
「赤まんま」
赤まんま昼餉を告げる母の声
赤まんまに出会うと、子どものころ夏を過ごした昆布番屋の日々を思い出す。
その日採った昆布を浜一面に干し終えたあとの自由な時間に、よく赤まんまをお赤飯に見立てておままごとをした。
眠くなるような低い蜂の羽音や敷いた筵のゴワゴワした感触、お昼ご飯を知らせる母の声などが思い出される。
番屋には電気が通っておらず道路もなく、交通手段といえば渚づたいに浜を歩くか小さな船しか無かった。
潮が満ちてくると通れない場所があり、夏休み中の登校日の帰路には、満潮の前にそこを越そうと急いで歩いた。
往復24キロ、小学生なのに石ころだらけの道なき道をよく歩いたものだ。
時計もないのにどうして満潮の頃合いが分かったのか、不思議に思う。
きっと所々にポツンとある番屋の大人たちが、登校日の子ども達を気にかけてくれたのだろう。
そんな秘境でも、郵便屋さんが何日か置きにリュックをしょって歩いて配達に来た。
郵便屋さんはマッチなどの生活必需品の買い物も引き受けてくれた。
無口だけれど優しい雰囲気の人だった。
夕方になると石油ランプのホヤを磨くのが私の仕事で、「あーちゃんばっかり」と膨れる私に母は「あーちゃんの手はとても柔らかいから、ホヤに手を入れて磨くのはあーちゃんにしかできないから」となだめてくれて、柔らかい自分の手がちょっと自慢になった。
母の月命日に、だいぶ堅くなった我が手をさすりながら懐かしい聲を思っている。
なんだか今日は饒舌になってしまった。
お許しあれ。

芯を油壷のなかに落としたり失敗したこともあった
はるか昔の石油ランプの細かいところまで覚えている


雲の形がなんだかお馬さんに似ているね