二十歳で得た知見
未練とか回顧とか由無し事まとめ
(二十一歳の誕生日まで随時更新予定)
愛は、縋るものじゃない。
夢とか記憶のあの人に惑わされることがなくなったから、きっと失恋できたんだと思う。モラハラと依存からの回復を果たせた、本当によく頑張った。
あの必死にあの人に向き合った時間はいつまでも報われなかったけど、報われない先の苦しみと向き合ってもらえない愛の虚しさを学べたから、この経験自体は無駄ではなかったと思うことにしている。
いつの間にか自分とあの人の境界も曖昧になってぼろぼろになるまで自分を犠牲にできたくらい、とにかく大好きだった。あれだけなりふり構わず誰かを好きになることはもう出来ないだろうけど、次はきちんと愛して愛されることは出来ると思う。
誰かを深く愛して向き合うということは、同時に深く傷つくことを覚悟するということで。この人からなら、この人の為なら、どれだけ傷つけられてもいいと思うことが愛の始まりのような気がしてきた。
高校生の青春の延長で、大学生で恋だの愛だのしてたからダメだったんだと思う。お互いあの頃のままではいられなかったし、もう大人になってたってことなんだろうな。環境のせいか、お陰か、変化。
きっと愛しいなと思う瞬間の数だけ、不意打ちの写真の数があった。全然キメ顔でもなくて半目だったり口開いてたりぶさいくな寝顔だったりして、散らかった部屋とか車内とか道端とか食べかけとか部屋着とか変な背景とか状況で、そんなの撮って見せ合って笑えてた時間は確かに愛だった。
長く付き合っていけばいっただけ、終わらせ方が分からなくなっていった。2人でいることで繋がった家族や友人の人数も増えていって、2人のこれからを信じてくれる人が2人だけじゃなくなっていった。
携帯の契約書の最後の方に解約方法がちょこっと書いてあるなら、付き合った時間ぶん契約書自体のページが増えていった感じ。
長く誰かと付き合うことでしか得られない、恋愛の限界を知れたような気がする。恋の賞味期限は3年なんて巷で言われているらしいけど、多分ほんと。
寂しいを理由に誰かといても何も満たされないし虚しくなるだけなことを忘れずに、寂しさを理由に好きでもない誰かに抱かれないようにすること。
自分に無いものに、強く惹かれるんだろうな。かの三島由紀夫も女が惚れるのは自分がめっぽう弱い男だみたいなこと言ってなかったっけ。自信有りげなナルシストに惹かれるの、気をつけないと。
彼氏に不満があるなら自分を変えよう、ってよくあるコラムでよく言われる話だけど。それは対等に話し合いができて人権を与えてくれるマトモな相手前提の話、マトモじゃない彼氏といる時に鵜呑みにそれ信じて痛い目みた。自己否定でボロボロ
話し合いできない相手を相手する方法はない。自分の尊厳と人権が最優先事項、すぐ逃げろ。
自己肯定感の無さからの蛙化現象のようにも思えるんだけど、自分のこと好きなんだろうなって人を好きになれないの何でだろう。
幼馴染のお姉ちゃんにこの話したら、私は私のこと好きな人しか好きじゃないし興味ないからなって言ってたの強かった。見習います。
自分が先に好きになればいいんだけど、自分より先にとか自分より大きな気持ちに怯んじゃうんだよなあ。すごく大切にしてくれてるの分かっててもその先に好きはないし、大切にしたいって思うほど好きで返せない私をあなたは大切にするべきじゃないからって逃げてほしくなるし、突き放しちゃう。
私の中で、好きと言われる=酷いことされるでハッピーセットだからかな。このリハビリにはどれだけの時間が必要になるんだろう。
世間様に加害者と認定されるようなことをしてくる人すら嫌いになれないのが、私の最大の感情バグ。
好きだから許しちゃうとかの次元じゃないのが大問題、へーあなたは私にそういう酷いことも出来るんだって普通に受け入れちゃうだけ。受け流すのは楽だけど、拒絶のエネルギーってでかくない?だるい
加害者のあいつは加害者のままのうのうと生きて新しい女いるのに、被害者の私は壊れきったところで被害者の内省を終えてやっと今リスタートなの許せないなあ。好きになりすぎた方が負けなのか、そう思われせる相手を選んだのが間違いだったのか。後者だと信じてる。
あの人なしには生きられないと思ってたけど、ひとりでも幸せに生きてる。なんならあの人といた時よりも、今のほうが全然幸せだし。
ひとりで生きられるなら恋人なんていらないやと思ったけど、あれだけ楽しかったり喜んだり嬉しかったり悲しかったり泣いたりできるのは、やっぱり恋愛だけだなとか。
リハビリとか諸々の自分に向き合うのにしばらくエネルギーと時間使いたいから、今は1人がいいけど。
きっと1年後くらいにはケロッと誰かのこと好きになってるんだろうな、とか希望を込めて言っておく。
以上