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カメラマン
大学3年生の頃、キッズモデル撮影のアシスタントをしていた。
現場の人数はその日や会場によって異なるけれど、だいたいディレクターが1人、カメラマンが3〜4人、アシスタントが3〜4人。
3回もアシスタントに入れば、チームはみんな顔見知りになった。私が所属していたチームのカメラマンは、みんなフリーランスだった。
「カメラマンなんて、すぐなれるよ」
あるとき、よくアシスタントについていた男性カメラマンがそう話した。
「つーちゃんでも、今日からなれる」
一緒にいた女性カメラマンも「そうそう」と頷く。どういうことなのか、どうしたらなれるのか。
「カメラマンですって言ったら、もうカメラマン。資格がある仕事じゃないからさ。つーちゃんの持ってる60Dでだってなれるよ。それで1円でももらったら、プロカメラマン」
彼は笑うように言った。女性カメラマンも「そうそう」と頷く。
私が持っているCANON 60Dは、センサーサイズはAPS-Cで、セミプロ向けと言われるグレード。宣伝広告のコピーは「趣味なら、本気で。」だった。そのコピーが好きで、60Dにした。
セミプロターゲット。「趣味なら」。それでカメラマンと言えるのか。ここのカメラマンはみんな、フルサイズセンサーの5Dや1Dを使っているではないか。
「ただカメラマンっていうだけなら、カメラは関係ないんだよ。写ルンですでも、コンデジでも、スマホでも、写真を撮ってそれに誰かが報酬をつけてくれたら、それでプロカメラマン」
簡単そうに言って、続ける。
「ただし、カメラマンには誰でもなれるけど、そこでプロとして続けていけるかどうかは別の話だけどな」
ニヤッと笑う彼。「そうなんだよね」と頷く彼女。
そうか。独学でプロカメラマンを名乗り、SNSで依頼を募って発信する人が増えてきた時代。「誰でもなれる」は彼らの本心だけど、同時に「誰にでもできると思うなよ」というのもまた、彼らの思いなのだろう。玉石混交に増えるカメラマンを、“カメラマン”ということは許容しながらも、食らいつかないと“プロカメラマン”として認めてやらないぞ、という静かな戦闘心のようなものを感じた。
「もし、つーちゃんがカメラマンになりたいんなら、全然教えるよ」
彼の口元は笑いながらも、その目は真っ直ぐだった。彼女も「そうだよ」と頷く。
「ここでアシスタントが続いてる子なら、なれるし、ある程度まではちゃんと上手くなる」
実際にそのチームでアシスタントをしていたところから、カメラマンとしてデビューすることになった子もいた。私が入っている1年ちょっとの間に、2人のデビューを見た。チームのカメラマンみんながアドバイスし、支えていた。
「教えてあげるよ」。それは、彼らの本気だった。
ただ、彼らには、私が写真撮影に関心がありつつもそれを仕事にとまでは思っていないことも、見通されていたような気がする。それでも、それも良しとしてくれていた。
「この現場は、ギャラは高くはないんだけど、毎週コンスタントにあるのがいいんだよ。それに、みんな仲間で楽しいからな」
ほうほう、そうか。なるほど。やっぱり、ここ楽しいよな、体力的にはしんどいけど。そう思って聞いていたら、ちょこっと小突かれた。
「ちゃんとその中につーちゃん入ってんの、わかってる?」
「私はさ、つーちゃんのことバイトだとか後輩だとかじゃなくて、友達だと思っているからさ」
笑ってそんなことを言いながら、撮影後に一緒にご飯に連れていってくれたり。そこでお酒も飲んだりしたら、その日のバイト代が半分くらいなくなったり。それもまた、楽しかった。
一人ひとりがバラバラで、だけど集まったときはチームになって、自分の活動もチームの活動もある。「あいつのああいうとこ、敵わないんだよ」「子供との距離感がさ、すごいんだよね。すぐ上達するよ」なんて悔しがったり褒めあったり。協力し合い、教えながら、経験とは関係なく全員をライバルだとも思っている。
自由で、強くて、優しくて、厳しい世界だと思った。それを自分たちで選んで活動していることがまた、いいなと思った。
あれから、10年ちょっと。今はその時のチームのカメラマンたちも、アシスタントたちも、それぞれに別の活動をしている様子。ステージ撮影に軸足を移した人もいれば、出身地に帰ってスタジオを持った人もいる。
彼らは、あの時の会話を今でも覚えているだろうか。
私にとっては、視野の変わる時間だった。その厳しい世界で生きているプロが、私のことも撮影チームの仲間だと言ってくれたことが、人として友達だと言ってもらえたことが、どれだけうれしかったか。
「カメラマンには誰でもなれる」という話を聞いたとき、厳しい世界だと思った私も、今ではライター・編集者だ。扱うものは異なるけれど、資格がなくて自分で名乗ったらその日からその職業になれるものに、気がついたらなってしまった。
最近は「カメラマン」という言葉を、担当する記事によっては、かなり意識して「フォトグラファー」と変えていることがある。特にYouTubeなどで動画の撮影者も増えてきたことから、写真か動画かわかりやすいように「フォトグラファー」と区別することが増えてきた。あるいは、ジェンダーの観点から「フォトグラファー」とするほうが好まれることもある。
けれど、今日のnoteは「カメラマン」にすると、最初から決めていた。
だって、私が一緒に駆け回って仕事をし、キッズモデルを撮影してきた彼らは、男性も女性も自分のことを「カメラマン」と言っていたのだから。その言葉には、ジェンダーやなんやとは関係なく、ある種の矜持を感じていたのだから。
やっぱり、彼らは「カメラマン」なのだ。
「ただし、カメラマンには誰でもなれるけど、そこでプロとして続けていけるかどうかは別の話だけどな」
私は、「カメラマン」を「ライター・編集者」に置き換えて、同じセリフを言えるだろうか。言える私であらなければ。この時の言葉と景色が、私の中の一つの指標だ。