第二回:独立を守れ「アルジュバロータの戦い」[大望の航路・ポルトガル篇]
最西の小国ポルトガル王国、隣接する大国カスティーリャの大軍の猛攻を受け、包囲された首都リスボンは陥落寸前!
市民たちから望みを託された若き英雄ドン・ジョアンは、サン・ジョルジェ城にこもってカスティーリャ軍の猛攻に耐え抜いていきます。
そしてやがて、ドン・ジョアンとポルトガル国民たちの強い信念は、完全独立を決定的にしていきます。独立のために、心を一つに立ち向かえ!
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ポルトガルを世界帝国へと押し上げ大航海時代を切り開いたきっかけを作ったエンリケ航海王子の生き様を描く「大望の航路・ポルトガル篇」(全8回)、第2回をどうぞ!
▼歴史発想源「大望の航路・ポルトガル篇」〜エンリケ航海王子の章〜
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【第二回】独立を守れ「アルジュバロータの戦い」
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■28歳の若き国王と、25歳の若き将軍
1255年に、内陸の都市コインブラに代わってポルトガル王国の首都となった、港湾都市リスボン。
大西洋岸のテージョ川河口に位置し、北海と地中海の中継点となる交易地として栄えた貿易都市です。
1384年5月26日。
隣国カスティーリャ王国の陸海軍が、このポルトガル王国の首都リスボンを包囲しました。
このリスボンが陥落されてしまうと、ポルトガル王国の独立は完全に破滅となります。
このリスボンの街を一望できる丘の上に築かれているのが、現在もポルトガル随一の観光名所となっており、日本でも「消臭力」のテレビCMでミゲル君の背後に写っていることで知られている、サン・ジョルジェ城。
かつてレコンキスタの長き歴史の間にもイスラム勢からの猛攻にも耐え抜いてきた、歴史のある堅牢な城塞です。
カスティーリャ王国にポルトガル王位を売り渡した史上最大の悪女・王妃レオノールに反発したリスボンの商工業者な農民などの民衆たちは、庶子ながらも王族の一人である若き・アヴィス騎士団長、ドン・ジョアンを指導者に仰いで立てこもります。
ドン・ジョアンはもともと王位には興味がなかったけれど、ポルトガルの絶体絶命の危機を見かねて、民衆を率いてカスティーリャ王国の猛攻に立ち向かいました。
3ヶ月に渡ってカスティーリャの猛攻は続きますが、ドン・ジョアンの指揮と民衆たちの意気は、この最大のピンチをなんとか耐え抜いて、サン・ジョルジェ城を守ります。
ポルトガルの独立を敵国から守るため、市民は力を合わせて必死で立ち向かったのです。
カスティーリャ軍の攻撃は熾烈を極め、もう落城してしまうかもと追い詰められた頃に、奇跡が起こります。
もうリスボンの民衆たちも城塞陥落を覚悟したその時。
大勢の軍兵が密集するカスティーリャ軍の陣営に黒死病、つまりペストが流行し始めたのです。
ヨーロッパ全土を不幸のどん底に突き落としたあのペストが陣内で再燃となっては、遠地まで出てきている軍勢にとっては攻城どころではありません。
さらに、ポルトガル東南部のアレンテージョ地方から攻め入りリスボンへ応援に駆けつけているはずの精強なカスティーリャ騎馬隊が、アレンテージョの地元農民の歩兵隊に壊滅させられてしまったらしい、という信じられない報告がもたらされました。
カスティーリャ軍はペスト蔓延で戦力が激減しているのに、来るはずの援軍も期待できないことが分かったのです。
カスティーリャ国王フアン1世は仕方なく、あとわずかで勝利に手が届きそうなリスボン攻城を諦め、全軍撤退をしたのでした。
ポルトガルは、かつて自国の人口3分の1を殺されたペストによって、今度は国を救われることになったのです。
リスボンを守り抜いて絶体絶命のピンチを脱したことで、リスボン市民たちは大きな自信と戦意を回復し、この戦いを主導したドン・ジョアンを新王に就けるべきだ、という動きがポルトガル全土に広まっていきました。
この頃のポルトガル王国は絶対王制ではなくて、貴族や領主、司教や騎士など、各地の有力者によるコルテスと呼ばれる身分制議会によって、王位継承など王室の重要事項が決められていました。
だから、国王が誰になるのかというのは、先代の国王や王族が決めるのではなく、国民によるコルテスの評議で決まるのです。
1385年、旧都コインブラでコルテスが開催され、国を混乱に陥れた前王妃レオノールの権威は失墜し、逆に庶子とはいえ国を守った王族であるドン・ジョアンを国王へ就任させようと、全会一致で決まりました。
これにより、庶子に過ぎなかったドン・ジョアンはポルトガル国王となり、「ジョアン1世」と名乗ることになりました。
彼はアヴィス騎士団長であったことから、このジョアン1世から始まるポルトガル王国の王家は、「アヴィス王朝」と呼ばれることになります。
これよりポルトガルではボルゴーニャ王朝の時代は終わり、アヴィス王朝の時代となるのでした。
新たにアヴィス王朝ポルトガル王国の国王となったジョアン1世は、ある国と同盟を結びます。
イングランドです。
かつて、隣国カスティーリャ国王フアン1世の父・エンリケ2世は、フランス軍の力を借りて王位に就き、カスティーリャ王国とフランスは友好国でした。
そのフランスと仲が悪く敵対していたのがイングランドで、この頃はこの二国は長い百年戦争の真っ只中。
このイングランドの力を借りることで、カスティーリャ王国に与するフランスを牽制でき、またイングランドが所有する海軍も世界レベルで強かったので、カスティーリャ海軍に対抗できるその海軍力を利用できたのです。
さて、前年にペスト蔓延でリスボンから撤退したフアン1世は、ジョアン1世の国王即位に異議を唱え、ポルトガル王位継承の正統性を主張するために、翌1385年、再びポルトガル領へと侵攻を開始します。
カスティーリャ王国は前年にリスボンまで到達したので、その途中までの進軍経路は十分に把握しており、ポルトガル国内をどんどん侵食していきます。
その数、騎兵部隊を中心とする約3万人。
新王ジョアン1世は、今度は前回のリスボン戦とは違い、イングランドの力を借りているので、カスティーリャ海軍の脅威はイングランド海軍に任せるとして、自分たちは陸軍に集中して当たろうと、首都リスボンから北へと出撃をします。
しかし、ジョアン1世がなんとか集めることができたのは、歩兵部隊を中心とする、わずか6000人程度でした。
人数だけでも5倍以上の相手、さらには歩兵部隊だけで騎兵部隊を相手に戦わなければなりません。
ポルトガルは再び、ピンチに見舞われます。
ジョアン1世はこの危機に、ある若者を呼び寄せます。…
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