい翼に載せられて、飛ばされていく感覚がしました。