私的、ひとり暮らし限界飯。納豆入り卵かけご飯
ほんっとに疲れてるとき、みんなは何を食べているんだろうか。コンビニ? 電子レンジを使った簡単料理? フライパンは使うけど、材料の少ない料理? もはや食べない?
私はかつて、一番最後、食べないを選択していた。
仕事から疲れて帰ってきて、時計を見ると夜の10時。たぶんもっと忙しい人もいる……そう思うと、自分が「疲れて帰ってきてる」なんていうのは甘っちょろい気がした。私なんか、全然。うん、全然。
でも、やっぱり体は疲れているから、料理をする気にもなれない。口を開ける、咀嚼する、が果てしなくめんどくさい。”動かす”という信号を出すことがとにかくめんどくさい。
そんなとき、料理する、なんて信号は出ない、というかそもそも考えも浮かばない。残された体力は、お風呂に入る、髪の毛を乾かす、明日の支度をする、に分配された。私はすぐ、食べることを諦めていた。
気づけば、体重は5キロほど落ちていた。でも、そのことに私自身は気づいていなかった。「気づけば」になったのは、辞めるきっかけとなった健康診断でのことだった。
「たなべさん……何か悩んでます……? 相談窓口とか……」
え? と言って渡された身長体重が書かれた紙を受け取ると、衝撃が走った。まさか、とは思ったけれど、今の自分の身長で、こんな体重になるんだ、とおかしくもなってしまった。自分の身長から110を引いた数字がシンデレラ体重と言われる、いわゆる痩せすぎにあたるらしいが、私はその数字を軽々しく超えていた。120ぐらい引いた感じだった。
疲れていたから動くのがめんどくかった。簡単に食べることを犠牲にして、セルフネグレクトをしていた私。
その後私は会社を退職して、実家に戻った。朝、昼、夜、お母さんが作ったご飯を食べるようになった。実家っていうのはすごいもので、私が疲れていても、めんどくさがっていても、料理をしなくても、用意しなくても、ご飯が出てくる。座っているだけで「ご飯よ~」と声がかかる。
私は、強制的ではあったが、ご飯を食べることを諦めなくなった。犠牲にしなくなった。
そのとき、ツイッターでこんな投稿を見つけた(うろ覚えだけど)。高校生のお子さんを持つ、お母さんの投稿だった。
高校の説明会に行った彼女は担任の先生から「必ずお弁当を持たせてください。お弁当が難しい場合はパンでもいいので渡してください」と言われたそう。食育的なことかなと思ったとき、先生はこう続けた。
「お昼は必ず現物支給してください。お金だけを渡すと、彼らは食費を趣味や興味のあるもののために着服します。つまり食べることをしなくなります。成長期に食べなくなるのです」
それを見て、私も欲しいCDのために食費を着服していたことを思い出した。私は高校生の頃から、いとも簡単に食べることを後回しにできてしまっていたんだな、と思い立った。三大欲求の中に「食欲」は入っているはずなのに。生きることの柱の1本が食べることのはずなのに、私たちは疲れているとか、ほしいものがあるとかで、簡単にそれを諦める。捨ててしまえる。
だから今。一人暮らしになってから、疲れていても、ちゃんと食べるようにしている。
私のいちばん簡単なご飯は、冷凍した座布団型のお米をレンチンする。その間に納豆を開けて混ぜる。それが終わったら、どんぶりに卵を割って混ぜる。ご飯がほかほかになったいタイミングで、ご飯と納豆をどんぶりに移す。納豆入り卵かけだ。
それか豆腐一丁。しょうがチューブと、すでに刻んであるネギをかけて食べる。
この2つが私のいちばんお手軽、簡単レシピだ。火を使わなくていいし、洗い物も少ない。一人暮らしの部屋の小さなキッチンの、小さなシンクにどんぶりと箸のみ。大豆様様だ。よかった、いろんなタイプの大豆製品が生まれている時代で。
カップラーメンとか、コンビニ飯じゃない、みんなが究極につかれているときの限界飯を知りたいなあ。と、食べるのがめんどくさかったからじゃなくて、スーパーに行ってないから食材がないせいで納豆入り卵かけご飯を食べた今日、これを書こうと思ったのだ。
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。