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作る楽しみか、集める楽しみか

私は、プラモデルを作るし、併せてフィギュアも集めている。
高校生のころからプラモデルは作り続けているが、昔ほど作る時間がなくて、プラモデルを全塗装したり、ジオラマ作ったりはできなくなっている。
悩ましい。

それもあって最近ガンプラ作るときにお手軽フィニッシュとして、「白以外のパーツの塗る」や「スミ入れデカールで済ませる」ということをやることが多くなった。

ふと思ってきたのが、
「こんな調子ならプラモデル作る意味あるのか?」と心に隕石が落ちてきた。
フィギュア買っておいといたほうが満足なのでは?とも思えてきた。

これはプラモデルの出来が良くなりが組み立てるだけで良くなったという要因もあるだろう。
その上、私自身飾る場所がないので一眼レフで撮影してSNSに投稿!そこで完結しているのもあるかもしれない。(頑張っても次もあるし〜というような気持ちはある)

今、その迷いを改めて整理し、立ち直るべくこのnoteに戯言を書き記していこう。

プラモデルを作る意義とは?

そもそもプラモデルを作る意義は何なのだろうか?
プラモデルとは一般的に「組み立てるもの」である。
悪く言えば手間がかかるのである。

作る喜び

やはりこれに尽きるとは思う。
今でこそサクサク作れるので感じなくなってきてはいるが、
きれいにシールが貼れた!うまくゲート跡を処理できた!
というだけでも嬉しいものなのである。

愛着が湧く

やはり作ると愛着が湧くのだ。
特に塗装とかしてなんとか仕上げた作品は愛着が湧く。
フィギュアもそういう事が出来ないわけではないが、やりやすさはプラモデルに軍配が上がるだろう。

楽しみのピークのタイミングがいくつかある

例えば1つのプラモデルキットが、発売発表されてから届くまでのプロセスに沿って考えてみよう。

  • 発売が決まったとき

  • 予約したとき

  • 待ってる間

  • 手元に届いたとき(orおみせで買えたとき)

  • 箱を開けたとき

  • 作り終えたとき

  • 完成させて写真を撮ったとき

  • SNSに上げたとき など

など複数の「ワクワク」のタイミングが存在する。

もちろん作り終えるまでに挫折するタイミングがいくつもあるのだが、
タイミングタイミングで楽しいと思えるタイミングがある

これはフィギュアよりも多いと思う。
(もちろん作る辛さはないのだか…)

作る辛さ

基本的に作ることはめんどくさいのである。
撮影するのもめんどくさいのである


撮影ブースこそ出来上がっているものの、光の当て方やポージングを考えたりするのがすごく大変…
おまけになんか違うなあ…と思うことが多く基本的には、いつものポーズやこの機体なら~というポーズに落ち着いてしまう。

完成とは妥協の連続なのである。


でもフィギュアもいいよね


同様の観点で見ていくと、フィギュアもフィギュアならではの良さがある

クオリティが担保されている

基本的に、「つくる」ことが一切ないので箱から出してあげればすぐ動かせる。(or非可動のものは終わりですが。)



ホントに数多くのフィギュアがある

プラモデルだと発売されないけど~フィギュアなら何とか~というケースは結構ある。
フィギュアだと人体系のほうが多いということはおおいか
フィギュアはシリーズや人気作品の勢いで出るケースは多いのかなと

デメリットとして

  • 箱が捨てられないのでかさばる(箱含めて商品なので…)

  • 作る手間がないので、すぐ飽きる(ここは価値観はあるかもですが)

  • 高い(プラモも高くなってきているが、フィギュアは一万越えは当たり前になってきてしまったので…)


まとめ

プラモデルは作ることで愛着がわくという一方、大変なのである。
フィギュアは作る手間がないが、飽きやすい と私は思う

まあ、どちらにも言えることは
1つ買ってしまうと、それの仲間orシリーズを集めたくなったり、バージョン替えが欲しくなったりするので
どんどん増えていく「沼」なのである。

これはもはや
DNAに刻まれた性なのかもしれない。


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