承認欲求の奴隷になると人は空っぽになる

小難しい本を読む。奇を衒ったファッションを身につける。誰も聞いてなさそうな音楽を聴く。そして、僕はこう思う。周りの奴らとは俺は違うんだと。
でも実際は周りの奴らとおんなじなんだ。空っぽなんだ。中身なんてないんだ。全て付け焼き刃で、口先だけで、ボキャブラリーだけで、博識になった気になる。村上春樹の1Q84にある「説明されないとわからないものはわかっていないことと同じだ」のように。
承認欲求の奴隷になってしまうと、他の人と違うことが是になり、注目を集めようとする。が、そこで寄ってたかってくる人間なんて野次馬と同然。物珍しくなくなれば、すぐにさっていってしまう。そうなると、より、承認欲求はエスカレートしていく。どうして認められないんだ、どうして注目してもらえないんだと。そして、歳を取り、中身のない人間になっていく。

今私が言えること、それは承認欲求からくるカルチャーを身につけるのではなくて、本当に好きなものを信じること、たとえそれがみんなと同じでも。が大切であると思う。あるいは全く違った傾向で、誰にも認められなくても好きでいられるものを選んでいくべきなのだと思う。世間の目なんて気にするな。褒められようともするな。信じたものをちゃんと愛してやれ。そして、その愛せた自分を褒めてやれ。自分で自分を承認することができたら、それでいいのだと私は思う。

そしてもう一つ。たとえ付け焼き刃で、他人から褒めてもらう自分に酔いしれるためだけのものだとしても、それさえ自覚していれば良いのだと思う。それも結局自己満足につながるから。

一番まずいのは人間の本質は全て空っぽのはずなのにあたかも自分は他の奴らとは違うと考えることだ。皆根本は同じで、それでもアイデンティティを見出したいから他人と違う存在になろうとする。その努力を客観的に理解し、俯瞰し、それを愛そうと心がけることが大事なのだと思う。

深夜テンションでばーっとかきました。何言ってんだろ。お休みなさい。あしたには恥ずかしくなっている文章。それでも夜は明ける。

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