【ノンフィクション短編小説】優等生
私は優等生だ。
校則は遵守し、規律も乱さない。ルール違反には毅然として立ち向かう。大人には逆らわず、常に敬意を払い、彼等の言葉を疑いもしない。髪はお下げに結い、スカートは膝下。靴下はふくらはぎの真ん中で。第二ボタンは開けず、リボンタイはキチンと第1ボタンまで留める、そんな、優等生だ。
誰が見ても良い子であるように私は優等生であった。
身長が伸び、体がどんどん成長していく。優等生の私のシルエットは、明らかに『皆』と違っていって、制服の布ベストのボタンが頻繁に取れるようになった。
背中に嫌な汗を垂らしながら静まり返った授業の空気を飲み込む。掠れた声でごめんなさいと零した。
2ヶ月に1度、ランジェリー屋で下着を変えていた。中学二年生の夏には、もう子供用では用意できないと大人用のセクシーなランジェリーを勧められるようになった。サイズがないなら仕方が無い。でも、私は優等生だ。きっと先生も皆も分かってくれる。
体育の着替えで、クラスの女子にビッチじゃんと言われた。
制服を買い換えるほどの余裕も家にはなかったから、冬は必死にブレザーで隠した。夏はどれだけ暑くても布ベストを外さなかった。
成長は、止まってくれなかった。もう、伸びもしない布ベストは、ボタンを留める事すら出来なかった。でも、私は優等生だから無理にでも留めて、外れる度に縫い付けて。
優等生で有り続けた。
中学三年生。猛暑。演劇部の副部長だった私は引退前の最後の大会の帰り。バラバラでの解散になり、久し振りに一人で電車帰りになった。
布ベストは駅に着くまでの道中でびっしょりと濡れ滴り、電車のエアコンで変に冷えても風邪を引くし、流石に気持ちが悪いなと脱いで鞄に折り畳んでしまい、急行電車に乗り込んだ。
夕方の満員電車はむわ、とサウナの様に噎せ返っている。人と人の密度が異常で、目の前の人の心音すら聴こえてしまいそうだった。私はガラスドアを背面にして背もたれるように立ち、邪魔にならないようにと学生鞄を足の間に挟み、一息がつけると俯いた。
ふ、とドアに伸びていたはずの目の前の人の腕が私の背中へと滑る。そこから分厚いスカートを這うような感覚。臀を撫で付け、裏太ももを這い、また臀に触れ、揉まれる。声は出なかった。見上げると、自分の父よりも年上だろう男性がニタニタと笑っていた。この電車は急行だ。先程の駅から出て暫くは開かない。電車が揺れる度、男性が私に倒れる振りをし、育ち過ぎた私の脂肪を相手に押し付けさせられる。
男性は機嫌良さそうにボソボソと耳元で囁いてくる。
「○中の子?おっぱい大きいねえ、コスプレじゃないの?下着透けてるよ、そんな柄、えっちだね?」
何が起きてるかわからず、胸元を隠そうと手を上げると膨れた男性の下半身に触れてしまった。
背が、粟立った。怖気と吐気が同時に競り上がり、ウッ、という声が漏れた。完全に『欲情』という恐怖に当てられて身が竦んでしまった。
結局次の停車駅まで、私は身体を好き放題触られ、下半身を擦り付けられ、卑猥な言葉を囁かれた。
翌日、泣きながら生活指導の女性の先生に話した。
先生はため息を一つ付いて、忙しい蝉の声を振り払う時と変わらない、煩わしそうな面持ちで私を見つめる。
「そんな胸を強調して色気づいた下着つけたり、不良を真似てスカートを短くするからですよ」
私は優等生だ。一度も制服を崩した事など無かった。切ったり折ったりなんて言語道断だ。
ただ。成長しただけだった。入学した時よりも14cm伸びた身長。
入学した時よりも6サイズ上がった胸のサイズ。
殆ど変わらない体重。走るのが好きだった。走れなくなった。胸が揺れる度、小学校の時は泥まみれになって遊んでいた男子から、知らない目を向けられるから。真夏でもジャージを着込んでいた。
私は優等生だったのに。成長したら、コンテンツになった。
コンテンツは、1度そうなると人には戻れないらしい。高校に上がったら、より一層酷くなった。女子に廊下で胸を揉まれ、制服を脱がされ、下着の柄を公表され、体育の時にジャージを着る事は許されず、走る度に口笛を吹かれからかわれ、聞こえるように胸でけえと言われる。
走るのが好きだった。高校一年生の時は、陸上部に入った。男子部員の中の唯一の女子部員。短距離が早かった。中々タイムが縮まず、毎日走った。乳腺が切れる痛みに耐えながら。男子と同じメニューでひたすら走った。初めて50m走で7秒の記録を出した時大喜びした。後に、アレは乳の差で出たタイムだな、と笑いながら男性顧問に言われた。
私は陸上部を辞めた。
異性からも同性からもコンテンツとしか見られなくなった。胸が大きい事は、コンテンツにされても仕方がない事だ。周りの声が、信じた大人が、そう植え付けてくる。制服は、私をよりコンテンツにして行く。電車でも、バスでも、学校でも、私は性的コンテンツとして見られ、触れられてきた。何度も何度も先生に相談をした。警察にも行った。
皆、言う事は同じだった。
「そうやって、強調してるからじゃないの?」
高校三年生になる頃には何カップ?と聞かれる事になれる程には麻痺していた。
「今?あー、まだIカップ」
皆は楽しそうに指折り数えている。羨ましいと、クラスの女子は言う。
何が?
とは言えず、そうかな。と愛想笑いを浮かべた。進路を決め無ければならないという時、私は勇気を出してタレント事務所にオーディションを受けに行った。
声優になりたい。そんな夢を追うためだ。演技には自信があった。
陸上部を辞めてからは演劇部に入り、役者も舞台監督もやった。でも、この身体じゃな…と思っていた時に、大好きな漫画のドラマCDを聴いて感銘を受けた。
見た目が関係なく、好きな事が出来る。オーディションに受かり、マネージャーが付き、声優になる為のレッスンを受ける…そんな話をしていた。高校卒業も間近な時にマネージャーに言われた最初の仕事は
「グラビアやらない?」
私は、事務所を退所した。
コンテンツは、人には戻れないのだ。
母に厳しく言われ、髪を切る事が許されなかった。だから、男子のように短いウィッグを買い、それを被って外に出た。男子の服を買った。胸つぶしを買い、男装して生活をした。
それも、許されたのは未成年のうちで、成人してからは「女性らしさ」をより求められる様になった。
会社に務めるなら、それらしく。女性はパンプスをはき、化粧をし、オフィスレディとして恥じないような服装を。
どれだけ慎ましくロングスカートを履いても、リクルートスーツに身を包んでも、成人してからも育つこのコンテンツは私を不真面目に見せるらしい。
ワイシャツが大嫌いだった。ボタンを留めた時に出来る隙間が嫌いだった。
飲みの席では玩具を見るように、触っていい?こんなデカいの初めて見た、と笑う同期の男が居た。その胸で何人落としてきたの?と聞いてくる女の先輩が居た。「私ブスなので、そういうのないんですよ!」と笑って誤魔化した。
実の所、私は中学の夏以降、男性恐怖症になっていた。でも暗黙の了解で、そういった飲みの席で嫌だと言えば村八分に合うのは分かりきっていたから、濁して、それとなく我慢して、ヘラヘラ笑っていた。だが逆に胸の大きさを勝手に妬まれ、弄りのネタに使ってくる女が増えた。自分にあるこの『コンテンツ』が嫌いだった。
私は嫌だといっているのに、誰も信じてはくれない。ただの脂肪なのに、私の人格はこの『コンテンツ』で決め付けられていた。
私は真面目で、会社の規範に従う模範的な従業員だった。生真面目と言われる程。仕事もそつなくこなす。だが、お局からは「身体を使って男に媚びを売っている」と言われていた。
私は優等生だ。ただ、成長しただけだった。
怖いと言う事は、悪だと言われた。
成長したから、いけないと言われた。
声を上げる事は、おかしいと言われた。
成長したから、いけないと言われた。
そうして、もやもやを抱えたまま29歳。デイサービスでヘルパーとして働いていた私は、痴呆のない男性利用者から胸を揉まれ、さすられ、入浴介助をする度にセクハラを受けていた。ノイローゼになり、毎日吐いた。上司に相談して、返ってきた言葉に、心がポキリと折れた。
「そんなにあったらしょうが無いでしょ、ある程度は我慢しないとね?」
誇りを持って仕事をしていた。同い歳で奥さんもいる男性の上司を、心から信頼していた。
私はそこ辞めて、長かった髪をツーブロックにして、髪を刈り上げた。 スカートは気が付いたら無くなっていた。体のラインが分かる服は全て捨てていた。
コンテンツは、人には戻れない。人じゃないから、声を上げられない。怖いと言っても掻き消される。なら、小さな抵抗をするしかない。怖い人になればいい。
そんな中で、凛と声を上げた人が居た。
「私たちは偶像です」
4枚の画像、短い小説。その中に詰まっていた。私の苦しいが、怖いが、悲しいが、詰められていた。怖いと言って良かったんだ。可笑しくなかった、私は、消費されるべきじゃなくて。私は、私の身体を愛して良くて。そう思って、涙が止まらなかった。
間違っていなかった。間違っていなかったんだ。こんなに、救われるなんて思わなかった。「ありがとう、」と零れた。
私は、子供の頃から優等生だった。
やっと、人に戻れた気がした。
この小説はゆきこさんの小説に救われた一人の偶像が感謝の為に書いたノンフィクション小説です。
【短編小説】私たちは偶像です。|ゆきこ @kkym_yukiko #note https://note.com/fujitoko/n/na1656c2ce292
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