「無駄」が生きる力をくれる
大阪の自宅より、、。
今日は大学時代からの仲良し3人組で1日大阪ツアーを楽しみました。
3人のうちの1人が12月誕生日だったので、そのお祝いに「モノ」ではなく「体験」をプレゼントしよう、ということになり、このツアーを企画することに。
吉本漫才劇場→お好み焼き→繁昌亭というお笑いメインのツアー。
3人で沢山笑いました^^
友人も喜んでくれてよかった◎
そのツアーの中で、すごく印象に残っていることが1つ。
それは繁昌亭での演目の1つ「カンカラ三味線」の演者である岡大介さんの話。
カンカラ三味線は、どのようにして生まれたのか
カンカラ三味線は、胴が空き缶で出来ているちょっと変わった三味線です。
この楽器は沖縄で生まれました。
終戦直後、捕虜収容所での生活を強いられた沖縄の人々が生きる力を求めたものが「唄」でした。
そして、唄をうたうために、収容所内で手に入るものでなんとかして楽器をつくれないかと画策し、空き缶と、米軍のベットの木の部分、そして不要になったパラシュートの紐を弦につかって”カンカラ三線”を製作したのだそうです。
私自身が「唄」に命を救われた人間なので、この話は私の胸に強く響きました。
人間は「無駄」がないと生きられない生き物
人間は非合理・非効率な(実利には何の役にも立たない)要素があるから生きられるのだと思います。
それは、音楽や美術、文芸等の芸術であったり、お笑いやゲームなどのエンターテイメントであったり、、、。
そもそも「生きてること」自体が非合理なわけで(人間が生きてることが地球や宇宙にとって良いことなのかというとそんなわけないし)、そんな非合理な「生きる」ということを続けていけるのは非合理・非効率な要素のおかげなのではないかと思うのです。
効率や合理性は「生きる」ことを目的に生きる場合に必要な要素。
でも、「生きる」こと自体を生きる目的にできない生き物、それが人間だと思います。
以前に読んだ『「幸せをお金で買う」5つの授業』に、こんな内容があります。
ウィンスコンシン大学で現在進行中のお金の使い方の研究では、何にお金をつかっているかの支出選択と幸福度を関連づけたところ、支出の中で重要だったのは1つのカテゴリーだけでした。
それは、旅行、映画、スポーツイベントなどを含む研究者が「レジャー」と名付けたカテゴリーだったそうです。
だれかを幸せに、豊かにすることがビジネスの定義だとすれば、ビジネスをする上で、面白いと思えるもの、楽しいと思えるもの、美しいと思えるもの、、そういう「無駄」なものへの感度を高めることはとても大事だなと思うのでした。
明日からまた1週間がんばろう(¦3ꇤ[▓▓]