妖怪

妖怪の具現化する元は人の噂であるとされているならば、妖怪は日本に伝わる言霊というものの集合体であると言える、妖怪は現実に起こりうるものを元に出来ているので、言霊には質量、そして物体に干渉する力、簡単にいうと骨肉のような組織が存在していると言える、その組織を言葉の力、言力と名づけよう、それは妖怪を実態とする力であり、妖怪を現世に繋ぎ止めるいわば生命力である、では、怨霊と妖怪の違いは何だろうか、私は自発的な言力であるか、多発的な言力であるかの違いだと考えた。怨霊は他人に対する単独からの恨み辛みの集まりで、妖怪は色々な人間からの一点の現象、動物などに対する考えもとい言力が集まってできたものだ。もう一つ妖怪と怨霊には違いがある、江戸時代の書物や浮世絵などを見ると、怨霊には足がなく、煙のような描写で描かれている、対して妖怪は、動物であろうが人間であろうが大体の妖怪には足がある、なぜか、それは質量の有無である、妖怪は人が他人に対して噂するものやその現象を起こすものに対しての発言を行い、それによって生まれる言力の向かう先が現象を起こす対象物であるからその言力が染み入って組織として構成され、妖怪となる、だとすれば怨霊はどうだろう、その昔江戸時代は上下関係が厳しく、その場で思ったことを発言すればすぐに首が飛ぶ社会(超絶省略)であった、そんな社会ではストレスも多く、恨みなどは主に内面に残るものである、つまり、怨霊は、死に絶えてから肉体を消失し、質量を持たない内面に残っていたものだけが浮いている状態である、それらは元々肉体の内面に作用すると同様に見た相手の内面に作用する、現代の漫画や物語などにある、気分が落ち込む、肩、足が重いなどの症状が怨霊のものとされているのもまた怨霊の力は人間の内面に作用するためと考えられる、では化け物、例えば狸、狐、鼬、一部の猫などは一般的に長く生きると、妖怪になり人を化かすことができると言われているが、なぜ妖怪になるのか、これは前の妖怪ができる原理と同じで、化かすと言われている動物は総じて雑食であり、よく人の前に現れてイタズラをして逃げる、これに対して人は一時的に怒りの感情を露わにし、コラーーー!!など、声を荒げて追い払おうとする。このちょっとした言葉が長年生きていたずらを繰り返すたびに言力が溜まり、動物の中に組織として、力が芽生える、人間にわかりやすく言うと、100歳生きたら腕がもう一対生えます的な感じである。このように、力が実在するのであれば(重要)言霊というものには質量があり、組織として別の働きをする箇所があり、それは言葉の種類によって動かし方、強さが変わるのだ、ということで前述に実在するのであれば(重要)などと書いたが、この力は現代にも微かに実在するのだ、そんなのどこにあんだよこの馬鹿野郎!やっぱさすが低学歴だわwwwwと思ったところだろうが一回読んでみてほしい、着眼点が単純すぎて何の工夫も無いのは自覚している。
質量を持った言霊及び言力が実在していると言える事象の例がある、それは誹謗中傷の場面である。だが、昔の言力と現代の言力というのは比較的違う部分が多いのだ、それは自己生産することが多いという点だ、現代のSNSは主に文字を使って会話をし、その文字から相手の意思を汲み取ったりして自分の理解の範疇まで落として内容を理解し、自分から発言を相手に送る準備をする、そのような液晶を挟んだ工程と液晶を挟まない工程には大きな差がある。液晶を挟まない場合、ほぼ脳みそからノータイムで言葉に出せることもあれば、少し考えて言葉に出すこともある、それと比べて液晶を挟むと、そこに入力する工程が入り、脳の回転が遅くなる、すると嫌でも相手の言うことを理解してしまうのだ。

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