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第四章 心を音で表現する方法

心と音の関係

良い演奏とは、音を大切にする事。と言われると、
冷たい印象を受けたり、心は関係ないのか。と感じますが、

音楽や芸術に限らず、スポーツから、お店、道路、街並み、
ありとあわゆる目の前の物や物事は、全て心から生まれています。

マラソンがマラソンであるためには、
42.195kmを走らなければいけませんが、
この距離を走るための出発点は、走ろうとする心から始まります。

小説は心を文字に変換したもので、
料理は、食材を通じて心を表現したものです。

つまり、心をどのような形で表現したのかが、
分野やジャンル、形や物ごとを生み出しているのです。

音楽も同様に、心を音で表現したものを音楽と呼ぶので、
心だけで音楽は表現出来ません。

悲しみを表現したいのであれば、心で想うだけでなく、
音で表現しなければ音楽にはならないのです。

このように音を大切にする演奏は、決して冷たい演奏や、
心と音を切り離した演奏ではなく、
音を大切にした演奏こそ、心のこもった演奏につながるのです。

原因と結果

プロの演奏を聴くと、迫力があったり、表情豊かに聴こえて来ます。
そのため自分が演奏する時も、迫力のある演奏や、
表情豊かな演奏を試みますが、

演奏とは、演奏者の中にある音楽の結果なので、
何も無いところから、結果は生まれないのです。

例えば、フルマラソン42.195kmを2時間以内に走り切る事が出来れば、
たったそれだけで、誰でも金メダルがもらえますが、
(世界記録2時間1分39秒)実際走ってみると完走さえまず不可能です。

この時マラソンの指導者が、「とにかく速く走りなさい。」
「まずは2時間切りなさい。」と結果だけ指導しても
そこから結果は生まれません。

吹奏楽の指導も同様に、「とにかく迫力を出しなさい。」
「まずは表情をつけなさい。」と指導しても結果は出ないのです。

なぜなら結果は、原因から生まれるものだからです。

心を音へ変換する前提

では、心を音へ変換するには、どうすれば良いのでしょう。
まずは、演奏に対する基本的な考え方を見てみましょう。

誤) 
ズレた音程、不安定なテンポ、壊れたバランスでも、
表情を付ければ、良い演奏になる。

正)
正しい音程、一定のテンポ、適切なバランスで演奏すると、
結果的に表情が浮かび上がり、そこに良い音楽が生まれる。

なぜなら音楽の表情は、作品(楽譜)そのものに表現されているからです。

悲しい気持ちで演奏するから、悲しさが表現されるのではありません。
正しい音で演奏するから、自然にマイナーコードが響き、
その結果、悲しみが音を通じて表現されるのです。

表情記号の意味

楽しく、悲しく、など表情を表す記号は、
その場面を表していますが、
意味は、演奏者に対する指示や、お願いではありません。

「演奏者が悲しくならないと、曲は悲しくなりません。
この曲を悲しく響かせるために、是非協力お願いします。」
と言っているのでは無いのです。

作曲者は、自分の作品の解説として、
「ここは悲しみを表現しています。」と示しているだけです。

演奏者は、それを理解した上で楽譜通りに演奏すれば、
自然にハーモニーが響き、悲しい音楽が表現され、
その演奏を聴いた人の心に、悲しい感情が生まれる仕組みです。

悲しむのは聴衆であり、演奏者ではありません。

では、心と音は、一体どのような関係なのでしょうか。

鑑賞と演奏の違い

私たちは音楽を聴いて、喜びや悲しみ、大空を羽ばたく風景など、
様々な感情が沸き上がりますが、これは音楽を楽しむ鑑賞の立場です。

私たちは小学校の音楽教育で、クラシック音楽を鑑賞し、
「どのように感じたか」を学び、より多くの感想を持つ生徒が、
才能ある子として、良い評価をもらいました。

音楽を楽しむ上で、主観的な感性は大切ですが、
この授業は「鑑賞の仕方」であり、「演奏の仕方」ではありません。

では、「鑑賞」と「演奏」は何が違うのかと言うと、

パン屋さんのパンを食べて、様々な感想が浮かぶのが「鑑賞」で、
パンを作る事が「演奏」です。

それは主観と客観の違い

鑑賞と演奏の違いを、他のジャンルを含め整理すると、

    主観            客観
パン  食べる= 嬉しい・美味しい  作る = 材料の分量、熱、時間
      
家   住む = 楽しい・幸せ   作る = 面積、材料の寸法、数量
     
演奏  聴く = 楽しい・感動   作る = 音程、テンポ、音量
                            (バランス)

心と音の関係を考える時、
最初に、この2つの立場を明確に切り分ける必要があります。

演奏は、聴き手へ向けて発信されますが、
聴き手が音楽を楽しむためには、まずその音楽がどのようなものなのか、
明確に聴こえなければいけません。

つまり、音を大切にした演奏とは、聴き手の立場を考えた演奏であり、
それが相手の気持ちを考えた、心のこもった演奏に繋がって行くのです。

まとめ

心 = 主観 = 鑑賞 = 受動的 = 受け手 = 観客 = 客席
音 = 客観 = 演奏 = 能動的 = 送り手 = 演奏者= 舞台

(主観)音楽を聴いて心で感じた想いを、
(客観)音で表現(演奏)すると音楽になります。

主観的な指導

この2つの立場を明確に切り分けないと、
先ほど触れたような指導につながってしまいます。

「もっと心を込めなさい!」
「もっと表情豊かに!」
「大海原を突き進むように!」

よくある指導の一例ですが、
この指導は、その人が演奏を聴いた時の
主観的な感想でしかありません。

もちろん指導者の気持ちはわかります。
しかし言われた方は、どうして良いかわかりません。
楽しさや悲しさを、顔の表情や態度で必死に表現するしかないのです。

そして、コンクールで良い賞が獲れなかった時は、

「どうして一生懸命心を込めて演奏しているのに、
審査員はそれを理解出来ないんだろう?」

「きっと審査員は音楽を理解していないんだ。」

「次はもっと表情豊かな音楽を選曲しよう。」となってしまいます。

鑑賞と演奏の立場の違いをしっかり区別しないと、
指揮台は特別鑑賞席となり、演奏者へのダメ出しが指導となるので、
答えの出ない演奏になってしまうのです。

心を音へ変換する方法


そこで次は曲の主観的なイメージを、音に変換する方法を見てみましょう。

曲を練習する時、ファンファーレであれば「豊かな響き」や
「金管らしい迫力」を表現したいと思いますし、
テンポの良い曲であれば「ノリを良くしたい。」と感じます。

これら「豊かな響き」「迫力」「ノリ」は、
曲を聴いた時に感じる、主観的な感想です。

一般的に、ファンファーレで迫力のあるサウンドを出したい時は、
「そのサウンドをイメージして演奏する」。と言う指導法がありますが、

現実的に考えると、「迫力のあるサウンド」をイメージするだけで
迫力が出るなら、元々「素晴らしい演奏」をイメージすれば、
最初から曲全体が素晴らしい演奏になるはずです。

もっと言うなら、有名オーケストラの演奏をイメージして演奏すれば、
その演奏が再現出来るはずですが、もちろんそうはなりません。

生徒指導の立場から、「もっと元気よく演奏して欲しい。」と言う
意味を込めて、迫力のある演奏をイメージさせる事は、
ある意味効果的ですが、

もっと言うなら、なぜ学生に元気が無いのか、
なぜ集中力が欠けるのかと言うと、
それはどうすべきか、具体的な指示が伝わっていないからです。

心の具体的な表現方法

そこで次は、演奏の三要素を使って、
心を音に変換する具体的な方法を見て行きましょう。
(本来は三要素の組み合わせですが、あえて一つずつ見て行きます。)

例)音程

要望   濁ったサウンドではなく、煌びやかなサウンドを出したい。

原因   音程と出だしが揃わず、互いに音が干渉し、
     打ち消し合っているため、濁って、籠ったサウンドが出ている。

解決方法 内聴を使い音程を合わせ、出だしから真っ直ぐな音で、
     同時に発音する事で、和音が明確になると同時に、
     高音の倍音成分が鳴り、煌びやかに響く。

例)音量(バランス)

要望   大きな音は出ているが、もっと迫力のあるサウンドを出したい。

原因   全員がそれぞれの力で大きな音を出しているため、
     バランスが崩れハーモニーが響かず、うるさい音になっている。

解決方法 低音を最も大きく発音し、その音が聴こえる範囲で、
     低音から順番に音を重ねる。
     その結果、低音から倍音が響き、音量が増大し、
     迫力のあるサウンドが生まれる。(ロック、ジャズ同)
    (和音とは低音から積み重ねた倍音の事。)

例)テンポ

要望   ノリの良い演奏がしたい。

原因   周囲の音を聴きながら、または指揮棒を見ながら演奏するため、
     出だしが遅れたり、または、それぞれが吹きやすいテンポ
    (感覚)で演奏しているため、前後にテンポが揺れ、
     互いに音の出だしを打ち消し合っている。

解決方法 全員が同じテンポで演奏する。
     そのためには一人一人がメトロノームを使って練習する。
     ノリの良さは、同じテンポで同時発音する意味で、
     そのまま明瞭なサウンドにつながる。
     
     ロックコンサートでも、「ノリが良い」「ノッテる」の意味は、
     ミュージシャンと観客、会場全員で同じテンポを刻む事。
     (同じ心拍数・同じ気持ちになる事。)

まとめ

このように主観的なイメージは、全て「演奏の三要素」で解決出来ます。
逆に言えば、音楽の問題は、音でしか解決できないのです。

演奏の楽しみ

ここまで見てみると、
「では、演奏者は黙って楽譜通り演奏すれば良いのか。」
と感じるかもしれません。

これをパン職人で考えると、
「では、パン職人は黙ってパンを作れば良いのか。」
となりますが、

パン職人の楽しみとは、自分の目指す理想のパンを作り、
それをお客さんに喜んでもらう事です。

演奏も同じように、自分が実感を持って目指す音(音楽)を演奏し、
聴衆に喜こんでもらう事が、自分の喜びにつながります。

指導者であれば、生徒に音楽の仕組みや、表現する喜びを知ってもらい、
コンクールで良い賞をもらって、学生時代の良い思い出を作り、
生涯に渡り音楽を楽しむための、基礎造りをしてあげる事が
喜びにつながります。

演奏のもう一つの楽しみ方

そして演奏には、もう一つの楽しみ方があります。
それは誰のためでもなく、自分が楽しむ方法です。

代表的な例としては、カラオケです。
自分が有名人になったつもりで、心を込めて歌えば、
日頃のストレスも解消されますし、満足感を得る事が出来ます。

しかし自分のために歌う場合、
誰にも迷惑がかからないよう防音室へ入って、
お金を払わなければいけません。

パンも同じように、自分で作って食べる楽しみも当然あります。
時にはホームパーティーを開いて、友達とおしゃべりする事で
楽しみは一層広がりますが、材料費は自分で支払わなければいけません。

(もちろん趣味を否定している訳ではありませんが、
この記事のテーマは、趣味講座ではありません。)

原因と結果

演奏の良し悪しは、実は一番最初の出発地点で
既に決まっています。

それは、人のために演奏するか、
自分のために演奏するかの違いです。

繰り返し練習する中で、様々な指示や修正を行いますが、
その内容は全て、出発点から来ています。

●音を大切にする演奏は、人のためであり、
●表現や感情の満足度を優先するのは、自分のためです。

コンクールの審査員は、
演奏を通じて、それまでの過程と出発点を見ています。

つまり、演奏が上手いか、下手かではなく、
そこまで導いた指導者の考え方が、賞を決めているのです。

まとめ

さて、ここまで見て来ましたが、
いかがでしたでしょうか。

吹奏楽の世界は、色々な人の色々な意見があり、
やるべき事が山積みで、どこから手を付けて良いか、
わからなくなる事も多いと思いますが、

一連の記事の中でお伝えしている事は、
出発点から視点を整理し、演奏をもっとシンプルに捉える事です。

目に見えない音楽の世界は、物事を複雑に捉えがちですが、
どんな物事も複雑になるほど、
実は大切な事を誤魔化しているだけなのです。

これからの時代は「本質が求められる時代。」と言われています。
本当の事は、シンプルで、自然な事なのです。

これまでの時代は、上達に苦行難行は必要不可欠で、
努力とは自分を責め続け、誰かに許しを乞う事でした。
そのため、多くの人が不完全燃焼のまま去ってしまったのです。

これまでの常識に対して、
音だけ正しければ良い演奏になる。と言われると、
かなり心配になると思いますが、

まずは第一歩、余計な事は気にせずに、第一章から三章を参考に、
シンプルな「音」だけに注目してみて下さい。

その効果に驚くと同時に、そこから自分が目指す音楽が姿を現すはずです。

最後まで読んでいただき
ありがとうございます。

河合和貴 2024年2月


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