小学校卒業まで堺市で育ちました。 大浜の辺りです。 阪神高速道路を挟んだ向こうに臨海工業地帯。 当時住んでいた公団の窓から見えたのは、ポートボールや一輪車の練習をしてる同世代の子達。 高速道路の向こう側には漁港、漁で獲れた魚等の販売やバーベキューができるとれとれ市場。 そこで生まれて初めて食べたサザエの苦い味、醤油の香ばしい匂いはずっと忘れられません。 低学年の頃、ばあちゃんと漁港側へ渡った時、野犬数匹に囲まれたことがありました。 マンガかいうぐらい四方を囲まれ大
小学生の頃、ご近所で仲の良い1つ年下のAと毎日登校していた。 決まりごとは交代でお互いの家まで迎えに行くこと。その日はAが家に来てくれる日だった。 朝御飯を食べて学校に行く準備をしていると、同じ階に住む自治会長さんが慌てた様子でうちの祖母を呼びに来た。 玄関先のやりとりに聞き耳をたてる。 どうやら隣の建物との間で人が亡くなっているらしい。 ほどなくしてAが到着、ついさっきの出来事に後ろ髪引かれながらエレベーターに向かう。 エレベーターを待つ間、興味本位で少し背伸びして
2021年に入り、あっという間に2月になってしまった。 今年は丑年。牛。特に黒牛が小さい頃から好き。 祖母の実家は鹿児島県薩摩郡(現・薩摩川内市)で、小学校に上がる前までは飛行機や夜行列車で何度か祖母に連れられ里帰りした。 祖母の弟が車で迎えに来てくれて、空港からなら車で50分ほど。周りには何もなかったが自然豊かな環境に建つ平屋の家はなかなか立派だった。 曾祖母がまだ元気だった頃は敷地内に牛舎があり、黒牛を4頭ほど飼育していた。 その昔は牛だけでなく豚や鶏も育ててい
九州出身の同居人は地蔵盆を知らなかった。 地域の子供達の成長や健康を願う夏の行事。子供が主役のお祭り。 関西地方で盛んだというのは子供の頃は知らなかったし、地元を離れ、地蔵盆というワード自体すっかり抜け落ちていたが、色々調べているうちに懐かしい言葉に辿り着いた。 お地蔵さんにお供えして。きれいな提灯をぶら下げて。 地域のご老人が集い世間話をする傍ら、子供達はキャッキャとはしゃいでいる和やかな風景。 今年はコロナの影響で中止になるところも多いのだろう。 地蔵盆で思い
休日、家族で買い物というと南海本線堺駅最寄りのイトーヨーカドーだった。 祖母と2人の時は徒歩、両親となら車。 立体駐車場をスイーッと登っていく瞬間は子供からするとちょっとしたアトラクションのようで楽しかった。 ヨーカドーに来ると必ず、1階のマクドナルドか最上階のレストラン街でご飯を食べる。 ファミレス、うどん、イタリアン、お好み焼き。 レストラン街と同じ階にある屋上遊園地で時々遊ばせてもらった。 どんなのがあったかなぁ…ハンドルが付いたパンダには乗ったかな? 3階
森山直太朗の「さくら 独唱」がヒットしている頃、祖父は亡くなった。 病院で亡くなった知らせを聞いた時ちょうどテレビで流れていたのでよく覚えている。 普段はおっとりした優しい人だったが、ニコチンが切れるとよくテーブルや襖を蹴飛ばし悪態をついては祖母を困らせていた。 タバコ一箱渡してしまうとあっという間になくなってしまうので、祖母が心配して部屋のどこかに隠すのだが、そこは暴れたもん勝ち。 物にはあたるものの家族には手は出さない…は徹底しているようだった。 私が小さい頃は運
10歳の頃、幽霊らしきものを見た。 晩御飯前に眠ってしまったらしい。 台所から母が洗い物をしている音がして、暗い部屋で目を覚ました。 今はあまり見かけないが、ベランダの窓の上部に換気用の小窓があった。 その小窓の辺りに緑色した若い男の顔がぼんやりと浮かび、無の表情で私を見下げいていた。 横になっている私と完全に目があった。 ギョッとして台所にいる母の元へ急いで駆け寄る。 一瞬父のイタズラかもと思ったが、父は隣の部屋でいつものように楽な体勢でスーパーファミコンを楽し
小学校卒業まで大浜で過ごした12年の間、狭い範囲の中で住居を転々とした。 小4くらいの頃、大浜公園のすぐ近くのマンションで暮らした。今はマンション名が変わっているようだ。 母の幼馴染みEちゃんが同じマンションにおり、その子供同士年齢も近く仲も良かったので、休みの日はしょっちゅうEちゃんの部屋に入り浸った。 マンションの横には小さなお弁当屋兼売店があった。 店の名前も覚えてない。現在も営業されているかはわからない。 時々父におつかいを頼まれ、お弁当を買いに行った。
以前書いた白団(白い団地)、黒団(黒い団地)の前に公園がある。 すべり台、砂場、ブランコ、鉄棒、吊り輪…普通の公園。 蝉採り、花火、逆上がりの練習、砂場の脇で行き交うアリを眺めたり、アリの巣の入り口を埋めたりして遊んだ。(アリさんごめんね) 夏には小さめのやぐらを立てて盆踊り。 河内家菊水丸さんが来てくれた気がするが、違う地域と記憶がごっちゃになっているかもしれない。 公園のすみに地域の大人達が用意してくれたバーベキューやおにぎりの味が懐かしい。 冷めきった牛の肉
★南海本線湊駅最寄りにある町の本屋さん、 一心堂(いっしんどう)書店。 小学生の頃、自転車でよくマンガや雑誌を買いに行った。 店主との思い出は残念ながら特に無いが、現在も変わらず営業中というだけでなんだか嬉しくなる。 Myojo、花とゆめ、アニメ関連の本、ミステリー小説、るろうに剣心… ここで高橋留美子先生の『らんま1/2』の単行本表紙を見てひとめぼれする。 個性豊かで魅力的なキャラクターとアイデア満載のストーリーに一気に引き込まれた。 小学生には無縁と思われる"
家族で晩御飯を食べに行く時は専ら"北京"というお店だった。 南海本線湊駅最寄、昔からある海水の銭湯・湊潮湯の道路を挟んで反対側にあった中華料理屋さん。 ネット検索してみた。 随分前に閉店しているっぽいがお店の情報がない。現在はセブンイレブンになっているところに北京があった気がする。 お座敷とテーブルがいくつかある、それなりに広いお店だったと思う。 あんまり賑わっていた記憶はない(失礼) 酢豚がメインのBセット(ワンプレート)が好きでそればかり食べていた。 酢豚以外に
NHK『グレーテルのかまど』で先日放送された 〈片岡愛之助のくるみ餅〉 片岡愛之助さんは堺市神南辺町のご出身。 番組冒頭には旧堺燈台、天王寺行きの阪堺(チンチン)電車、千利休屋敷跡などが映り、後半には愛之助さん自身が大浜公園を訪れ、そこで今は亡きご両親への想いを語っていた。 くるみが入っているわけでは無く、うぐいす色の餡にくるまれたくるみ餅。 愛之助さんがくるみ餅を食べていたお店はおそらく新在家町にある老舗かん袋さん。 くるみ餅以外にも芥子(けし)餅や、英彰小学校向
大浜南町の白い団地"白団"の1階奥にうどん屋がある。 小さい頃は意識していなかったが、店名は竹生(ちくぶ)さんというらしい。 こちらも理容室KONDOさんと同じく変わらず営業中されているよう。 祖父母に時々連れていってもらった。 決まって食べるのは肉うどん。 名前のとおりうどんに牛肉がのっている。 他のメニューを覚えてないくらいこればかり食べていた気がする。 カウンターといくつかのテーブル席。 店内に写楽の大きな絵が飾ってあった記憶。 それをチラチラと見ながら、
生まれてから数年は大浜の公団住宅で両親と暮らした。 白い団地だから通称"白団"。 その真横には白団より階数が少ない"黒団"(黒というか茶色い建物)があり、黒団の方に祖父母が住んでいた。 (通称…とか書いてますが、昔も今もそう呼ばれていたのか定かではありません。) 白団の1階には、理容室KONDO、コンビニ的なKマート、同じ学校の女の子の家族が営む喫茶店みたいなのもあったかな。 Kマートはいつも明るくて優しいおばちゃんが居て、りぼん、なかよし、ボンボンやコロコロコミッ