もどかしい
このよく分からないけどよくわからん感情について考える。ぱちぱちぱち〜
まずもどかしいとは、思い通りにならないためにイライラする。歯がゆい、などの感情だそうだ、ではなぜもどかしいという感情が起きるのか考えよう。まずもどかしい状況にあるものは、そのもどかしいという気持ちを持った本人の中にある絶対にやり遂げたいと思う目標もとい意思である。じゃなけりゃもどかしくてイライラする前に諦めるよね。そしてやりたいことからだんだん物事が逸れていくということはやりたいこと、という目標はある意味他者からすれば鎖のような物になる。その人はやりたいことというプラスな考え方ができる訳だが、他者からすれば1つの目標。欲求に執着する姿だけが映り、憐れな感情を抱くのだろう。ただそのうち本人もその場では自分の目標は邪魔になるのだと気づいてくる。ただそれを成し遂げたいという欲求は少なくとも残り、思い残す。そして本人はその目標を持った自分に後悔し、自虐に走る、その縛られた鎖を本人は俯瞰して認知し、鎖があるとわかった瞬間に解こうとするため。皮膚にめり込み自分に傷を作る。実際。物事が進んでいるのであれば自分の目標に対して自信を喪失し。誰でもこの状態まで一瞬で落ちることができるので。余程プライドと自己肯定感が高い人間でない限り。もどかしいという感情は湧かないのだろう。自己肯定感が低いが生み出した物に自信があるというタイプの人はこの感情にかなり困ることだろう。ただ別に悪いことではなく。むしろプライドも自己肯定感も高い人間は疑うことをしないため。かなりいい加減な案や意見を出してそれを押し通してしまう場合が多い。(たまに良案を出す人こともあるため。一概には言えないが大多数がそうであるとは言えない)少し話が逸れたので戻そう。もどかしいという感情を体系的にすると。気づいたらまとわりついていた鎖を剥がそうとして哀れに悶え苦しむという姿になる。他者からすればこのように哀れに思えるが、本人は正しいと思っていたことの正当性を守ろうと、届かない物に手を伸ばし。葛藤しながらなんとか自分で巻いた鎖を解こうと健気に頑張っているのだ、なのでもどかしいなどの感情を持っているんだろうなと察したら嘲笑するのはやめよう。シンプルにデリカシーが無い人間になる。今考えていた部分は基本的に本気でもどかしいと思っている表現から考えたものだが、よく本などでも見る文として「靴を履くのももどかしく、外へ走り出す」などの表現が登場するが、これはもどかしい時に感じる仕組みをすっ飛ばした、少しずつストレスが溜まり、イライラするという部分を比喩表現として使っていたがいつか意味が似てきて段々同じような物になったのだと推測した。要するに仕組み的には全く別のものだが。見た感じ一緒という事だ。文章蛇足すぎてすまんね
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