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セーターを編もう、という気持ちだけはある

三月九日は快晴だった。
きらきらと照り返す街路樹の葉、眠くなるほど暖かな陽射し。花粉対策スプレーをしていても、ちょっぴり目がかゆい。海風だけが、つめたい。

北国にも春が来た。

そうして思う。
この冬もセーターを編みそびれた。
毛糸玉が毛糸玉のままで終わってしまった。あーあ。

あまり多くない趣味のひとつに、編み物がある。
始めたきっかけは小学生のころのクラブ活動で、「あみものクラブ」に所属していたから。母が編物上手だったので、基本的なところを教えてもらえた。確かマフラーを編んだのだったと思う。

しばらく離れていて、高校生のとき、なにを思ったか急にまた趣味を再開した。(受験からの逃避だったような気がする。忘れたけど。)
マフラーだけでなく、帽子と手袋を編めるようになった。

セーターを編みたい、という気持ちだけはずっとある。
編めたらかっこいいから、という浮ついた動機ばかりではなくて、実のところ、切実に、「手首まで隠れる袖丈の」セーターが欲しいのだ。

雪国の冬は寒い。
でも、私は背が高い。腕が長い。

市販のセーターでは、手首が丸見えなのだ。
丈も足りない。背中がすうすうする。
毎年、泣きそうなほど寒い思いをしている。

北国の冬を乗り切るために、手首と腰回りをしっかりガードできる暖かなウールのセーターを、切実に欲している。

ないなら自分で作るしかない。
単純なこたえ、なのだけれど。

やっぱりセーターを編まないまま、今年も春がやってくる。


きょうだいで編み物をするのは私だけだった。
そんなわけで、母が亡くなったときも、祖母が亡くなったときも、押し入れに眠っていた大量の編み針をむだにするのもなんだかなぁ、という気持ちで遺品として私が編み針をもらった。むだに道具だけは立派にそろってしまった。輪針に関してはすべての号数がそろっていると思う。

社会人になって自由に使えるお金ができたとき、ちょっと背伸びしてアルパカ毛糸を、きれいな赤い毛糸を、10玉買った。

でも、独学でセーターを編むのはなんだか敷居が高かった。

結局……赤い毛糸は、数年後に子どものベストになった。

初めてにしては、我ながらいい出来だったと思う。

ベストが完成した時、私は色めき立った。

幼児用とはいえ、ベストが編めたならセーターも編めるはずだぞ!
今度は自分のセーターを編んじゃうぞ!

そして毛糸の福袋などというものを通販で買ってしまった。

……その後、第二子が生まれて、それどころではなくなったのだけれど。

毎年、一月末から二月にかけて、一年で一番底冷えする頃になると、編み物がしたくなる。

今年こそセーターを編むぞ! と決意する。(というか、ごまかしながら着ている市販のセーターが、手首丸見えでめちゃくちゃ寒いという事実から目を逸らせなくなる。)

ゲージを編んで、編み物の本をめくって、うきうきとデザインを考える。

……そんなことをしているうちに、短い二月は過ぎていき、ふと顔をあげるとカレンダーは三月になっている。
セーターを編んでいるうちに春が来てしまうなー、と気がついて、急にやる気がなくなる。
未練たらたらで毛糸だけは転がしているけれど、無情にも春が来る。

そんなふうにして、今年も来てしまったのだ。春が。あーあ。
(秋ごろから計画的に編めばいいのだということは、わかっています。)

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