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潰す言葉、照らす言葉

 真っ直ぐ素直に真面目な人を、簡単に潰す方法をご存知だろうか。

若いピッチャーを潰すなんて簡単だよ。
癖があるって耳打ちしたら、勝手に自滅しちまうんだから。

 名探偵コナンの『物言わぬ航路(アニメ第371-372話)』で出てくるセリフだ。 
 事件の犯人である元エースピッチャーは、ある投手に「お前、投げるとき癖があるぞ」と言われ、ノイローゼになりそうなほど投球フォームをチェックしまくった。しかし結局、投球フォームの癖など見つからず、肩を壊して引退する。
 ところが後々になって、彼に「癖がある」と耳打ちした投手が出演したテレビ番組で上記のセリフを吐き、自身のフォームに癖なんかなかったのだと気づく。嘘に騙されて自滅したのだと思って「肩さえ壊さなければ」と考えるようになり、その恨みで彼を殺害してしまう。

 コナンだから、もちろんフィクションだ。けれどこのエピソードを観た当時、私は普通に起こり得ることだと思ったし、言葉の怖さを改めて覚えた。同時に、生真面目さと掛け合わさった、思い込みや行きすぎた謙虚——自信のなさは、時に自滅につながるのだと、初めて認識した。

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 たった一人の「あなたは至っていない」という言葉が妙に刺さって、抜け出せなくなってしまう。そういうことは、フィクションの世界や野球に限らず、往々にしてある。仕事、趣味、文章、勉強、本人の存在そのもの……何に対しても、そうした言葉が耳について自身の不足を感じ、「自分はまだ」「自分なんて」という思考グセがある人をこれまで複数見てきた。
 向上心とは、少し違う。謙虚とも少し違う。「自己肯定感」が低い、といえるのかもしれない。

 知らず知らずのうちに、大切に大切に抱え込んでしまっている指摘の言葉。悪意からきていることもあれば、親切心からきていることもある。マウンティングから出ていることもあれば、何の意図もなくただ無頓着に出てきただけなこともある。他人に言われることもあれば、自分が自分に対してそう声をかけてしまっていることもある。
 でも。その声は、あなたを愛しているのだろうか。

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 その状態にあると、なかなか「あなたは十分に力がある」「あなたにはありのままで価値がある」「あなたは、できる」といった言葉が、届かない。「ありがとう」の後に、「でも」と言われてしまう。そう言ってくれるのは、あなただからで、あなたが優しいからで、だけどやっぱり自分はまだ、自分なんか……。

 なぜだろう、1000の照らす言葉よりも、1の潰す言葉のほうが強いのだ。もどかしくて、仕方がない。
 照らす言葉は、なかなか届かない。どうしたら伝わるのだろう。どうしたら届くのだろう。

 本当は、それがとても難しいことなんて、100も承知している。私が以前、そうだったから。

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 私なんていてもいなくても世界は変わらなくて、私には価値はなくて。私はまだまだで、でもだからせめて、きちんとしなきゃ。きちんとしないと、本当にミリほどの価値もなくなってしまう……。
 そう思って肩肘張って、褒められれば卑下し、思い通りにことが運ばなければイラついた後に自己嫌悪に陥る。そしてより一層ちゃんとしなきゃと力が入る。そんな悪循環だった。

 一度、「つーちゃんって、〇〇だよね!」と褒めてもらったのに「いやいや、でも」と返していたら、3回目くらいで相手が急激に不機嫌になったことがある。そのとき、こう言われた。

「バカにしてる? 謙虚も、行き過ぎると卑屈で、周囲に対する嫌味だよ。つーちゃんのそれは、謙虚じゃない。卑屈になってるか、もし無邪気に本心で言っているなら、周囲が見えていない世間知らずだ」

 何を言われているのか、分からなかった。何を叱られているのかも、分からなかった。こんなにはっきり言ってもらって分からなかった私は周囲が見えていないバカだと今は思うけれど、でも自分に価値がないという意識に捉われていた当時の私は、事実しか返していないつもりだったから、面食らってしまった。
 けれど、言葉はものすごく響いた。じゃあ、どうすればいいのか、どうすればよかったのか。それからしばらく悶々としていた記憶がある。

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 転職し、インプロを始めたのはそのしばらく後だ。
 仕事では何度も先輩が「あなたはできるから。っていうかできてるから」「優秀だから」「小さなことで相談されて、それであなたを見下すこともなければあなたの価値が下がることもない」と伝えてくれた。インプロのワークショップでは「みんな一人ひとりが、ありのままで素敵なんだ」「あなたはただそこにいるだけで価値があるんだ」と幾度となく伝えられた。

 3年。その言葉が腑に落ちて、ただそのままその場にいられるようになるのに、3年かかった。
 言われたその場で、その言葉をひとまず受け取って頷いたり感謝したりできるまでに1年。でも、日常に戻るととすぐに引き戻されてしまう。そこから自分の身に染み込んで、居方・在り方に反映されるようになったと感じられるまで、3年が必要だった。

 今でも時折、卑屈な私が顔を出す。その度にトントンと小さな私の肩を叩き、必要なだけの臆病さと慎重さだけ置いてもらって、卑屈さんにはご退席願う。その繰り返しだ。
 ここまでくるのに人の力もたくさん借りて、時間も年単位でかかった。それでも小さな卑屈さんはまだ私の腹の中にいて、この子とはまだまだ長いお付き合いになりそうだ。
 それだけ「潰す言葉」の捉われから抜け出すには、時間も量も根気もかかる。

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 冒頭で紹介したコナンのエピソードでは、小五郎のおっちゃんが珍しく麻酔銃で眠らされることなく、コナンの言葉をヒントに事件を解決する。そして、犯人の元ピッチャーが動機を涙ながらに語った後に、おっちゃんが放った言葉がかっこいい。

ストッパーっていうのは、チームにとって最後の砦。
ボコボコに打たれようが、クソミソにやじられようが、次の試合で出番がくりゃ、平気な顔でマウンドに立たなきゃいけねーんだ!

 人に対して、1の言葉をドカンと飛ばせるほどに相手を照らす説得性と安心感、信頼感のある存在になりたい。それだけの実力が欲しい。能力が、経験が、実力が……。
 ずっとそう思っていたけれど、そうじゃない。
 結局、諦めることなく何度でも立ち上がって、ひたすら投げ続けるしかないようだ。
 そうして、言葉を伝えるだけでなく、我武者羅になってできることは全部やる。そうやってただ待っている。それしか、できることはないのかもしれない。

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