第三回:経済躍進の第一歩「セウタ攻略戦」[大望の航路・ポルトガル篇]
アヴィス王朝ポルトガル王国の初代国王となった英雄ジョアン1世は、ポルトガルの低迷する経済を立て直すため、国家一丸の大事業・アフリカ遠征を決意します。
首都リスボンの国民たちがその難事業に躊躇する中、北方の第二都市ポルトでは、ある人物の登場によって街ぐるみで盛り上がります。その人物とは、この時わずか18歳の少年…!
彼こそが、後世「航海王子」の名で全世界に知られることになる、稀代の事業家・エンリケだったのです。風雲児エンリケ、ジブラルタルの戦いに鮮烈のデビュー!
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ポルトガルを世界帝国へと押し上げ大航海時代を切り開いたきっかけを作ったエンリケ航海王子の生き様を描く「大望の航路・ポルトガル篇」(全8回)、第3回をどうぞ!
▼歴史発想源「大望の航路・ポルトガル篇」〜エンリケ航海王子の章〜
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【第三回】経済躍進の第一歩「セウタ攻略戦」
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■臓物を食べてでも復興事業を支えろ
ついに隣国カスティーリャ王国との和平が成立し、ポルトガル王国はようやく平和を取り戻したわけですが、国王ジョアン1世には大きな課題がありました。
長きにわたる戦争状態によって、ポルトガル王国の経済はかなり疲弊しており、長期化していたインフレーションはピークを迎えていたのです。
これまではカスティーリャの侵攻の脅威に対して国民は苦しくても一丸となって戦ってきましたが、いざ42年ぶりの平和を迎えてみると、その緊張の糸がふっと切れて、その貧しい状態から立ち上がる気力も失せているような状態でした。
そこでジョアン1世は、ポルトガルの経済復興のために、ある大きな計画を実行することを決意します。
それは、セウタの攻略でした。
セウタとは、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を別ける地中海の西の入口にあたるジブラルタル海峡の、アフリカ側の海岸にあるモロッコ北方の都市です。
ポルトガル王国とカスティーリャ王国は長年のレコンキスタによってようやくイベリア半島からイスラム勢力を追い出しましたが、このセウタがイスラム勢力の前線基地でした。
海上貿易を基幹産業にしているポルトガルにとっては、敵対するイスラム勢力に対岸のセウタをいつまでも押さえられていると、ジブラルタル海峡を渡る貿易船がイスラム勢力に海賊行為で奪われてしまう危険性が大きく、ジブラルタル海峡の治安は何としても解決したい至上命題だったのです。
セウタをポルトガルが押さえて両岸を支配することによって、ジブラルタル海峡の通商の安全が確保されること、ポルトガルにとって貿易の拠点が新たに一つ生まれること、そしてイスラム勢力が再びヨーロッパに渡ろうとする時のための防波堤の役目になることなど、いろいろなメリットが生まれてきます。
しかし、このセウタ遠征は、長年の戦争による疲弊を打破するきっかけになるとは言え、さらに軍備の増強と遠征費の増大が必要になるため、平和に安堵するポルトガル国民の支持を得るには、かなりの難儀が予想されました。
そこで、ジョアン1世は1412年から、王家を挙げてその準備に全力を傾けます。
まず、21歳となった長男のドゥアルテ王太子には、後継者としての経験を積ませるために国王代理を務めさせ、ジョアン1世は商人や職人たちの支持を集めるために自らの足で首都リスボンやその郊外を回りました。
そして20歳になった次男ペドロ王子には王国南部、18歳になった三男エンリケ王子には王国北部を回らせ、ポルトガル全体の理解を取り付けようとしたのでした。
国威の発揚を狙ったわけです。
現代ではオリンピックやサッカーW杯の誘致などで国民全体の士気を高めようとしますが、当時は戦争によって国威発揚を促すことは当たり前の時代だったのです。
さて、かつてアヴィス王朝の創始の際に多くの国民からの支持を取り付けたジョアン1世でさえ、今回の遊説は非常に困難を極めているところに、思わぬ大きな成果を挙げた人物がいます。
王国北部へと出向いた、三男のエンリケ王子です。
二人の兄、ドゥアルテやペドロに比べて、とても快活で元気の良い性格の若者・エンリケ王子。
エンリケ王子は、ジョアン1世と妻フィリパがポルトガル北部の都市ポルトに滞在中に生まれたので、エンリケにとってはポルトは故郷でもありました。
ポルトは5世紀頃の古代のポルトガルの首都で、海上貿易によって発展を続けた貿易都市であり、その後に新たに首都になって都会化していったリスボンに対する対抗意識を燃やしていた第二都市でした。
日本に例えるならば、首都リスボンが東京で、ポルトは京都や大阪のようなものと言えるでしょう。
「東京は所詮、新しい都やないか。こちとら大昔から商いをしていた場所やで」というわけです。
このポルトの街で、若きエンリケ王子は、
「これからポルトガル王国は、セウタを攻略する。これはこの国の貿易拠点をきちんと押さえ、また外敵から貿易船を守るための聖なる戦いだ。この攻略を経ずに、この国の経済発展は今後ない。ポルトの諸君、どうかこの私にみんなの力を貸してほしい!」
と市民たちに熱く語ったところ、ポルト市民はエンリケ王子の演説を大絶賛し、遠征支持へと大きくまとまりました。
都会のリスボンの市民たちや他の都市の人民たちは
「不景気だけれど、また戦争をするのも嫌だなあ」
と大して乗り気ではなかったのに、ポルト市民たちは
「この不景気を乗り切るためなら、全力で協力するぞ!」
とみんな立ち上がったのです。
それほどまでにポルトでは生活が困窮しており、その現状を打破する起爆剤を誰もが欲しがっていて、エンリケのその大きな事業への投資に賭けたのでした。
ポルト市民のエンリケ王子への熱狂ぶりは凄まじく、ポルトの街から、肉という肉が消えました。
食べ物にも困窮するほどの経済事情だったのですが、ポルト市民たちは、自分たちが食べるべき食肉を全てセウタ遠征軍のための食糧として提供し、自分たちは残された臓物だけを食べてしのいだのです。
現代のポルトガル語では、リスボンの人たちを「リスボエッタ」(lisboeta)、ポルトの人たちを「トリペイロ」(tripeiro)と呼びます。
日本で言えば、東京人のことを「江戸っ子」、大阪人のことを「なにわっ子」と呼んで区別しているようなものです。
このポルトの人たちを表すトリペイロとは、トリッパ(臓物)を食する人、という意味の言葉です。
現代の都会のリスボエッタたちからすると、ポルトの人たちをトリペイロと呼ぶのは「臓物さえも食べるひもじさ」のような見下し方なのですが、実際にはこのように、臓物を食べてでも事業を支える、「実利のためには身を削る」という商人の意地を表す言葉だったのです。
この、エンリケ王子によるポルト市民の熱狂的支持により、
「実利にうるさいポルト市民が真っ先に賛成するなんて、これはこの事業は大きく化けるかもしれない」
と、他の都市も続々と支持を表明し始めました。
こうして、ジョアン1世の掲げたセウタ遠征事業は、次第にポルトガル王国全体に支持されるようになっていき、アフリカ渡海へと準備が着々と整っていきます。…
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