【ノー・チャドー・ノー・ライクス】
岡山県、ドラゴン・ドージョー、早朝。
夜半の雨が夜明け前には嵐となった。モーニング・ルーティンを終えたユカノは温かなチャを注ぎ、デスクに向かった。UNIXを立ち上げ、IRC-SNSにアクセスする。晴れの日も雨の日も鍛錬とブログ更新は欠かせない。
「岡山県の天候は荒れています。このような時こそ、慌てず急がず、平常心が大切です。当たり前の日常を当たり前にこなしていく。さればこそ、身も心も穏やかに保つことができるのです。嵐の中でも呼吸を忘れず、日々鍛錬ですね。ぜひドラゴン・ドージョーに……」
彼女はそこで目を見開き、タイピングを止めた。震える指で、画面更新ボタンを押す。下書きした日記が再読み込みされる。もう一度。
「……!」
カッ! 廊下を稲光が照らす。雷鳴が轟く。
ユカノは落ち着きなく両手を彷徨わせ、おもむろに立ち上がった!
「フ……フジキド……! フジキドーッ! 大変です!」
「どうしたユカノ……! ニンジャが現れたか!?」
「いえ、ニンジャではありませんが……とにかく来てください! 大変なことが……!」
ユカノは偶々ドージョーに立ち寄っていたフジキドを居室にぐいぐい引き入れた。涙目でIRC-SNSのブログを示す。
「ブログの『良い』機能が……なくなっているんです! 見てください!」
「ヌウ……」
フジキドは画面を覗き込んだ。通常、記事下部に自動挿入される「良い♡」の文面がない。ユカノはフジキドの肘を掴んだ。
「ど、どうしましょう。なぜこんなことに。今まさに世界のどこかで私の記事を読んで『良い』を押したいと思ってくださる方がいるかもしれないのに……! 私はどうすれば……ブログ存亡の危機なのです……!」
「落ちつけユカノ。ブログそのものが消えたわけではない。何らかの不具合という可能性もある」
「何らかの!」
「ニンジャの仕業かもしれぬ……即断はできぬが」
ユカノは口に手を添え、青ざめた。
「そんな……」
フジキドは考え込む様子だった。ユカノが不安げに見上げると、彼は頷いてみせ、ユカノの肩を二度叩いた。
「だが、これも良い機会なのではないか」
「『良い』の機会ですか」
フジキドはかぶりを振った。
「そうではない。思い出すのだ、ユカノ。ブログを立ち上げた当初の志を。なぜオヌシは、長の年月、倦まず弛まず日記の更新を続けてきた? 『良い』をもらうためばかりではなかろう」
「……! そう……そうですね。私はこの時代にあった、新しいドージョーのあり方を模索したくて……それで……」
「ああ。初心忘るるべからずだ、ユカノ」
フジキドの口元が緩む。
「はい! ありがとうございます、フジキド!」
ユカノは拳を握った。
「わかりました。すべては未熟な私に与えられた試練なのでしょう。新たなる旅立ちです。……これからは、ブラド・ニンジャのように、配信重点で……!」
「違う」
「違うのですか!?」
「『良い』の数にとらわれることなく、粛々と更新を続けるのだ。一発のスリケンで駄目なら千発のスリケンを投げるのだ。結果は自ずと付いてくるものだ」
「ですが……」
ユカノはどこか残念そうに壁一面に増えた配信機材を見た。フジキドはユカノの両耳に手を添え、彼女の顔を己の方へ向けた。ユカノの視界から配信機材が消えた。
「ユカノ。チャドー。フーリンカザン。そしてチャドーだ。……どうあっても『良い』ボタンが戻らぬのであれば、IRC-SNS管理会社に問い合わせるのだ」
「管理会社に!」
「そうだ。企業には必ず『お問い合わせフォーム』というものがある」
「そのように便利なものが……!?」
「そうだ。これがフーリンカザンだ」
「お問い合わせフォーム……フーリンカザン!」
カッ! 稲光が閃き、ユカノの居室をショウジ格子の影絵に塗り替えた。フジキドは雷鳴を背負い、力強く頷いた。
【ノー・チャドー・ノー・ライクス】終わり