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ねよせ0603

「ねよせ」は「音寄せ」。
昔作ったまま音にしていなかったもの、作り掛けのままのものを一応の一区切りをつけたもの、いままで使っていないような音の組み合わせを試してみるものなど。

今回は曲はかなり短いが、話は長い。
高校の時、野球の応援の曲を作った。短い信号ラッパのようなもの。
野球の応援では「コンバットマーチ」というのがよく演奏されていた。
それを真似してやるのではなく、別の曲を作った。
が、・・・どうして作ったのかの記憶がなかった。
とにかく何かの拍子に作ることになってその場でパパパッと作った。
特徴のある凝った物を作るつもりは全然なく、そのすぐ後の夏の大会で1試合だけ演奏してお仕舞になるだろうと思っていた。表題もない。
楽譜もそのまま高校に置いてきた。楽譜というより、一枚の五線紙に走り書きしたメモのようなもの。

何年かして後輩に会ったら、「あの曲まだやってますよ」と言われた。私は驚くとともに苦笑いした。

それから何十年かが過ぎて、テレビを見ていたが、ふとチャンネルを変えると、高校のずうっと後輩にあたる某アナウンサーが、かつて関わりのあった人の現在を紹介するような番組に出ていた。
高校時代野球をやっていた某アナウンサーの同級生は応援団だったらしく、その当時の応援の再現をして
「応援歌5番」
と叫んで、何と私が作った曲を歌い出した。歌ったと言っても歌詞はなく、メロディーを「パーパーパー」という調子で歌いながら応援の手振りをしていた。
いつの間にか「応援歌5番」と呼ばれるようになっていたらしい。

さらに何年か経って、昨年12月。
高校の同期で、ドイツで指揮者をやっているO君が一時帰国するので会いましょうと連絡をくれたのは、東京のオーケストラで長年主席コントラバス奏者をやっていたK君だった。
K君は「あの曲まだやってますよ」と教えてくれた後輩。それにアマチュアながらプロも感心するほどの名トランぺッターだった先輩のKさんも来てくれた。
いろいろ話をする中で、「あの曲」が話題になった。全く記憶がなかったが、どうやらO君が依頼したらしい。そのそばでその様子を見ていたのがK君だったらしい。
曲は何となくは覚えていたのだが、細かいところまで記憶していてくれたのがO君で、今回再現できた。

「あの曲」はいったいいつまで演奏され続けたのか、あるいはまだやっているのかわからない。
が、私のつくった曲の中で、最も長期間、最多回数演奏されただろうことは間違いない。
野球場できき、地方大会とはいえテレビでも放送それ、某アナウンサーが出演したテレビで歌われ、しかもそれが再放送で、本放送もあったのだから、何十万という人が耳にしたのだろう。
しかし、作曲したすぐ後の野球の試合を見に行っていないと思うので、そのテレビまで私はこの曲をきいたことがないと思う。

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ゐなかのすゑざ
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