私はなぜ動かずにはいられないのか
大阪の自宅より、、。
今日は社長との面談がありました。
去年の振り返りと、今年の方向性についての話し合いのためです。
その中で、「意外と周りからこういうところは評価されるなぁって思うところは?」と聞かれてあまりピンとくるものがなく、、。
うーん?と悩んでいたところ、社長から、
長所は「自分で考えて動くこと」、
短所も「自分で考えて動くこと」
というお言葉をいただきました。
言われてみると、確かに、、。
なぜ思い立ったらすぐ行動!という性格になったのかなぁ、、と振り返ると、いくつか理由が思い浮かびました。
そうすることで思いもよらないチャンスと出会ってきたから
家を出る時間が5分違っただけでも、その後の未来は大きく変わります。
私は駅の地図の前で行き先を確認していた時に、横に来た方をふと見たらずっと尊敬していて会いたかった方だったことがあります。
その方には、その場で挨拶をして名前を覚えていただくことができました。
その時の行き先はもちろんのこと、1本前の電車でも、後の電車でも、そのチャンスには出会えなかったのだと思うと、すごいことだなと思いました。
生き急いでいるから
「明日まで生きてそれで無理だと思ったら死のう」と思って1日1日を生きていた時期があるので、その時期の癖が抜けきれずにいるのかもしれません。
でも一番は今この瞬間の貴重さを感じてるからかも
お金は無限に増やせるけれど、
時間は貯金できないし、
同じ時間は2度とやってこない。
この時間を共に生きている人たちとは奇跡的な確率で出会っている。
それは大好きなバンプの曲の歌詞や、
ミヒャエル・エンデの「モモ」でも語られていることです。
この時間はかけがえのないもの。
自分の大好きな人や尊敬する人が、同じ時代に生きていることは奇跡だよなぁと思います。
これは私の友達の受け売りですが笑
例えば私は吉田松陰を尊敬しているのですが、残念ながら吉田松陰にはどうやっても会えません。夢でなら会えるかもしれませんが。
また、好きだったアーティストが解散したり、活動を休止したりというのも何度か経験しています。
「今」会いたい人には会いにいかないといけないし、伝えたいことは伝えた方がいい。
それに加えて、私は今、この時代だからこんなに幸せに暮らしていけてるタイプの人間だと思います。
運動神経ないし、体は弱いし、記憶力もない。
でも体を沢山使うタイプの仕事じゃない仕事で人から喜んでもらえて、記憶力はコンピューターに助けてもらえる。
今の時代に生まれてなかったら、きっと落第生だっただろうなぁと。
だから、この瞬間に生きて、何か人に求められることをできていることにも感謝しないといけないなと思うのです。
明日死ぬかも?
明日もし死んだとしても後悔しないか、ということを考えていきている方もいると思います。
私も一時期はそういう考え方だったのですが、今は少し違います。
最近はまだ死んでも死にきれん!という気持ちになれるようなことに取り組めているかどうか、と考えるようになりました。
人生は山あり谷ありで辛いこと、苦しいことは沢山あります。
そしてずっと「死にたい」と思っていた時期があったからこそ、「まだ死にたくない」と思うことのほうが難しいと感じるのです。
SHINGO★西成さんの「心とフトコロが寒い時こそ胸を張れ」の歌詞で
死は平等に訪れるから死ぬのは怖くは無いねんでも生きていくのが怖い日がある
という歌詞があるのですが、
共感出来すぎて初めて曲を聞いたとき泣いてしまいました。
長所でもあり短所でもある自分の特徴と向き合っていく
そんなこんなで、「自分で考えて動く」という特徴が良くも悪くもあるということを改めて自覚したので、
その特徴を活かしつつも、それによって起こるリスクは回避できるよう、工夫していこうと思います。