スポーツ新聞に「次の一手」って載ってますよね。将棋とかの(・_・)ゞ
現在の局面が図示されていて、「さあ、あなたなら次の一手はどう打ちますか?」っていうコーナー。将棋とか囲碁とか麻雀とかで。
昔よく見たんだけど今でも載ってるのかな? 最近新聞読まないから分からないや(._.)
あれを見て、時おり思ったのが、
「いや、そもそも俺が打ってたらこんな局面にはなってへんし、この続きをやれって言われてもなあ……」
ってことです。
ああいうゲームって、「流れ」があるじゃないですか。序盤はこうやって、中盤はできればこうなってほしくて、終盤をこう締められたら勝てる! みたいな。
だから、例えば中盤の局面があるとして、それは過去・現在・未来の「流れ」の中で今こうなっている、というものなので、ただ独立して存在しているわけじゃない。
たった一つの手にも、過去・現在・未来の意味がある。過去が良展開だったならそれを維持しより良い展開にしようとし、悪展開だったならそれを少しでも挽回しようとする。そして、未来をどういう展開にしていきたいのか方針を立て、その理想に近づこうとする。その二つを統合して考えた結果として、現在の手を打つ。
だから、いきなり中盤の局面だけ見せられても、自分にとっては理解の範疇外の局面ってこともあるわけです。
でも、その続きを打たなきゃいけない。
そりゃあ、普段の調子で自分なりの最善手が打てない場合も出てきますよ。得意の定跡が使えるとも限らないし。
別の喩えを使うなら、ミステリ小説の中盤の数ページを見せられて、「この続きを書いて」って頼まれたらどうなりますか、って感じ。そこまでの前半はせいぜい粗筋しか教えてもらってないとして。
そりゃあマトモな続きは書けないですよ。
ましてやそれが早指し将棋とかだったら、過去の経緯も今後の方針もあやふやなまま時間に追われてとりあえず指した手が、結果的には悪手だったりして、
「あーくそ、あっちに指しときゃよかったのに、後の祭りだ……」
なんて凹んだりして、それでも続きを指さなきゃいけないわけです。
さて、そうやって苦吟しながら指し続けておりますところへ、おもむろに名人登場。
盤面をひと目見て、
「なんだこのヘボ将棋は? 俺ならこれこれこんなふうにするのに」
とかおっしゃる。とんでもない中盤の局面から引き継いで指してることなど無視するように。
その時点までの棋譜を見て、
「ここでこれを指したのが敗着だな」
などと批判なさる。限られた時間で必死に考え出した手だったことなど慮りもせずに。
そりゃアンタは名人だろうし、最初から自分で指してりゃこんなクソみたいな局面にはならないだろうけど、こっちが引き継いだ時点で既にクソみたいな局面だったのでね。
いや、ま、新聞に載ってる「次の一手」は、クソみたいな局面ばっかりってわけじゃないけど、自分の自家薬篭中の局面でないことは確かでしょう。
それを、早指しのプレッシャーを受けて失着もしながら、どうにかここまで漕ぎつけたわけですよ。
いくら名人でも、アンタみたいに種々の事情を斟酌せずに理想論の正論だけ振りかざして今の局面を一方的に貶すような人には、あれこれ口出ししてほしくないですよ。
――っていうのが、岩田さんという人がダイヤモンド・プリンセス号に乗り込んだというニュースを見て感じたことですね(・_・)ゞ
(追記)
上に書いたのは俺の主観的な感想な。
がんばって客観的なことを書くと、岩田さんという人が言ってることはほとんど正しいらしいけど、「正解」を出せばOKなのは事象が自然科学の範疇に留まっている場合の話であって、社会科学というか、実際の世の中の事象に対処する場合は、「正解」が必ずしも「最適解」ではないこともありますわね。
あと、高山さんという人がfacebookで岩田さんの行動と発言について反論というか注釈を書いてるのを読んだけど、あれ読んで、
「高山さんの言うことは『頑張ってるんだからそれは認めてほしい』という情緒論に過ぎない」
とか、
「非常時なんだからルールや理屈より正解を出す専門家に従うべきだ」
とか、なんか眠たいこと言ってる人がたくさんいるけど、組織で危機管理に携わったりその訓練を受けたりしたことがない人なのかなあ、と思います。
非常時こそ基本ルールを曲げちゃいけません。さらなる事故のもとになることが多いので。必ずなるとは言ってません。でも、多いんです。
岩田さんという人は、現場の指揮系統に沿わない行動をしたみたいなので、そこは良くなかったですね。フィクションの世界ならヒーローになれたんでしょうけれど(・_・)ゞ
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