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『フライング・ワインメーカー』Paul Hobbs(ポール・ホブス)のお話①

note第1弾はやはりこの人『ポール・ホブス』
ワイン・イン・スタイルのポートフォリオ代表格とも言えるワイナリーです。この投稿は2019年11月にポールが来日した際、スタッフ向けセミナーでお話しされた、貴重なお話しです。

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《生い立ち編》


ポール・ホブスは、NY フィンガー・レイクスご出身で11人兄弟の2人目でした。日本では、なかなか考えられないご兄弟の多さですが、弟さんや妹さんのお世話など、面倒見の良さから、ワイン造りへの緻密へと繋がったのでは、ないでしょうか。

ポールの父は、NYで農業をしていたので、ポールもその農園を引き継いでくれると思っていましたが、ポール自身は医師になりたいと考えてました。
その後、ノートルダム大学で医師になる勉強をしていたのですが、西海岸のナパ・ヴァレーの存在を知って、大学に通う傍ら、ブドウ畑やワインそのものに深い興味を持ち、方向転換を行う事となりました。

《UCデイヴィス〜R・モンダヴィ〜オーパス・ワン》


そして、1978年にカリフォルニア大学デイヴィス校に入学し、ブドウやワインの事も学びながら、樽の研究も始め、卒論も樽について発表したそうです。
樽の研究と一言で言えども、フレンチオーク、アメリカンオーク、それ以外のオークの香りやフレーヴァーや浸透具合、木目の幅と味わいとの相関関係など、実に様々な研究を重ね、それらの研究成果が、カリフォルニアワインの父「ロバート・モンダヴィ」の目に留まった事から79年にロバート・モンダヴィ・ワイナリーに入社する事となりました。
翌1980年には、オーパス・ワンが設立されるという事で、初代醸造チームとして、6年もの間キャリアを重ねて、その後、シミワイナリーでワインメーカー、数々のワイナリーのコンサルタントとなりました。

また、その時代から、世界各国のワイン造りや管理的な事含めて、興味を持ち、冷涼かつあまり開拓が進んでいないアルゼンチンへも足繁く通い、多くを経験しました。

《自社ワイナリー設立へ》


そして、いよいよ、1991年に自らの名を冠したポール・ホブス・ワイナリーを設立に至ります。

そこから現在に至るまでは、多くの方がご存知の通り、98年にアルゼンチンでワイナリーを設立し、以来、仏カオール、西ガリシア、アルメニアなどでもワイン造りをし、名実共に、世界最高のワインメーカーの1人となっています。

《まとめ》


『ポール・ホブス = オーパス・ワン』
というイメージがとても強く、実際にそうなのですが、彼は、世界をしっかりと体験し、学び、実際にワイン造りも経験しているので、その看板だけでなく、実力を兼ね揃えたワインメーカーという事がお分かり頂けたかと思います。

また、次回、ワインについておまとめします。
乞うご期待ください。

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