第六回:ドイツの抑圧「日本人退去令事件」 [和魂の酋長・南洋雄飛篇]
暴発事故で右手を失い、武力による南洋支配を深く後悔した森小弁。南の島の人々と心で通じ合おうと、祖国日本に別れを告げてトラック諸島で生きていく決意をします。
ドイツの南太平洋制圧、そして第一次世界大戦の開戦……。日本との貿易の道を断たれていた森小弁に、再び日本との深いつながりが生まれることになります。
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南太平洋と日本の架け橋となった日本人の大酋長・森小弁の生き様を描く「和魂の酋長・南洋雄飛篇」(全8回)、第6回をどうぞ!
▼歴史発想源「和魂の酋長・南洋雄飛篇」〜森小弁の章〜
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【第六回】ドイツの抑圧「日本人退去令事件」
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■ 現地人に近づくより、本当の現地人になる
1897年(明治30年)初頭、日本で右手首の治療を行ない義手をつけた森小弁は、チューク諸島へと戻ってきます。
森小弁の意識は、以前とは大きく変わっていました。
今まで日本の商売人として、トラック諸島で「現地人と同じ生活をする」ことを心がけていました。
そしてそのきっかけは、島に帰ってすぐにやってきます。
トラック諸島に戻ってきた森小弁は、まずはお世話になっていた大酋長マヌッピスに会い、自分はトラック諸島の人間として生きていく、という覚悟を話しました。
すると、大酋長マヌッピスは、その言葉を待っていたかのように、森小弁に対してある提案をするのです。
それは、マヌッピスの娘・イサベラとの結婚でした。
マヌッピスやその部族の人たちは、偉そうに抑圧してくるスペインの侵略者たちとは違い、現地と分かりあおうと懸命に努力する森小弁を大きく信用していました。
その森小弁が自分たちと同じ島民になりたいと言っている。それまでのトラック諸島にはなかった知識と知恵を持つ森小弁が仲間になることは、部族の人たちにとっても大歓迎だったのです。
そこで、本当の意味でのファミリーになるために、マヌッピスは娘との婚姻話を持ち出したのです。
森小弁も、その婚姻話を喜んで受けます。
こうして、翌1898年(明治31年)、森小弁は大酋長マヌッピスの娘と結婚し、晴れてトラック諸島の島民、家族となったのでした。
さらに、この結婚によって、森小弁は一つの大きな運命を背負うことになります。
トラック諸島の部族は、母系社会なのです。
日本などでは世襲というと、長男、つまり年長の息子が後を継ぐことが多いですが、トラック諸島では長女の旦那、つまり娘婿が世襲をすることになっていたのです。
大酋長マヌッピスの長女イサベラと結婚した森小弁は自動的に、大酋長マヌッピスの後を継ぎ、イライス村の部族の次の大酋長になります。
母系社会だから、娘の父は彼女の結婚相手を自分の家を継ぐべき人物なのかどうか、慎重に選びます。
大酋長マヌッピスにとって森小弁は、この部族を束ねてくれる信頼のおける人物であり、その知性のある血を一族に入れたいとマヌッピスは思っていたのでしょう。
島民たちに大きな稼ぎをもたらした森小弁が自分たちのリーダーになるということで、部族たち全員が、森小弁の結婚を大いに喜びました。
その婚礼の日は、部族をあげて飲めや歌えやの大宴会。
正式に、森小弁がマヌッピスの後を継いで大酋長となることが認められました。
かつて政治家を目指していた森小弁は、小さくとも部族という一つの組織のリーダーとなり、彼らを率いる政治を行うことになったのです。…
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