好きな人=怖い
日記)
モラハラ元カレ失恋日記、もう終わったと思ってた。すっかり辛くて楽しかった記憶に苦しめられることも無くなって、自分を取り返せてもう前を向けるんだと思っていた。
心の傷の深さを、思い知った。
新しい彼氏と、別れた。元々合ってなかったようなところもあったし色んな理由があるけど。彼と一緒にいることで、気づいたことがある。
私は、愛を知らない男を好きになってしまう。自分は愛に飢えていて、きっと重いくらいに心の機微に敏感で愛情深いのに。とっても相性が悪いはずなのに。(幸い、前回の教訓を基に今回は傷つけられる前に別れたからさほどダメージは大きくない)
自分を好きだと言ってくる自分の好きな人に、日常的に悪意を向けられ続けて壊れた心は壊れている。
私に好きだと言ってくる人に心を預けたら、預けた心を参考に一番傷つくことを知って言って傷つけてきた。私に好きだと言ってくる人に体を預けたら、預けた体を元に好きだという気持ちの担保にしてきた。心も体も預けていたことで、私の心の痛いところも好かれていることを信じる気持ちもコントロールされていった。あの人に預けた心と身体は、私を一番傷つけたり好かれているのか不安にさせたりすることができる、支配するための材料にされた。
私に好きだと言ってくるその人は私を一番傷つけ、私の体に触れるその人は私を一番好きだと言う。彼から与えられる言葉と心と体の、それぞれの感情が私のなかで繋がらなくなっていった。言葉と心と体が繋がらないその人が言葉と心と体の全てで好きな自分を、その繋がりのない混乱から守る為に乖離させた、が正しいのかもしれない。そこまでして好きでいようとしていた事がおかしかったのは分かるが、もう今更だ。
壊れた心が、壊れていった。壊れている。
支配され続けた恐怖の記憶は、私にストップをかける。「私を好きだと言う好きな人」に心も身体も預けてしまったら、痛い目をみるぞ、と。
本来の私は、素直で感情豊かで人を信じられて自己開示もできて深い関係を築くことが得意なはずなのに。そんなストップがかかってしまうこと自体、苦しい。目の前の人が好きな人であるときに尚更発生するものだから、苦しんでいる。
何でだろう、とにかく怖い。目の前のその人が、自分を傷つける人ではないと頭で分かっていても。怖くて怖くてたまらなくて身体が逃げだそうとして、社交性のスイッチが切れたように硬直してしまう。
もう、誰にも両方を預けることはできないのかな。
これをトラウマと呼ばずに何と呼ぶんだろう。身体を許せば心に踏み込めない、心を許せば身体を預けられない。どちらも預けたいのに預けられなくての壁が目の前にきた瞬間、どうしていいか分からなくなって対人スイッチが切れる。逃げたくなる。
新しく好きになる誰かと深い関係を築くことは、もうできないのかもしれないと思い知らされた。
しばらく、私は誰かを好きになってはいけない。
p.s.加害者の元カレは、幸せそうにのうのうと生きているから許せない。絶対に私を傷つけたお前のこと、許してやるもんか。愛を知って傷つき苦しむ私よりも、愛を知らずに死んでいくお前のほうが不幸だ。お前のせいで死んでたまるか、生きてやる。