魚は魚屋、肉は肉屋、布団は布団屋、野菜は八百屋
うちのおばあちゃんは中央線の最終地点、大月に住んでいる。
大学生のとき友達から「乗り過ごして大月まで行っちゃった」なんて話をよく聞いたけれど、ついこの間も私が好きなカメラマンの幡野さんが、電車を乗り過ごして大月まで来ていた。
撮影されていた写真はどれも「あそこだ!」となるぐらいに知っている場所だった。電車で乗り過ごすだけで来れてしまう大月に、幡野さんはこんなふうに返してくれた。
ああ、嬉しい。やっぱり幡野さんが好きだ。
そんな大月に住んでいるおばあちゃんの買い物の仕方が私はとても好き。それは、必要なものは必要なお店の専門店で買うという至極当たり前のやり方だ。
魚は魚屋、肉は肉屋、布団は布団屋、畳は畳屋、野菜は八百屋。
現代的にいえば、全部専門店。その道一筋の強面なおっちゃんか、腰が曲がりに曲がったおばあちゃんがレジに立って対応してくれる。
わからないこと、例えば調理法を聞けばおすすめのレシピを教えてくれるし、売られているものの細かな種類だって教えてくれる。
おばあちゃんは行きつけのお店に行くと、いつもオマケをしてもらえると笑っていた。
この買い物の仕方が、私は全然したことないはずなのになんだか懐かしくて好きだ。たぶんきっと私は、自分ができないから好きだと思うのだろう。
私が生まれたときにはショッピングモールやスーパーがすでにあった。大抵のものはそこに行けば、たった1店舗に行けば、揃うようになっていた。
いくつもお店を巡らなくて便利だし、KALDIや久世福商店があれば変わり種の商品だって買えたりする。便利だ。
ただ、便利すぎてなにかを忘れてしまったような気がするときもある。
ショッピングモールでオマケは絶対ない。自分が買った分だけが手に入る。顔見知り……のハードルも多分めちゃめちゃ高い。毎日のように行っても、レジはシフト制だろうし、今では無人になっているところも多い。
ただ、だから反対というわけではまったくない。むしろ、私は新卒でショッピングモールの内装をする会社で働いていたから、建設に関わる大変さも、ショッピングモールがもたらす地域活性化も、その便利さだって全身で享受している。
どっちが良くて、どっちが悪いという話ではなくて。
私はおばあちゃんのような買い物の仕方はきっとできないけれど、でも、だからこそいいなと思う。懐かしい匂いが柔らかくする。
お肉屋さんに行って、「お孫さんか! ほら、コロッケ持っていきな!」なんて言われる繋がりの暖かさが眩しく感じてしまうのだ。