辛くて、幸せだった。
「愛がなんだ」という映画をみた。
この頃の私は、noteを読み漁り自分の気持ちと答え合わせをしていた。そんな時間にひと通り満足して、そういえばあの映画に救われそうだなとこの映画を思い出した。
ここに書くことでまとめようとしているから、全然まとまっていない。まだよく咀嚼できていないけど書くことにする。
映画の中で「幸せになりたいっすね」って、建設的じゃない気持ちと関係に終止符をうっていた。
気づいた。
(映画の中の恋愛に自分を投影するのはおこがましいような気もするけど)
そうだ、それでいいのだ。
そうやって覚悟できた時にやっと、その人は新たな幸せへと前に進んでいけるのだろう。
私の恋は、愛とか好きとか執着とかではなかった。
好きな人に、ひとりの人として好きな人として扱われない辛さが、自分のその人を好きな気持ちを確かめさせてくれるようだった。
どんどん歪んで本当にどうにかなっていって
それが、ずっと精神的に辛かった。
きっとそれは「それでも好き」じゃなくて、
「それで”幸せ”」だったんだと思う。
もうこの歪んだ”幸せ”から卒業する。
多分だけどどんな”幸せ”かを決めるのは自分で、どの”幸せ”を選び取るのかも自分だ。
歪んでいた恋愛ではあったけど
そう、"幸せ"だった。
今までありがとう、幸せになるね。