「誰も傷つけない笑いっていうのは、誰にも響かないときがあるんですよ」
お笑い芸人ぺこぱが言っていた言葉で忘れらないのがある。
「誰も傷つけない笑いっていうのは、誰にも響かないときがあるんですよ」
確か、ワイドショーのコメンテーターとして出演していた、紫のスーツが特徴のぺこぱツッコミ 松陰寺 太勇さんが言っていた言葉だ。
ワイドショーという、考えのぶつかりあい、正義の乱立が見どころのジャンルだったからこそ、そういう言葉が出たのかもしれない。
でも、この言葉を聞いて「ああ、確かにな」と納得した私もいた。
誰も傷つけない、というのはとても大事だ。それは、大前提で大事だと思う。だけど同時に、自分が考えている”正しさ”や”普通”は誰かを常に傷つけていることで存在しているのだとも思う。そして、そこにこそ”私”がいる。
ちょっと前、会社を辞めようか迷っていたとき、毎日のように携帯で「退職 新卒3年目」「退職 早すぎる」と検索していた。1年ちょっとで会社を辞めてしまおうとしている自分に動揺していた。
あれ、私こんなに打たれ弱かったっけ? もっとうまくやれるはずじゃなかったけ? そんな考えが頭の中をぐるぐるぐるぐると回っていた。自分が自分に下していた、明るい自己評価がぐらぐらになった。何が正解かまったくわからなくて、自分に自信がもてなくなっていた。
自分が選ぼうとしていることを、自分のものさしではなく、「1年足らずで退職した」誰かのものさしで測ってほしかった。
だけど、検索して出てくる意見はずーっと2つのタイプしかなかった。
「いいよいいよ! 自分が自分らしくいられない場所からは逃げよう! あなたの居場所はそこだけじゃないよ!」
「ほんとうにあなたは頑張ったんでしょうか? 日が浅いうちは慣れないことが多くて楽しさを感じられないもの。苦労して入った会社は、まだ楽しみ尽くしてないと思います」
つまり、辞めていいよ! か、辞めない方がいいよ、のどっちかだ。
いや、まあそうなんだけど。そうなんだけど。そうじゃない、とわがままにも思っていた。そこで私は気づいたのだ。大きな決断のとき、道はいつも2つしかない。辞めるか、辞めないか。逃げるか、居続けるか。やるか、やらないか。プロジェクト中だったら第3の道があるかもしれない。でも、それよりも前は2択だ。プロジェクトをするか、しないか。
私は、世の中の大きな選択が2択しかないことに傷ついていた。
だけど、折衷案があるわけもないよな、ということもわかっていた。
わかっていたから傷ついていたのかもしれない。自分がした選択が、これからの自分にどう影響するかわからなかった。視野が狭いとき、そのことは真っ暗に感じられた。自分の調子がいいときなら、「そんなの今の私が未来の私を決めるんじゃん!」と思えていたかもしれないけど、そうじゃないときだった。
でも、そうした2択をしたから。やる、やらない、を決めた私がいるから。
選択してきた経験が、今の私を作っている。
それはきっと私だけじゃない。誰もが、する・しない、やる・やらない、行く・戻る、をしてきたからこそ、その人なりの”正しさ”ができて、”普通”が生まれる。そして、それがときに、反対の選択をした人を傷つける。
でも、それが私たちで、それが”私自身”なのかもしれない。経験、という自分だけのエビデンスで私たちはできている。
だから、自分がしてきた経験に沿ったほうにぐっとくる瞬間がある。思わず「そうそう! そうなんだよ!」というすさまじさで共感するときがある。
ぺこぱが言っていた「誰も傷つけない笑いっていうのは、誰にも響かないときがあるんですよ」は、そういう意味で納得できたのかもしれない。