興味がないと言いながら、なぜ「アウトローのワイン論」を読んだのか
こんばんは、じんわりです。
ご無沙汰しています。
更新が滞る中、幣ブログをチェックして頂きありがとうございます。
ブログテーマのストックはいろいろあるのですが、ここ数週間何かを綴りたいという気持ちになれずにいました。
マンネリでしょうかね(笑)
最近、所謂「自然派」という括り、概念や成り立ちに興味が出てきまして、周辺を調べていたところ、一冊の文庫本に出会いました。その本は「アウトローのワイン論」というタイトルで、昨年ご逝去された勝山晋作氏の著書です(厳密には「聞き書き」という形式で、土田美登世氏がライターとして談話をまとめていらっしゃるようです)。
本稿では著作権に配慮して極力内容詳細には触れませんが、同著のテーマに沿って&読後に私が思うこと、考えさせられたことを綴っていこうと思います。ご興味があれば本稿と併せて同著もお読み頂いては如何でしょうか。
ワイン業界の中の人とか宣っときながら、私はこの本に出会うまで勝山氏のことを存じ上げませんでした(恥)。インターネット上では「自然派ワインの牽引者」や「伝道師」と称されていますので、所謂自然派ワインを日本で紹介提供することにおいて先駆者的な方だったのでしょう。
所謂自然派と自称他称される方々の言説がどのようなものか、自然派という括りはどのようなものか、所謂自然派ワインの何が具体的に良いのか、を学びたくて購読することにしました。
「自然派」という言葉に対して特別ポジティブな感情はなく、ナチュラルな造りを想起させる枕詞があってもなくても「ワインはワイン」というのが私の持論です。むしろ私は、「自然派」や類似する枕詞(「ビオ」「”自然”発酵」など)がつく人々やワインに対しては自ずとネガティブな脊髄反射をしてしまうように教育されてしまっています。
マーケティングとして自然=良いものを想起させる反面、価格相応の中身品質=おいしさが伴っていないワインが散見され、ナチュラル訴求をしないワイン(以降、便宜上「普通のワイン」と形容しますね)に比べて大きな差がないか、むしろハズレ率が高い印象を持っていることも「自然」という枕詞にネガティブな脊髄反射をしてしまう理由の一つなのですね。
「添加物使用を極力減らしている」ことを理由に「自然な造り」を想起させる売り方も散見されますね。おいしさを損なわずに添加物使用を極力減らす試みは良いことだと思いますが、それは「普通のワイン」造りでも当たり前のように行われている、というのが私の仕事場経験を通しての持論です。なんだか誇大広告のように感じてしまうのですね。
『「自然」「ナチュラル」「オーガニック」といった自然な造りを想起させる言葉は、ある意味中身品質=おいしさを必ず保証するものではないので、目の前にあるワインが「自然派」であるかどうかに強い興味はない』という考え方とも言えるでしょうか。
では、強い興味がないのになぜ「自然派」について学んだり、投稿したりするのか?
それは「避けられないから」なのだと思います。
私がワイン業界に入りたての頃は「自然派」や「オーガニック」などという謳いのワインは今ほど多くありませんでしたが、今や大手企業も「オーガニック」でキャンペーンを張る程、一部マニアだけのものでなく一般にも認知されつつあるジャンルだと感じています。
最近始めたSNSの影響も大きいですね。そこでは消費者さんのご興味や私とは異なる考えを持った業界人の方々の思いが毎日私の中に飛び込んできます。
ワイン以外の産業に目を向けても、「ナチュラル」「オーガニック」「サステナブル」といったキーワードは近年徐々に勢力を強めている印象を持ちます。例えば、ワイン以外の加工食品業界においても、海外の「添加物不使用/使用減」の製品カテゴリは、一昔前に比べると徐々に勢力を拡大してきているように感じられます。
日本ではこのカテゴリの市場規模はまだそれほど大きくない印象です。食品を製造する側がコストや製品品質基準の点から添加物を手放せない、かつ、まだ市場から添加物フリーの強い要請を受けていないのでしょう。例えば某製パン企業さんが「添加物不使用」についての問題提起(どちらかというと添加物を肯定する見解)を公表したことで話題になったりもしましたが、「添加物不使用/使用減」を謳う加工食品の日本での市場規模はいずれ無視できない大きさになっていくだろうと私は見ています。
これは日本のワイン市場にもあてはまることだと考えています。おいしいことは当然で、さらに何等か「ナチュラル」であることを小売店さん、飲食店さんや消費者さんが「漠然と」求めてくるのではないか。その盲目的なナチュラル志向がマジョリティになる日がいずれやって来るのではないかと予想しているのですね。
私はそうなることを望んではいませんが、一般消費者さんや社会背景が引き起こすトレンドは私一人がジタバタしても変えられないものです。変えられないのならば、その流れの中で自身が出来ることを考えた方が良いだろう、というのが私の今の思いです。
実際には、私の予想通りにならない=日本のワイン市場における「ナチュラル要請」は今以上にエスカレートしないかもしれませんが・・・。
氏のバックグラウンドについて
インターネット上では「祥瑞」などの飲食店オーナーとしての肩書や自然派ワインの催事「FESTIVIN」の主宰として紹介されることが多いように見受けれられます。本著のタイトルや氏の触れ込みを拝見した時点の正直な第一印象は「う~ん、怪しい・・・」でした、とても失礼ながら(汗)。
しかし、私の第一印象が大間違いでした。
氏のワイン業界でのキャリアはナショナル麻布(*)で酒類販売部に配属されたことから始まったそうです。そのうち仕入れも任されるようになり、インターネットがない時代に海外誌や書籍を手に入れ独学されただけでなく、品定めのためのガチガチなテイスティングを毎日こなされていたとのこと。
(*)東京広尾にある外国製品を豊富に扱うスーパー。親会社はなんと映画モンドヴィーノのDVD国内販売元である東北新社。
ライター氏の追記を含め科学的に疑問を感じる部分(そもそも科学的なスタンスで語られた著書ではないですね)や私の持論と異なる部分もありましたが、コメントの随所にワインの仕事で場数を踏んでいる人特有の説得力があり、雰囲気だけで曖昧に語っている方ではないことが伝わってきます。
どのようなバックグラウンドであってもワインの場数を踏んでいる方、たくさんの種類のワインを経験している方のお話はやはり説得力が出てくるものですね。それは一般消費者さんでも然りですね。しかもその場数が日々の真剣勝負であればなおのこと。数をこなすことはワインと仲良くなる近道だなと再認識させられました。
何より、読後に一番印象に残ったのは氏の人柄でしょうか。同著からは非常に懐が深くバランスのとれた人となりを感じられました。もしかするとライターの土田氏は最もそれを読者さんに伝えたかったのかもしれません。
ご自身の嗜好として所謂ヴァン・ナチュールというもの(ご自身もしくは土田氏の(?)定義がおありのようです)に惚れ込んでいらっしゃる反面、所謂「自然派」や「ナチュラル」や「オーガニック」という曖昧かつ無節操な形容やジャンル分けに対しては、客観的に問題意識をお持ちになっていたようです。
また、所謂ヴァン・ナチュールではないワインの造り手に対しても思いやりのあるコメントを残されているようでした。自分の好みにはとことん拘る、でも他人様にそれを押し付けない、ということでしょう。そうありたいものですね。
同著には私が知りたかった以下の事柄も言及されていました。
・ヴァン・ナチュール(私の中では≒所謂自然派ワイン)と呼ばれるワインや思想のはじまり
・ヴァン・ナチュールの何が人を惹きつけるのか? → 「あれ」
もちろん、これらは著者らが知り得る限りの情報であり氏が主張する主観であるので、どこまで正確かという疑問はありますが、エッセイとして読むものですし、所謂自然派について何も知らなかった私にとっては充実した学びの機会でした。
これからも、できるだけニュートラルな立場で所謂自然派ワインに纏わる記事を綴っていこうと思います。
ヴァン・ナチュールの巨匠に さんて!
そして、R.I.P.
じんわり
関連稿: いわゆるナチュラルワインについて
以下、ビギナーさん向けの投稿ですが、今後もう少し突っ込んだ内容のものを書こうかなと思っています。
以降に文章はありません。
本稿は全文無料公開しつつ「投げ銭」制も採用しています。
今後の投稿へのご期待と応援を頂けますと幸いです。
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