儲けを意識しすぎないパソコン副業スタイル
本日の3行まとめ
儲けを意識しすぎない方が結果的にお小遣いくらいにはなりやすい
既存の概念にとらわれない
人は人、自分は自分のスタイルで
儲けにとらわれると面白くなくなる
早く稼ぎたい(収益をあげたい)という焦りは禁物
この記事にかかれていることはあくまでも私自身の経験的なものであり、私の中では大真面目で本当に本心ですが、全員が全員に当てはまるものではないことを予めご了承下さいませ…
ITの知識や技術は正直あまり関係ない
何十年もパソコン触っているならパソコン副業なんて色々な知識と技術で楽勝でしょう?と思われるかもしれませんが、全然そうでもないです(素)
例えばこのような記事を書くにあたって必要なのは文字を書けることと画像をとってアップすることだけですので…
※場合によっては(やりたいことによっては)それがパソコンで実現可能なのか?という意味では知識も技術もあった方が良いですが、それは別にその辺のパソコン詳しい人に聞けばすむかなっていう…)
好き放題したものの方が結果的に伸びてる件
儲けとかまったく関係なく(意識せずに)好きに書いたブログやゲームの方が私は伸びてます(あくまでも私はですが)
単に趣味でやってるゲームとかUFOキャッチャーとかの記事を書いた10年くらいやってるブログはほっといてもアクセスあります(通算100万アクセスは軽く超えてます)が、真面目記事とか全然伸びてません。
私の広告収入等(副業)の大半は完全趣味ブログ等ですね…
というわけで、今お小遣いチャリンチャリンしてるのは、そちらの方であって真顔ブログ(知識・技術系の方)ではないのです。
儲けでギラつくと来訪者にも伝わる感
正直そういうものはあまり歓迎されません。
稼ぎたいが全面に出てしまうと来訪者にとって「楽しくない」ので。
商品の紹介にしても何にしても、良いものではなく売れそうなものだったりとか、露骨に読み手ではなく「自分のため感」がでているサイトやブログには興味がもたれません。
私がNoteを書く理由
1円も課金要素はないですし、見るも見ないも読み手の方の自由なので…ぶっちゃけ気楽です。もしこれが仕事だと正直キツい…ですね…
やっぱりお金を貰うとなると色々と考えなくてはなりませんし、構えてしまって記事が本来の自分のイロとは違ってきてしまいますからね…
(カッコいいソレっぽいこと書かなければ的使命感がでてくる)
1円も儲からないのに今書いている理由は、お互い名前も顔も知らない中で、たまにコメントやら返信やらで世の中の色々な方と一期一会でお話でも出来たらオモロそうだな~というただそれだけです。
普通に生きていたら近所の人くらいしか知り合えませんからね…
(ただでさえド田舎民なんで…最近ますます過疎ってるので…)
それだと視野が狭くなるので、ALL JAPANの精神で書いてます♪
既存の概念はぶち壊してナンボの世界
セオリーはありますが
それは常識的なものや倫理観的なもの(詐欺等犯罪系)であって、自身のビジネスモデルやスタイルとは異なるものです。
自由にいきましょう自由に!(←自分の仲間を増やしたがってる感)
躍動感を大切に
皆がこうしてるから…
大抵みんなこんな感じだよね…
↑「必要ない」と私は思います
(↑思うというかアンタ今ほぼ断言したよねっていう…)
もしそれが「売れ筋」なら、そこに目をつけたお金持ちの人や企業に、そのマネーパワーで資本をブチ込まれたらゲームオーバーです。
まず一個人では勝てません(長く続きません)
私が長年フリーランスをしていてつくづく思うのは、需要は様々であり、皆が皆大手ブランドを求めているわけでもなければ、肩書一つでどうこうという話でもないということです。
日々億のカネを転がしている社長さんに500円の請求書をもっていって、プライベートまでかわいがって貰えるまでになったりもしています。
確かに500円の仕事は500円しか現金という意味ではなってません。
しかし、ビジネスとしては500円でも、ビジネスでは得られない価値が生まれることもあるということです。
なぜyoutuberは流行ったのか
テレビの規制が厳しくなり、昔のようなムチャクチャが出来なくなった所で、素人が自由に垂れ流すその素人感がリアルであり、時に親近感のわくものであり、多くの方に受け入れられたからでしょう(タブン)
これはテレビの力そのものが衰えたわけではないと私は思います。
テレビは局としての力は今もあるものの、時代に封じ込められた感ですね…
よってまた何かのきっかけ一つで時代はコロっと変わる(youtuberも衰退する可能性がある)一過性の栄枯盛衰というものだと思います。
「新しい(新鮮や斬新)」と「ズレてる」の違い
奇をてらうというのは、単にヤケクソしてみようとはちょっと違います。
「らしさ」を失わないということは「個性」であり、ウマが合えば人を惹きつけるものですが、この人大丈夫???になってしまっては信用の棄損というもので、百害あって一利無しということになってしまいます。
ムズカシイことである必要もない
世にお披露目するのであればそれなりのものを…というのはいかにも日本人らしい真面目な発想だとは思いますが、正直そんなものは必要ないと思います(今日は必要ない系多いね…)
チョォォォォッッット色々とまだ足りてないかも…?という話(思う話)であったとしても、それはそれでオモロければ(人によっては)受け入れられるものであり、需要もまたあるものです。レッツチャレンジ!
0を1にする力と1を100にする力の違い
日本人(私たち)が得意なのは後者です。
そもそも私たちはそういう教育環境で育ってきています。
文部科学省を正義として、勉強の得意な子も苦手な子も、一律同じ教科書を読み、競い、点数をつける。
運動の得意な子も苦手な子も、一律同じ競技で競い、点数をつける。
教科書(学び方)が違えば、育ち方の違う子(違った人生を歩める子)はいくらでもいるでしょう。
できない運動を無理にさせなくても(←逆に危ないで…)他の体の動かし方もあるでしょうし、その個人なりに健康に生きることもできるでしょう。
この有無を言わさない一律一刀両断のシステム(点数による格付け(評価))でその個人の能力や優劣が決めつけられ、その先の道が決まり、個体差ある本来の個性(才能)が認められない(世に受け入れられない)という悲しさ。
私が子供の頃、算数や数学で式が間違っていて答えは無駄に当たっているということが結構ありました。
公式を覚えていない(←勉強してない)ので、その場で自分なりに考えて独自手法??でその場で思いついた謎式ではありますが…
カンニングを疑われたり幼心ながらに酷い傷つきましたから…
先生によっては答えは〇をくれる先生もいました。
「よく知らんがオマエなりにがんばったんだな」「先生は認めるよ」と。
涙が出るほどうれしかったですよ。
お国様の用意した1が基本であり1本道であり、全て。
それを基軸、始点として、応用、発展しましょう。
つまり0からではなく元々が1からスタートしている世界です。
これだけだと誤解されそうなので申しますと、0→1の場合においても、基礎が大切になることはもちろんあります。
一つの指標(基準)として、1を用意しないと何をどうしたらいいかわからない人もいるでしょう。
そういう意味では1にも意味や価値があり、必要であると思います。
新しいアイデアの前には基礎があり、その応用の一つとして新しい何かが生まれる。
そういった0→1もあるということは理解しています。
1を用意する国が悪いという話ではなく、優劣の考え方の問題です。
上記のような努力の積み重ねの集大成による派生的な0→1ではなく、いわゆる天性的な0→1は教科書でどうなるものでもありません。
漫画や雑誌の何かがヒントになることもあるかもしれませんし、ボーっと空を眺めていてふとした瞬間に思いつくなんてこともありえるでしょう。
そういった方面の0→1にムズカシイなんたらは関係もなければ必要もない、そういう意味では誰でも自由に踊れる、そしてそれがお披露目出来る場所がインターネットであり、楽しみでありチャンスだと私は思っています。
秀才と天才
天才の素質は天性のものであり、人は誰しもが皆ありうるものだと(私は)思うのですが、人は秀才を目指したがる傾向が強いように感じます。
その理由としては、秀才の方が人間社会の枠組みの中で生きやすく、認められやすいものだからだと思いますし、実際そういう世界だとも思うのですが、副業なんてオレ様ワタシ様天才様全開でいいと思うんですよね…
ある意味ガチガチに縛られた日常から解放される場所がネットであり副業だと思うので、全員我こそは天才!の方がオモロイと私は思います♪
人は一切関係ない
むしろ被っても意味がない
二番煎じという言葉があります。
あの人のあのやり方が流行ったからと真似をした所で、オリジナルにはなれませんし、オリジナルには勝てません。
知識や技術はわりとオマケ
詳しいだけなら、あるいはスキルがあるという話ならば、いくらでもその分野のスペシャリストはいますし、参考書やgoogle検索、その気になればいくらでも自分で調べることが出来る時代です。
その土俵で戦うのであれば、それこそMBAなりオックスフォードなりスタンフォードなりの肩書でもないと「箔」がつかないでしょう。
「副業」で稼ぐためにそれは必要か?を考えると、別にどうでもよくない?と思いますがね…
(実際私自身MBAもってませんしそんな鬼みたいな大学出てませんので…)
人を豊かにする「面白さ」「楽しさ」
「大衆娯楽」という言葉があります。
古くから時の権力者が自身の権力を維持するために、一般庶民、いわゆる大衆に「ガス抜き」の場を用意し、自身に向けられる不平不満の矛先をずらす、時にその娯楽で散財させ、永遠に隷属的に働かせてカネを貢がせる、そのために特権階級が用意した「システム」だと私は思ってますが、それはそれ、自分は自分でちゃんと考えて楽しめれば良いかなと思ってます。
あの手この手で庶民を殺しに来る感はありますが…
敵が右に攻めてきたら左へサヨウナラ
左に攻めてきたら右へサヨウナラ
えっ?上から攻めてくる??じゃ、スコップで穴掘りますわ…
この精神で人生どうにでもなると思います。
さいごに
結果を恐れない
「こんなのって需要あるのかな?」
なんて考えるくらいなら、やってみて考えた方がいいと思います。
えっ?PDCAサイクルすらしらないのかって?
一応(小声)IT業界人ですので知ってます!
個人の副業の話でそんなもん一ミリも興味ないですけど!
前例がない話であれば私なら嬉々として直実行します♪
法には触れないように注意…
いくら0→1だからといってお縄になるようなことはNGで…
「当たる」ってそういうもの
ロト6やナンバーズを統計学で儲けることが可能なのか?という話です。
実際私やりましたが(やったのか)4等までしか当たったことないです…
パチンコの釘ガガガとか、スロットの設定ガガガとか、競馬の本命ガガガとか、どれだけ知識がついても、目が肥えても、毎回は当たらないでしょうし勝てないと思います。
ネットで何かを始めて「当たる」「当たらない」もそういう所はあると思います。
副業だからこそ(本業だと生活が破滅しかねないので…)出来ることってあると思います。
自由にチャレンジした方が、結果的に長く続く可能性が高いですし、当たる時は当たると思います。
※余談 原資のお話
私が新しい何かを始める時、それにもしカネが必要な時はバイトします。
本業の稼ぎを回したり貯金を崩して…ということは絶対にしません。
あたるかどうかも分からない話にそれは危ういので。
例えば私がネットショップを開設した時、もし失敗してもごめんなさいを通すために、バイトで出稼ぎしたお金(50万)だけではじめてます。
初期在庫や機材や梱包材等の経費分だけで、そこから追金(追加投資)は一切せずに売買益でグルグル回してます。
ダラダラやりすぎて正直儲かってる感はないですが、初期投資50万だったスタートを考えると、副業(わりと楽しいので最近は本業にしたいと思ってきていますが…)的には合格だとは思います。
ちなみに管理を分かりやすくするために、ネットショップ専用の銀行口座もその時新しく開設しており、帳簿計算が楽になるようにはしました。
皆でたのしみましょ!
私にそんな資格は…とか、どうせ自分なんて…とかそんなこと考える必要ないので。
真面目な人ほどそういう所あるので、もったいないなと思います。
別に聞かれてませんしスピリチュアルでもないですが、私B型です♪
ついでに私の古くからのお友達も8割以上B型という奇跡(恐)
類は友を呼ぶのか…
ちなみにお付き合いした女性は後から知りましたがほぼA型でしたね…
なんかあるんですかね。そういう法則とか(謎)