じぇんだ

中高生等の感情や変化が激しく、ストレスに耐性が低く何かと不安を感じやすく、自分の存在を誰もが知る名前に当てはめたい時期に、明らかに新しくて違和感から派生する行動、言葉であるトランスジェンダーに、シンパシーを感じるのではないかな。明らかにそういう奴が多くなっている気がする。自分の中にある形容しようも無い虚無感とそれに対しての不安と周り見て思う焦りをごっちゃにして何か固有名詞で言い訳できるもののせいにしたくて、周りとズレている、これはなんだ、私は男(女)に生まれたくなかったんだ、と思う人間が生まれるんじゃないかね。勿論そういう時期より前からただそういう思考だった人とかは教育とか環境があったんだろうけどね、本当に感覚的な話だけど、最近多くね?って思い始めてるのだよ、実際男が好きだから、女が好きだから、っていう理由で固有名詞に縛られることは悪いことじゃないしむしろ勝手にしてくれって感じなんだけど、それ盾にしてるやつとかどうなの?とはなるのだよ、違うってわかってんだから違うなら違うなりに自分を変えるなり受け入れるなりできないん?って、だから昔からとかじゃなくて、その時期にそう目覚めた人ってなんか性別違和に対してにわかっていうか言い訳みたいな使い方をしている人が1部いると思うんだよ、実際周りに何人かいるのも事実だしな、それに男なら男らしくとか押し付けるのは違うし、本人の好きにしておけばいいんだけど、配慮とかそういうのは最低限はするよ、するけど求めすぎなやつがさらに1部いるんだよな。逆にいらんって人はもういらんって言うから好き。

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